母が、片付けられないことを心配

母親自身が70を超えて
全身末期癌の上で、母が理想とする家に近づけたいようですが
「ひょっとして、片付けられないのは欠損しているのではないか?」
っと言う、母親自身からの言葉があり
そこまで気にしているのは可愛そうだな。っと思い、色々と思うことを書き留めておくことにいたしました。

母親が家の中をうまく片付けられずにいることは、
私の記憶の始まりからなので、客観性が完全欠如しています。
しかし、これほどの母親と父親は私にはもったいないので、私自身は
場当たり的な不満があった時期もありましたが、
ありがたい両親ですから、特に何も考えないでいました。

母親に一番避けてほしいことは、ⅰ自分を責めること。ⅱ他人を責めること。となります。

普通の人ができていることが、出来ない。
そういう人間が多数いることを、母親自身が認識したのは
当時超売れっ子だったお笑い芸人さんの脱税事件でした。

この芸人さんは、納税などの部分が、欠損していたのでしょう。
数億もの納税を延滞して、追徴課税も払いましたが、
貯金は、同じく数億あった模様で、すぐさま納税されたようで。
欠損している部分を補うすべを知らなかったのでしょう。
未だに半謹慎状態のようなこの芸人さんが気の毒ではあります。

①うちの母の場合、欠損しているのならば、障害となりえます。
しかし、見た目や普段の生活では、到底わかりませんし、私は専門家ではないのでわかりません。

もし、欠損している。障害である。というのならば、
人に頼むしかありません。
税金を収められない人に、税金を頑張って納めろと言うのではなく
社会的資源を活用して、税金を収めるべく、「頼む」ことができれば解決が近づくと思います。
ただ、お金も社会的資源も必要ですし
必ずしも、行政の手続きと対応(特に電話対応)が、障害のある方に親切である可能性は不明です。
ネガティブなニュースが多すぎますから。
実際には、現場の行政の対応は、一生懸命されてくださっていると深く感謝しています。

うちの母が、欠損や障害でなかった場合は、
②生活環境による影響も考えられます。
疲れている。
一口に言ってしまえばそれだけですが、
あらゆる生活環境における欠落や多忙、それどころではない感などが考えられます。
「明日も仕事があるから、風呂に入っておかねば」っと思い入らずに翌朝を迎える。
人は一人一人が違いますから、そのポテンシャルや体力なども違います。
能力もみんな違います。
その上で、生活環境での疲弊が大きいと、とても、動くことは出来ないでしょう。
(生活環境については、注意深い観察が必要なときもあるかと思います。
わかり易くなく、例えば長年のパートナーが性格の悪い人だった
もしくは自分が性格が悪かったとかもあり、
難しい問題でもあると思います)

欠損でもなく生活環境でもないとすると、
③性格という考え方もあります。
この「性格」と言う考え方が、御自身にとって
自分を責めることなく、人を恨むこともなく、ストレスにもならない。
そういった考え方に持っていければ、たとえ家が片付かなくとも、安らぎの毎日ならば
それはそれでいいのではないかと考えます。
だってそれが一番ですし、それでいいのですから。
ただ、そううまくは行かないのであれば
「出来ないことは人に頼む」と言う選択も考慮していただけたらと思います。
「わからないことも人に頼む」。それで明日からの自分の心が楽になるのであれば
この上ない「周り孝行」だと私は考えます。

だいたい、わからないことが、自分にできるはずがありません。
当たり前ですが、出来ないことも自分には出来ません。
そこで、「人に聞く」「人に頼む」そうすることで
心の負担が減るのであれば、そのための社会資源はぜひ使っていただきたいと思います。
心寂しい若い女性が、ホストクラブに発散にいく。全く同じことです。
お菓子を食べたい子供が駄菓子をお母さんに買ってもらう。全く同じです。

人間、自分で自分を追い詰めてしまうと
「合理性」を考えてしまいますが、よく考えてほしいのです。
合理的に生きることなど無理なはずです。だから今の状態なのです。
時間や合理性はこのさい金庫にでもしまっておきましょう。

出来ないことやわからないことは人から学んだり、人に頼む。
それに答える社会資源さえあれば、超重度の身体障害者や、知的障害者、各種依存症の方なども
憲法で保証された、最低限度の文化的な生活が営めるのです。

で、個人的な話になりますが、
まずは、高齢の母や父の家に行くときは、長持ち電池をたくさん持っていきましょう。
時計や、湯沸かし器、場合によっては、電話やインターフォンの電池を、交換するために。

私の母の場合、片付けられないというストレスが本人を苦しめているようでした。
一気に片付けるのではなく、ゆっくりやればいいのでは?そんな提案は無駄でした。
では私がちょっとずつやればいいのか?それも母の心を苦しめます。
「いるもの」「保留」「いらないもの」の分別。無意味です。
母は、片付けながらもどこか、物に触れ思い出に触れ楽しんでいる部分もあります。
しかも、母のものだけならまだしも、家の中には皆のものも散乱しています。
この状況で母が自分を責めているとしたら、
もはや宝くじを当てて家ごと消去して建て替えるしかありません。
ありえないことですので、無理です。

余談として書いておきますが、
母は昔の物も大事にしています。いつか、親戚や私などのためにや、季節ごとのために。

そう思うと、母はなぜ片付けられないのかと言うと
片付けられずに物をくれる親戚や他人の割りを食っているようにも思えてきました。
それでもなお片付けるとするならば、
母の性格からして、ごっそり行きたいのでしょう。
しかし、母は針仕事も良くします。
針仕事に似ていることが多いという考えにシンクロしていただければいいのでしょうが
口で言って、合理性でもなく、計画性でもなく、やりたいときにやりたいようにすればいい。
でも、針はなくさないでね。
今のところそんな考えの中に私は居ます。

  
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