読了

後悔しない死の迎え方 後閑愛美 著

母が、余命1年宣告を受けて
母の死が現実味を増してきました。

数々の看取りを行った看護師さんの、看取りのエピソード集や経験されたこと
そして、看護師さんが考えたことや思ったことなどが書かれています。

一番印象的だったのは、
死に向かって衰弱していく時に、体は病気の部分などに合わせて
絶妙にバランスを取っていく。
と言った内容のくだりでした。

以前、BSフジ プライムニュースで見た
終末期医療について考える 回(ゲスト・清水哲郎先生・長尾和宏先生)を見ていたので、
老衰、衰弱、など、ゆっくり弱っていって、やがて死ぬ(平穏死・石飛幸三先生)。
と言う、終末期の迎え方があることを知りましたし、
その後に何冊か読んだ、長尾和宏先生の本などでも、
抗がん剤や、点滴。余計なことをしてし過ぎてしまう医療もあることを
少しだけ知っていました。
抗がん剤や点滴、胃ろうなどが悪いのではなく
やりすぎてしまうと、体がおかしくなってしまうという感じでした。

極端に言えば、ガンにより体の機能が低下する→動けなくなっていく→
食事の量が減っていく→体が徐々に衰えて小さくなっていく→
体内の水分や栄養を使ってやせ細っていく→死ぬ(平穏死)

そこで補助的に上手く、平穏死に持っていくための
抗がん剤や点滴や胃ろうは、やり方次第だという感じのものでした。

今回この本を読んだことで、かねてからの疑問や不安であった
・母親がやせ衰えてゆっくり死んでいくことに耐えられるだろうか。
・かと言って、必要以上の栄養や水、お薬や医療行為などで、
死に際の母を苦しめることは避けたい。
・しかし、そんなに上手くいくのだろうか。
・悲しいし不安が強いだろうけれども、体に任せるように、体内の栄養や水分を消費していき
やがて平穏死を迎えてほしい。母ともその考えは同じ(母は私や人に迷惑はかけたくないようだけれども、延命措置や点滴(痛い苦しいかゆいなどは点滴もやむなし)はやらないで欲しいと言っている)。
などの考えに対して、この本を読むことで補足できたように思います。

そして、今現在も進行していて、私がビビっている
母の体力低下や、体調不良。などに対する恐怖にも似た不安が
緩和されたようにも思いました。

ガン細胞は母の体から生まれたもので、そのガン細胞を体の免疫はやっつけようとしますが
一方でその援軍として、抗がん剤ではない薬を飲んでいます。
ステージ4で全身転移で余命1年宣告ですから、
良くなることはない(抗がん剤により良くなる可能性がないわけではないのでしょうが)。
しかし、ピンピンコロリではなく、体力がガタガタと落ち、行動範囲も極端に狭まった今、
食欲があるのに、なぜ体力低下が起きるのだろう。行動範囲が狭まるのだろう。
と言った疑問を補足してくれたのが、この本に書かれた
体は絶妙にバランスを取って行くというくだりでした。

ガンだから。ガンが悪さをしているから。今飲んでいるお薬が合わないから。
今飲んでいるお薬が強いから。
様々な原因を考えて不安になっていましたが、
ガンによって体の機能が部分的に低下していく中で
体は絶妙なバランス感覚で、維持されているという考えを加えると
体力の低下も、体調不良による行動範囲の狭まりも、
母の体が絶妙に選択したことなのだとしたら、
それが一番良い経過のようにも思えてきました。
ただし、苦しいとか、強い吐き気とか、かゆいとかは気の毒です。

できるだけ母の自主性と、現在の希望と、母の体の対応力を信じて
あまり不安になりすぎたり悲観的になりすぎず
緊張感もほどほどに寄り添って行ければ良いかなっと思っています。

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アピール感のない経験談、読了

クリニックの診察日。
待ち時間の長さはいつものように長いのですが、
コロナウイルスも心配で
待合室にある新聞や雑誌に触れないでいようと思いましたが、
さすがに長かったので、
こころ元気プラス」と言う
メンタルヘルスの雑誌に目を通しました。

2020年03月号で、
ピアサポート。
ピアサポートのスタッフになる。などの特集が組まれていました。
(ピアサポートとは、一般に、「同じような立場の人によるサポート」といった意味で用いられる言葉である。なお、相談に力点を置いた「ピアカウンセリング」、傾聴に力点を置いた「ピアリスニング」なども類似の概念である。)
Wikipedia

ピアサポートを経て、職業訓練や、就職、
その体験談、失敗談や離職経験など多数出ていたようでした。
そこには興味が持てず、流してしまい
連載されている、大野祐先生の
認知行動療法のページなどを読んでいました。

何気なく読んだ、ページに
ベテルの家の試みだと思うのですが、
自分に病名をつけて、その病名を研究していく
っと言う患者本人が、スタッフや当事者間の協力を得て
自己のネガティブな部分を、文章化していくという
連載ページを読んで、強い興味がわきました。
(他の号の方のは、病気や思考が違いすぎるからか
ピンとこなかったのですが)

この方は、御自身に「ダメダメお化け憑依型」と言う
かなりグッと来る病名をつけておられて
「この人の文章力や発想は、ただ者ではない!」
っと思いながら、とっても興味深く読み進めさせていただきました。
他に印象に残ったのは「二軍感」「お化けは成仏してくれませんでした」。

この方は、子供の頃から、運動神経も勉強も人より劣ってしまうと
自分に「私はみんなよりもできないからだめだ」っと、思うようになり
その思考を、ずっと続けてきたようでした。
(高校も出てるし大学も出ていたかな?就職も果たしたような)

この方は、「ダメダメお化け憑依型」病を治療しようと
打席に入ってフルスイング。
結果がどうであれ、一生懸命やって、フルスイングはしたのだから
次の打席でも、フルスイングで行こう。
一生懸命やって、フルスイングしたのだから
毎回100%上手くいくことなんて無いから
次に向かって、前を向いていこう。
と言う感じの処方箋を書かれていました
っが、「ダメダメお化け憑依型」病の根元
ダメダメお化けの成仏までには至らず
一旦、研究を発表されたようです。

私にとっては、素晴らしい経験談を読めたと
若干興奮気味になりましたが、
作者の方の意思は、
「似たような方の研究の助けになれば」っと。
私には、この方の一連の試みは
その病名や言語化のセンスの高さも含め
大きな救いになりました。
その結果、診察時には、ほぼその話をしまくりました。

この方のようなワードセンスや、文章力はないですが
私も、自分に自分で病名をつけて、
研究してみたくなりました。

ちなみに、診察時にお医者さんに、
近場のべてるの家がどこにあるかなどを聞けましたが
コロナウイルス騒動の中、
母が、抗がん剤を服用していて、免疫力が低く
私が風邪をひくと、その日のうちに写り
熱で苦しませてしまった、苦い経験があるので
お医者さんには、その旨を伝えて
流石に今は人が集まる場所にはいけません。
っと、話はしましたが、
家から駅に出て、電車に乗って(予期不安怖い)。
しかも、時間も決まっているでしょうし
(時間の決まった予定に緊張して寝れない)。
人との関係を築くのも抵抗がありますから
本心は、一歩踏み出さないでいるだけのような気もしてきましたが。



2018年 09月25日 抗がん剤 10のやめ時 長尾和宏著 読了

抗がん剤、10のやめ時と言う本を読みました。

物語とドキュメンタリーを混ぜて

患者の家族などにもわかりやすい形で

ストーリーが展開していく中で、

抗がん剤のやめ時になるであろうターニングポイントが

何度も登場してきます。

 

また、在宅医療もする、尼崎の町医者である長尾先生の

経験が豊富に盛り込まれているようですし

考え方や、受け取り方なども

多分に、とってもわかりやすく書いてありました。

 

胃がん患者さんが

長尾先生のもとを訪ね、胃がんの疑いが持たれたので

地域の拠点病院での検査をへて、胃がん決定、がん治療、抗がん剤投与、

そのサポート役としての、副主治医(主治医&医療チームは拠点病院)として

患者さんを支えながら、長尾先生のお話は進行していきます。

 

非常に勉強になったのが、

最初のやめ時が、抗がん剤を処方するかしないか。

その選択時点でした。

てっきり私は、

拠点病院に行ったら、有無をも言わさず抗癌剤治療が始まると思っていましたが、

始めるにあたって、やるか?やらないか?が選べるとは知りませんでした。

 

それと、最後まで(死ぬまで)続ける。

と言う選択もあるというのも、意外でした。

 

本の中では、

最後まで抗がん剤を使用し続けて死んでいく患者さんも

少なくはないということでした。

 

問題なのは、それを患者本人が望んだことなのか。

主治医はしっかりと、抗がん剤を続けるか、やめるか。その意思確認をしたのか。

決めるのは医者ではなく患者でなくてはならない。絶対に!

っと言う流れを強く感じました。

 

読んで良かったし、助けられた気持ちにもなりましたし、

なによりも、患者である母に余計なストレスを与えないでいこうという考えの軸が持てました。

 

 

2018年 09月16日 「平穏死」 を受け入れるレッスン 読了

「平穏死」と言う言葉を作ったと言われている

石飛幸三先生による、

老衰からの自然死を、いかに本人にとって

苦しまず、尊厳も保てて、ストレス無く死ぬかを

特養老人ホームの勤務医、石飛先生が書かれた一冊です。

 

石飛先生が、最初に特養の勤務医になった時には、

胃ろうや点滴などの管人間がわんさか寝ていて、

「何かがおかしい!」と言う思いを持つと同時に、

スタッフの方々も「このままで良いのだろうか」と言う思いを持っていたようです。

 

胃ろうや点滴、管などによって

強制的に、医師が決めたカロリーを胃や血管に流し込んだりすると言う行為が、

「果たして、御本人は望んでいることなのだろうか」という強い疑問があった模様です。

 

誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)は、胃ろうでも起こるそうです。

肺結核などもお年寄りがかかりやすいもののようです。

 

そういった症状が出ると、救急車を読んで病院に搬送。

病院では、胃ろうを施したり、気道確保で喉を切ったり、

点滴を刺したりするようですが、

特養老人ホームの方の多くが、ボケているので、

そういった処置を取っちゃおうとします。

すると病院では、鎮静剤を打ったり押さえつけたりして、

退院を早く出来るように処置します。

 

すると特養に戻ってくる頃には、

管人間になって帰ってきて、特養でもそれを続けます。

 

しかし、そういった処置が果たして必要なことなのか。

食べられるのなら食べてもらって、

いよいよ飲み込まなくなったら、補助的な処置はするものの

管を通したり、余計なことをせず、

ただ本人の成り行きに任せて、

そして、眠ることが多くなっていくと、いよいよ死期が近くなっているサインで

更にその方に任せたままにすると、

実に穏やかに、亡くなるそうです。

 

人間は老衰には、延命をすべきではないのではないか。

余命に入ったら、ゆっくり枯れていき

食事を飲み込めなくなって、寝ることが多くなって、

穏やかに死ぬ。

 

そうしていくべきが、一番本人に負担もなく、尊厳も保たれているのではないか。

そういった、医師の経験や哲学にも近い考えが記載されています。

 

栄養を与えすぎれば、食堂から逆流し、

点滴や、管から栄養を与え過ぎれば、溺れるように苦しみの中死ぬことも少なくなく、

喉を切る、気道確保は、あまり書いてありませんでしたが。

 

治るのならば、治療すればいいし、完治を目指して

健康体を望むことは当然ですが、

果たして老衰にそれは当てはまるのか。

だいたい、老衰は治らないし、回復もしませんし。

 

年の行った親、特に母親は末期癌ですから、

色々と本人達の思いというものを考えておかなければならない上に

当事者と親戚ともすり合わせて、できれば1枚岩で、

親には穏やかに逝ってほしいと思いました。

 

 

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