2018年 09月16日 「平穏死」 を受け入れるレッスン 読了

「平穏死」と言う言葉を作ったと言われている

石飛幸三先生による、

老衰からの自然死を、いかに本人にとって

苦しまず、尊厳も保てて、ストレス無く死ぬかを

特養老人ホームの勤務医、石飛先生が書かれた一冊です。

 

石飛先生が、最初に特養の勤務医になった時には、

胃ろうや点滴などの管人間がわんさか寝ていて、

「何かがおかしい!」と言う思いを持つと同時に、

スタッフの方々も「このままで良いのだろうか」と言う思いを持っていたようです。

 

胃ろうや点滴、管などによって

強制的に、医師が決めたカロリーを胃や血管に流し込んだりすると言う行為が、

「果たして、御本人は望んでいることなのだろうか」という強い疑問があった模様です。

 

誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)は、胃ろうでも起こるそうです。

肺結核などもお年寄りがかかりやすいもののようです。

 

そういった症状が出ると、救急車を読んで病院に搬送。

病院では、胃ろうを施したり、気道確保で喉を切ったり、

点滴を刺したりするようですが、

特養老人ホームの方の多くが、ボケているので、

そういった処置を取っちゃおうとします。

すると病院では、鎮静剤を打ったり押さえつけたりして、

退院を早く出来るように処置します。

 

すると特養に戻ってくる頃には、

管人間になって帰ってきて、特養でもそれを続けます。

 

しかし、そういった処置が果たして必要なことなのか。

食べられるのなら食べてもらって、

いよいよ飲み込まなくなったら、補助的な処置はするものの

管を通したり、余計なことをせず、

ただ本人の成り行きに任せて、

そして、眠ることが多くなっていくと、いよいよ死期が近くなっているサインで

更にその方に任せたままにすると、

実に穏やかに、亡くなるそうです。

 

人間は老衰には、延命をすべきではないのではないか。

余命に入ったら、ゆっくり枯れていき

食事を飲み込めなくなって、寝ることが多くなって、

穏やかに死ぬ。

 

そうしていくべきが、一番本人に負担もなく、尊厳も保たれているのではないか。

そういった、医師の経験や哲学にも近い考えが記載されています。

 

栄養を与えすぎれば、食堂から逆流し、

点滴や、管から栄養を与え過ぎれば、溺れるように苦しみの中死ぬことも少なくなく、

喉を切る、気道確保は、あまり書いてありませんでしたが。

 

治るのならば、治療すればいいし、完治を目指して

健康体を望むことは当然ですが、

果たして老衰にそれは当てはまるのか。

だいたい、老衰は治らないし、回復もしませんし。

 

年の行った親、特に母親は末期癌ですから、

色々と本人達の思いというものを考えておかなければならない上に

当事者と親戚ともすり合わせて、できれば1枚岩で、

親には穏やかに逝ってほしいと思いました。

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ひきこもりシニア・中年へ
にほんブログ村

  
よくないねいいね (まだ評価されていません)
Loading...

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA