母の言葉に対する反応1

母が片付けられない。
とは言うものの、母は愛情深い人なので
1つ1つのモノに対して、愛着があると思うので
片付けながらどんどん部屋が狭くなっていくのはしょうがないような気がしてきました。
ものを大切にして、愛着や感謝、想い出があるのです。

そこを「長所」と捉えるか、「短所」と捉えるかの違いだけで
「長所」と考えられれば、片付かないことが、なにか問題があるようなことには思えなくもあります。

問題は、母には「申し訳無さ」と「理想」があって、片付いた部屋をイメージしすぎて、
1つ1つのモノに対する愛着を忘れてしまい、片付けながら思い出して「自分を癒す」という
部分を気づいていないのかもしれません。

理想はあっていいとは思いますが、そういう部分もあるという考えと
自分自身は、モノに愛着や感謝があって、「触って整理していく」ことで「自分が癒やされる」ことが
悪いことではまったくないという考えを持ってもらいたいと思いました。

理想をイメージして、片付けをする一方で
モノを一つ一つ触ることで癒やされいくのですから、
片付けの基本である、捨てることをすることなど出来ないはずですし
する必要もあまりないように思えました。

収納を考えたとしても、愛着のあるモノを自分から遠ざけるようなことは
母には難しいいと思われます。
これが障害や欠損とは言い難く、長所なのではないかと思えます。

寂しい人間が、モノを溜め込むことは多々あるようですが、
母も寂しさを抱えながら生きているが故に、モノに愛着を持っているのだとしたら
理想的な、綺麗なおうちなどではなく、「母の落ち着くようなおうち」にしていくことが
理想的な家のようにも思います。

お客を迎えるからと言って、理想的なカッコイイ生活のための家にすることと
母が落ち着いて生活できるおうちであることは、あまり、反しないような気もいたします。
理想的な片付いたお家を追いかけなければ。

片付けられないから汚いのではなく、
片付け方を知らないからでもなく、
捨てることが出来ないからでもなく、
単純に、強くて優しくて、愛情深いが故に現状の物があるに過ぎない。
そもそも、母の妹も母の弟も、母の母の影響を強く受けた方々は
人に気を使い、しっかりするところはしているのに、物で溢れて足の踏み場がない家で
金はあると思うのですが、シャワーもお風呂も、クーラーも暖房も、
壊れたままで生活しているという面白兄弟でもあり、愛情深い方々でもあります。

母は長女で、親戚付き合いが苦手な、母親系に限らず、父親系とも親戚づきあいをしてきました。
今考えると、母だって親戚づきあい、特に父親系とは一切したくないくらいの気持ちだったはずです。
それでも、手伝いや付き合いをこまめにこなしてきていました。
好きな相手にしか付き合いを適度な距離でしかしたくない。
皆そう思うはずですが、母は、自分を犠牲にして盾となり潤滑油となってきました。
それでも、そんな方々にもらったものにさえ、その方々がいらないからと押し付けられたものにさえ、想い出と愛着を持っている。
嫌な思いで付き合ったからこそ思い出があるのかもしれませんが
そういったモノに対しても思い出を持っているのですから、
ものが多くて、片付かず、片付けようと動くほど片付かない。むしろ散らかる。
そんな母の行動は、慈愛に溢れた人間的な悩みに思えてきました。

そこえ私ができることはなんだろうと思い、
母にとって思い入れが無いと言って良いモノの、廃棄や整理。
主に廃棄ですが。
それだけでも、母にとっては心の負担が少しは減ることになるように思えます。

母は、親戚付き合いにおいて、盾となってきた。
母方の親戚に対しても
父方の親戚に対しても。
その結果、親戚関係から、要らなくなったものを、多く引き受けてしまった。
母の兄弟からならならいいでしょうが、よく知らない親戚や父方の親戚からも。
彼ら自身が捨てることが出来ないか、処分がめんどくさくって、母に押し付けてきたのでしょう。

モノに対する愛情が深いがゆえに、
また、モノを通して元・所有者の気持ちまで考えてしまうがゆえに
優しさが出てしまい、ぞんざいには出来ない。

そう考えると、片付けられないことは、むしろ
母の人間としての愛情深さや優しさを表しているように思えます。

ただ、理想とする母の機能的な家に対して
私の母に対する、「母はこうだから、だから、それを長所として考えてほしい」と言う思いを
どのように伝えられればいいのかが難しいところです。

  
よくないねいいね (まだ評価されていません)
読み込み中...

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA