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出来ないことに不安をふくらませて焦る(母の体調不良)

かつてお釈迦様が言ったとされる「第一の矢第二の矢」の話と、
キリスト教のニーバーさんが言ったという「ニーバーの祈り」と言う
2つの言葉を思い出すことで、
苦しんでいる母に寄り添いながら、自分の不安や動揺を抑えて、
なんとかできるようにしていかなければ。っと言う焦りもありながら、
こういうものならば、受け入れなければ。と言う思いも浮かびつつ、
やはり、動揺と不安とあせりは、母が回復するまで消えませんでした。

お釈迦様の「第1の矢第2の矢」は、様々な解釈やたとえ話があるようですが
1本目の矢は、老い・病気・死、地震などの天災などで、
さすがのお釈迦様も、この1本目の矢は刺さるようです。
しかし、2本目の矢(老いの恐怖や抵抗、病気に対する不安、
死に対する恐怖や不安、避けようのない出来事に対しての不安や怒りや悲しみ)は、
お釈迦様には刺さらないと言ったようです。
外部リンク(.pdf)まことの保育202105_今月のことば_cc15

「ニーバーの祈り」はそのままで
「神よ、変えることの出来ない事柄については、それをそのまま受け入れる平静さを、
変えることの出来る事柄については、それを変える勇気を、
そして、この二つの違いを見定める叡智を、私にお与えください。」
外部リンク ニーバーの祈り|心に響く言葉|モチラボ


母が体調不良をおこし、日に日に悪化していくように思えました。
私は、不安と動揺がありましたが、
表に出さないようにしながら、母の体調を少しでも聞いていこうとしました。
母は、初めのうちは寝込んでいるだけのようでしたが
強い吐き気や倦怠感があるようです。
母に聞いてみると、「食い過ぎた」っと言うので、食い過ぎでダウンしたのか、っと
当初は思っていましたが、日が経つごとに、発熱、胸や背中の痛み、なども加わり
介助なしでは、寝返ることも、起き上がることもできなくなっていました。

この時の母が言うには、「食い過ぎ」はブレることはなかったのですが、
背中や胸の痛みは、昔経験したことのある、気管支喘息に似ている。っというものでした。
母の背中をとんとん叩いたり、首の付根などをもんだり、
起き上がる、立ち上がる介助をしました。

昔、兄が喘息になった時も、首の付根や背中の痛みを訴えていて
特に、体が凝りまくって苦しいと言っていました。
私はお医者さんではないので、わかるはずもないことは自覚していましたが、
うなり苦しみながら動けずに寝ている母が心配で、不安感と焦りが募り、
検索をかけてみたり、近所の内科医を調べていきました。

やはり気になっていたのは喘息、気管支炎、胸膜炎などで、
コロナかもしれないとも不安を膨らませていきました。
それに全身転移の末期ガンで、薬もやめて、そう言う影響があるとも考えました。
(その場合は受け入れるしかない。っと)
分からないだけに、動揺して、不安も強く、自分がお医者さんでもない。
それはわかっているつもりでしたが、苦しんでいる母に、
「明日病院に行こう。我慢は必要ないよ。近場の病院でもいいし。睡眠も取れないみたいだから」
っと、うながすと、「行かない(キッパリ)」と言われてしまいました。
お風呂に入っていないことを気にしてるのかな?
確かに、発熱があるということは、悪くはないし、多少声に元気が出てきたとも思うけれども
とてもつらそうで、気管支炎などだったら、悪化するだけではないだろうか。
っと言う思いもあり、「近所の病院に予約だけ取るから、行かないならキャンセルするから」
っと言うと、予約だけは取っていいことを承諾してくれました(渋々)。
その日の夜の母は本当に苦しそうで、
母の要望で、背中を擦り、背中をトントンして、寝たまま水分をとってもらいました。
(ストローって便利ですね)
私にできることは、それぐらいですし、寄り添っていることしか出来ません。
部屋に戻った私は、早速近所のお医者さんを探し、当日予約制ということなので
電話帳に登録。そしてトランシーバーを購入いたしました(不安とあせりの具現化のようです)。
母はLINEで私を呼ぶのですが、もうスマホを持つことも辛そうでしたから。

以前、母の病院の看護師さんに相談した時に、
こういうものだと言うことならば、それは受け入れます。っと、
薬の副作用で苦しんでいた母を心配して、カッコ良いことを言いましたが、
実際母が苦しんでいるところで、寄り添うことしか出来ない自分と
苦しんでいる母に不安を強くして、何故苦しんでいるのかもハッキリとはわからずに不安で、
全然受け入れていませんでした。

翌日、病院に予約の電話を入れようかと思い、
母に聞いてみて、ガンの病院まで行くか、近所の病院に行くかを聞こうと、
母の寝床に行ってみると、「凄い良くなった!」っと開口一番に言いました。
「じゃあ、病院はどうする?」「行かない。昨日がピークだったみたい」とのこと。
ホッと胸をなでおろしました。

それにしても母の凄さを思い知りました。
一貫して母が言っていた「食い過ぎ」だったようです(真相はわかりませんが回復したので)。
しかも母は、その上で各症状を受け入れつつ、できる対処をして行き
出来ないことは私に頼み、結局回復してしまったのですから。

昔の偉い人は、最終的な拠り所として「内なる直感」を大切にしていた人も居たようです。
自分の経験や、知恵や、社会との関わりの中で培ってきた常識や、
共有的な知恵、文化・伝統・歴史などを頼りにした「直感」ならば、
もの凄く頼りになりそうです。
外部リンク You Tube 【東京ホンマもん教室】「神」を無くせば「クズ」になる!?~統一教会問題を改めて考える~(9月24日 放送分見逃し動画)29分55秒から

母は長く生きて来て、様々な知恵や経験も持ち、
母の親兄弟との生活や、社会性・職場などで得た、共有知識も豊富でしょうから
もし今回母が、「直感」を頼りに、症状を受け入れて対応し、
出来ないことは私に頼み、私を頼ってくれて、回復しちゃったのだとしたら、
尊敬の念を強くするばかりです。

結局私は、いつもの私でした。
考えることや、そうしようと思うことは格好をつけているのに、
動揺して、不安にかられて、妄想が膨らんで、病院に連れて行こうなどと、
母に余分な負担を、私が安心したいがためにしてしまうところでした。

後は、母に、今の体力や行動範囲。食事の量や味の濃淡。等を、
今の母の体にあったペースでつかんでくれたらと思います。
(私がこんな事を考えなくても、母は、もうすでに自分で獲得しているとも思いますが)

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診察日(社会的共有時間と孤立)

前回の診察時には、母が先生に挨拶をしたい。っという事でしたので
母が挨拶の後に、私の診察となり
あまり話をしませんでした。

今回は、私1人での診察ですので、
前回の診察の時に言った「お金さえあればなんとかなります。無いですけど。」っと、
母が先生に私のことをそう言ってくれたようなので
私もそう言いましたが、これを訂正しに行きました。

仮にお金があったとしても、生きていけるはずが無いと思っています。
今の私の、自分以外の他人との関係は、「母」がほとんどです。
ですから、母が死んでしまったら、極端なくらいに
自分以外の他人との接点がなくなります。
これは結構キツイことだと思っている。というか、無理。と言う趣旨で、先生に話そうと思い
待合室で待っている時に、雑誌コーナーにあった
「こころの元気プラス2022年10月号」の特集「つながるって大変」を読んでいました。

ちょうど今回先生に話そうと思っていた、人や社会とのつながり等を
紹介してくれている記事でした。
すべて参考になったのですが、特に「無理しない」「焦らない」と言うことを
感じさせてくれた、実体験の経験談でした。
そして、社会や自分以外との他人とのつながりにおいて
私は今もそうなるでしょうが、
まず、雛形のような人間関係を持ち、自分が疲れて、ほどなくしてつながりが切れてしまいます。
そしてここから、経験談や思いを書かれているのですが、
自分次第の、自分なりのつながりにいたるケースが主に前半で、
人や社会との明確なつながりはないが、
経験談を書かれている方の考えでは、こういうつながり。ああいうつながり。
も、つながりだと捉えている方々のお話が後半部分になっていました。

最近読んだ、中野剛志先生の「奇跡の社会科学 現代の問題を解決しうる名著の知恵」を読んで
(私のような低学歴のモノでも楽しく読めました)
社会・組織体の中での人間性がとても必要で不可欠だとも考えました。
そこから見えてきたのは、
やはり人間性が大切であって、効率性や合理性ばかりを追求したり、
学校などで言えば、喧嘩が強いとか、運動神経があるとか、絵がうまいとか、
(それらすべてがなく居場所もなかった私ですが)
そう言うことではなくって、それはそれで良い。
自分が自分であるという認識は「我思う故に我あり」ではなく、
他者との関わりや、会話、タダ居る。それでまずは良いという風に感じました。
そして、日本語を話し、父と母から生まれて、いつも通る道路や
よく行くお店などがあって、家ではテレビを見たりする。
そういった要素があるのだから、そこに要られることが居場所はなくても出来た。
そして、それは社会性を持ち学び維持していく上で、とても大切なことだった。
っというように自分なりの理解をしていきました。

不登校や、学校が苦しい子供などが無理やり行く必要がないのも
その組織や共同体にいて、人間味が押しつぶされてしまうのならば
そもそも行く必要がなく、その組織や共同体や学校が、合わない人が出てくるのは当たり前です。
特に未成年は、多感なのですから、むしろいろいろな感性を持った子供が出てくるのは
その学校の健全性でもある証が不登校なのかもしれません。

中野剛志先生の本を読んで、「社会のマクドナルド化」に警鐘を鳴らすようなイメージでした。
低コストで、時間どうりに、いつも同じ味の商品が出てくる。
しかし、そこで働く人の離職率や休職率は高く、
人間はそういった過酷な環境下で働き続けることは出来ない。
客の側にしても、座りにくい椅子でいつもの味を食べて
長い目で健康を考えると、低コストなのだろうか。精神的な健全性があるのだろうか。
と言った部分で、結局は合理的でも、機能的でもないのではないか?
と言う感じでした。
大人でもそうなのですから、多感な青少年が必ずしも、決められた学校に
通うことが楽しい人もいれば、行きたくない人もいるのは当然でしょう。

日本語で放送されているテレビを見ることも社会との繋がりでしょうし、
自分を生み育ててくれている親のもとに居ることも社会性でしょう。
ただ、精神的にはきつくなっていくと思います。

つまり今回の診察で先生に言いたかったことは、
母が死ぬと精神的にきつくなっていく。
過去の記憶をたどったとしても、その存在の大きな部分。母がいなくなるのですから。
共有記憶ではなく、個人の記憶となると、それは妄想かもしれません。
学校・組織・家族・他人、との共有の記憶ではない
個人の記憶は、あまりにも不確かだし、妄想だと言っても良いのかもしれません。
そのような個人だけの記憶や考えは、拠り所がまったくないために
そして不確実で不確かなために、後悔や自責の念にとらわれ始めた時に
あまりにももろすぎる上に、歪んだ方向性に進むか、自分を責めることを止められなくなるか。

社会と関わりを持ちたいけれども、
今までうまく行った試しもない。と言う所で「こころの元気プラス」を読み
「焦らない」と言う気持ちが持てたのは非常に大きかったです。

人間関係や他人との関わりは、わずらわしさも多くあります。
だけど、自分以外との他人と関わらないと、
いくらお金があっても生きてはいけないでしょう。
そして私やうちの世帯にはお金がない。
その上で母がいなくなる。
恐ろしいのですが、
だからといって「焦らない」
だいたい私は、
雛形のような真っ当な感じを求めて失敗します。
自分の中での他者との共有性を感じられる時間を少しでも過ごせたら
それはそれで社会性だとも思いたいところです。
母は「私が死んだらあんた一人なのよ」と言われて「全然大丈夫。なんとかなるし」っと
格好のいいことを言い続けていますが、
実際は、落ち着きを持って考えて感じていかなければとも思っています。

追記:投稿30分後
自分で読み返し、自分がアホであること。めんどくさい。そう言う考えだからじゃないか?
と言う考えが浮かびました。

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母。皮膚のかゆみに苦しむ

ここ最近、母が皮膚のかゆみに苦しんでいます。
母親自身は、「体洗っていないから、お風呂に入れば治る」とか、
「四日くらいすると、かゆみが取れてくる」と言っていました。

私は、母がガンのお薬を変えたことによる副作用か、
ガンそのものによる、作用ではないか、
高齢化に伴い、皮膚のかゆみが出てきた、
日頃の食生活の影響もあるのではないか。っと考えていました。

しかし、母のかゆみは収まることはなく、むしろ悪化しているようにも思え、
ガンのお医者さんにもらった塗り薬を塗ったり、保湿剤を塗っても収まらないようです。
寝ている時は、かゆみを気にしないでいられるようですが
起きている間は相当かゆいようで、
精神的にもバテてしまっているようでした。

老齢期 かゆみ」で検索をかけたら、
高齢者にはよくあることのようですが、そのページを見ると
「辛い訴えです。」っと書かれていて、よくよく考えてみました。

起きて動くこともできないくらいに精神的に参ってしまっている。
かなりバテている。
起きている間は常にかゆみと戦っている(塗り薬もしている)。

検索して出てきたページを見ていても、
塗り薬で軽減されないかゆみを、我慢しなくてはいけないのは、気の毒だ。
塗り薬で軽減されず、かいてしまって悪循環に陥っている。
だいたい、ここまでのかゆみは我慢するものなのだろうか。

っという思いから、母に、皮膚科を勧めました。
塗り薬でも軽減されていない上に、生活に大きく支障が出ている。
もしそれが痛みなのだとしたら、痛み止めを飲むだろう。
かゆみを我慢するよりも、一回皮膚科に行って、
ちゃんと診断してもらい、かゆみが軽減する薬を処方してもらったらどうだろう。

そう言ったことを母に話しました。
母は、まず、私に心配をかけて気を使わせたことをわびてきましたが、
かゆみに耐える母が気の毒なこと。
精神的にかなり疲弊しまって、思うようにできない母が気の毒なこと。
果たして塗り薬で軽減しないかゆみ自体を、我慢すれば治るのだろうか。という疑問。
何よりも母が気の毒です。

今飲んでいるガンのお薬は、免疫力を大きく下げてしまうため
その副反応としての、皮膚に対するかゆみとも考えましたが、
母が、かゆみを我慢していく中での精神的疲弊が顕著でした。

母が皮膚科に行ってくれる気持ちになってくれれば良いですし、
かゆみが無くなってくれれば良いのですが。
我慢や忍耐力による疲弊は、本来、母も望むところではなく
それは緩和してほしいという、今後の入院後の母自身の意思なども考えると
やはり、飲み薬であってもかゆみを我慢するよりは、
少しでも快適な時間を過ごしてほしいです。

参考サイト
公益財団法人長寿科学振興財団 健康長寿ネット 老人性乾皮症
かゆみナビ かゆみの治療と対策

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人間の言葉と体力

母のガンは、肝臓で増えているので
体力がガタッと落ちてしまっています。

母親自身は、体力の低下と、年齢によるものだと考えたいようですが
私が、母の肝臓にガンが増えたことを知ってしまった以上、
「若い格闘技の選手も、ガタッと体力やパフォーマンスが落ちる時があるんだよ。
先輩格闘家に相談すると、肝臓などの検査をしてもらえって言われて、
肝臓や膵臓や腎臓などの数値が悪化していて、
日常生活の改善で、内臓の数値を戻すと、体力やパフォーマンスが戻るらしいんだ。
肝臓に新たにガンが増えたのだから、体力低下は、
この暑さでも、運動不足でもなく、ガンによるものかもしれないね」
っと母に告げました。

言うかどうかは迷いましたが、
母の余命を母自身が考えて知る結果になればと思いましたので、言ってみました。
あまり母は、実感が無いようで、やはり、暑さや体力低下だと思っているようですが、
私が思うに、肝臓などの内臓転移やガンの増殖によるものだと思います。

近所のスーパーまで行き、買い物をして、帰ってくることも
とってもきつい様子です。
幸いなことは、食欲があることと
屋内での日常生活はこなせていることです。

スーパーまでの行き帰りなら、私が、二人乗り自転車を漕げば良いのかとも思ったので
いろいろ調べてみましたが、母を乗せて、荷物も載せて、漕げる自転車が見当たりません。
こうなったら自分で作るしか無いのでしょうか。
ただ、作業場所がないので、工場などに発注か、自転車屋さんに相談するかです。
子供を2人載せて漕げる自転車があるから、出来ないこともないと思ってしまいます。
ただ、おまわりさんに迷惑をかけたくないので、
よくわかりませんが、私は車の免許は持っていません。
私の集中力のなさで、車を運転することが怖いのです。
経済的な面においても無理です。

家系的な血筋において、明らかに車大好き家系なのですが
申し訳なくも私の軟弱な精神では、自動車免許は多分取れるでしょうが、
やはり精神的な障害による、集中力の欠如を気にしてしまいます。

本当は、母も、父も、私に「車出して」っと言いたい日常生活が、
毎日のようにあると思います。
そうすれば、スーパーの買物も、
量を気にしなくて買えますし、箱買いなんかも当たり前で、
少し離れた楽しいスーパーや量販店やホームセンターに行けるのでしょう。

今日も私はバカ丸出しで、スーパーに買物に行きました。
おナスが安かったのと、お刺身が安かったので。
もちろん自転車で。

入り口に差し掛かると、
ペットボトルのフタを捨てるボックスで、
アクセクしているお年寄りを見ました。
その方は、私が3個のペットボトルの蓋を捨ているのを待っていると
ご自身は袋に何十個もフタをすているようで、
順番を私に譲ってくれました。

おそらくスーパーのルール的にはいけないのでしょうが、
ペットボトルを捨てるゴミ箱は、1個ずつしか入れられないので
私はガバっと蓋を取り、「どうぞ」っと言いました。
そのおばあさんは、とっても感謝してくれて、
私も嬉しくなりました。

このスーパーでの買物は少量でしたので、
お野菜などの値段をチャックはしたものの、さっさと店を出ていこうとしたら、
今度は、大量のペットボトルの蓋を、一個一個、とても一生懸命に捨てている
おじいさんがいました。後ろに並んでいる方も居ますので、焦っていたのでしょう。
フタを落としたりしながら、慌てている様子でした。

私は、本体の蓋をガバっと取り、おじいさんは一気にすてられました。
「あぁ~。そうやるんですね。助かりました。ありがとうございます」。っと。
次に並んでいたおばさんも、ザラーっとキャップを捨てて、
「ありがとうございます」と言ってくれました。

スーパーに迷惑をかけてはいけないので、
キャップ以外の物が捨てられてはい無いかを確認した後に
ガバッと蓋を締めました。外は暑いですから。

なんだかスッカリ良いことをした気持ちになってしまいました。
お礼を言われたり、協力をしたことに自惚れていたのかもしれませんが、
暑い外で、あの方達の手間が省けてよかった。っといい気分になりました。
フタをガバッと取っただけですが。

ペットボトルも、ペットボトルの蓋も、
何十個か貯まると、ワクチン一回分寄付と言うことになるそうです。
スーパーに書いてありました。
そう言う、「何かの役に立つなら」っという気持ちも、
ペットボトルの蓋を捨てていた方の気持ちにはあるでしょう。
それに、この暑さの中、ペットボトルや、そのフタなどは、
早く処分したいと思います。

「どうもありがとう」っと言われて、なんだか嬉しくなりました。

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母の言葉に対する反応1

母が片付けられない。
とは言うものの、母は愛情深い人なので
1つ1つのモノに対して、愛着があると思うので
片付けながらどんどん部屋が狭くなっていくのはしょうがないような気がしてきました。
ものを大切にして、愛着や感謝、想い出があるのです。

そこを「長所」と捉えるか、「短所」と捉えるかの違いだけで
「長所」と考えられれば、片付かないことが、なにか問題があるようなことには思えなくもあります。

問題は、母には「申し訳無さ」と「理想」があって、片付いた部屋をイメージしすぎて、
1つ1つのモノに対する愛着を忘れてしまい、片付けながら思い出して「自分を癒す」という
部分を気づいていないのかもしれません。

理想はあっていいとは思いますが、そういう部分もあるという考えと
自分自身は、モノに愛着や感謝があって、「触って整理していく」ことで「自分が癒やされる」ことが
悪いことではまったくないという考えを持ってもらいたいと思いました。

理想をイメージして、片付けをする一方で
モノを一つ一つ触ることで癒やされいくのですから、
片付けの基本である、捨てることをすることなど出来ないはずですし
する必要もあまりないように思えました。

収納を考えたとしても、愛着のあるモノを自分から遠ざけるようなことは
母には難しいいと思われます。
これが障害や欠損とは言い難く、長所なのではないかと思えます。

寂しい人間が、モノを溜め込むことは多々あるようですが、
母も寂しさを抱えながら生きているが故に、モノに愛着を持っているのだとしたら
理想的な、綺麗なおうちなどではなく、「母の落ち着くようなおうち」にしていくことが
理想的な家のようにも思います。

お客を迎えるからと言って、理想的なカッコイイ生活のための家にすることと
母が落ち着いて生活できるおうちであることは、あまり、反しないような気もいたします。
理想的な片付いたお家を追いかけなければ。

片付けられないから汚いのではなく、
片付け方を知らないからでもなく、
捨てることが出来ないからでもなく、
単純に、強くて優しくて、愛情深いが故に現状の物があるに過ぎない。
そもそも、母の妹も母の弟も、母の母の影響を強く受けた方々は
人に気を使い、しっかりするところはしているのに、物で溢れて足の踏み場がない家で
金はあると思うのですが、シャワーもお風呂も、クーラーも暖房も、
壊れたままで生活しているという面白兄弟でもあり、愛情深い方々でもあります。

母は長女で、親戚付き合いが苦手な、母親系に限らず、父親系とも親戚づきあいをしてきました。
今考えると、母だって親戚づきあい、特に父親系とは一切したくないくらいの気持ちだったはずです。
それでも、手伝いや付き合いをこまめにこなしてきていました。
好きな相手にしか付き合いを適度な距離でしかしたくない。
皆そう思うはずですが、母は、自分を犠牲にして盾となり潤滑油となってきました。
それでも、そんな方々にもらったものにさえ、その方々がいらないからと押し付けられたものにさえ、想い出と愛着を持っている。
嫌な思いで付き合ったからこそ思い出があるのかもしれませんが
そういったモノに対しても思い出を持っているのですから、
ものが多くて、片付かず、片付けようと動くほど片付かない。むしろ散らかる。
そんな母の行動は、慈愛に溢れた人間的な悩みに思えてきました。

そこえ私ができることはなんだろうと思い、
母にとって思い入れが無いと言って良いモノの、廃棄や整理。
主に廃棄ですが。
それだけでも、母にとっては心の負担が少しは減ることになるように思えます。

母は、親戚付き合いにおいて、盾となってきた。
母方の親戚に対しても
父方の親戚に対しても。
その結果、親戚関係から、要らなくなったものを、多く引き受けてしまった。
母の兄弟からならならいいでしょうが、よく知らない親戚や父方の親戚からも。
彼ら自身が捨てることが出来ないか、処分がめんどくさくって、母に押し付けてきたのでしょう。

モノに対する愛情が深いがゆえに、
また、モノを通して元・所有者の気持ちまで考えてしまうがゆえに
優しさが出てしまい、ぞんざいには出来ない。

そう考えると、片付けられないことは、むしろ
母の人間としての愛情深さや優しさを表しているように思えます。

ただ、理想とする母の機能的な家に対して
私の母に対する、「母はこうだから、だから、それを長所として考えてほしい」と言う思いを
どのように伝えられればいいのかが難しいところです。

母が、片付けられないことを心配

母親自身が70を超えて
全身末期癌の上で、母が理想とする家に近づけたいようですが
「ひょっとして、片付けられないのは欠損しているのではないか?」
っと言う、母親自身からの言葉があり
そこまで気にしているのは可愛そうだな。っと思い、色々と思うことを書き留めておくことにいたしました。

母親が家の中をうまく片付けられずにいることは、
私の記憶の始まりからなので、客観性が完全欠如しています。
しかし、これほどの母親と父親は私にはもったいないので、私自身は
場当たり的な不満があった時期もありましたが、
ありがたい両親ですから、特に何も考えないでいました。

母親に一番避けてほしいことは、ⅰ自分を責めること。ⅱ他人を責めること。となります。

普通の人ができていることが、出来ない。
そういう人間が多数いることを、母親自身が認識したのは
当時超売れっ子だったお笑い芸人さんの脱税事件でした。

この芸人さんは、納税などの部分が、欠損していたのでしょう。
数億もの納税を延滞して、追徴課税も払いましたが、
貯金は、同じく数億あった模様で、すぐさま納税されたようで。
欠損している部分を補うすべを知らなかったのでしょう。
未だに半謹慎状態のようなこの芸人さんが気の毒ではあります。

①うちの母の場合、欠損しているのならば、障害となりえます。
しかし、見た目や普段の生活では、到底わかりませんし、私は専門家ではないのでわかりません。

もし、欠損している。障害である。というのならば、
人に頼むしかありません。
税金を収められない人に、税金を頑張って納めろと言うのではなく
社会的資源を活用して、税金を収めるべく、「頼む」ことができれば解決が近づくと思います。
ただ、お金も社会的資源も必要ですし
必ずしも、行政の手続きと対応(特に電話対応)が、障害のある方に親切である可能性は不明です。
ネガティブなニュースが多すぎますから。
実際には、現場の行政の対応は、一生懸命されてくださっていると深く感謝しています。

うちの母が、欠損や障害でなかった場合は、
②生活環境による影響も考えられます。
疲れている。
一口に言ってしまえばそれだけですが、
あらゆる生活環境における欠落や多忙、それどころではない感などが考えられます。
「明日も仕事があるから、風呂に入っておかねば」っと思い入らずに翌朝を迎える。
人は一人一人が違いますから、そのポテンシャルや体力なども違います。
能力もみんな違います。
その上で、生活環境での疲弊が大きいと、とても、動くことは出来ないでしょう。
(生活環境については、注意深い観察が必要なときもあるかと思います。
わかり易くなく、例えば長年のパートナーが性格の悪い人だった
もしくは自分が性格が悪かったとかもあり、
難しい問題でもあると思います)

欠損でもなく生活環境でもないとすると、
③性格という考え方もあります。
この「性格」と言う考え方が、御自身にとって
自分を責めることなく、人を恨むこともなく、ストレスにもならない。
そういった考え方に持っていければ、たとえ家が片付かなくとも、安らぎの毎日ならば
それはそれでいいのではないかと考えます。
だってそれが一番ですし、それでいいのですから。
ただ、そううまくは行かないのであれば
「出来ないことは人に頼む」と言う選択も考慮していただけたらと思います。
「わからないことも人に頼む」。それで明日からの自分の心が楽になるのであれば
この上ない「周り孝行」だと私は考えます。

だいたい、わからないことが、自分にできるはずがありません。
当たり前ですが、出来ないことも自分には出来ません。
そこで、「人に聞く」「人に頼む」そうすることで
心の負担が減るのであれば、そのための社会資源はぜひ使っていただきたいと思います。
心寂しい若い女性が、ホストクラブに発散にいく。全く同じことです。
お菓子を食べたい子供が駄菓子をお母さんに買ってもらう。全く同じです。

人間、自分で自分を追い詰めてしまうと
「合理性」を考えてしまいますが、よく考えてほしいのです。
合理的に生きることなど無理なはずです。だから今の状態なのです。
時間や合理性はこのさい金庫にでもしまっておきましょう。

出来ないことやわからないことは人から学んだり、人に頼む。
それに答える社会資源さえあれば、超重度の身体障害者や、知的障害者、各種依存症の方なども
憲法で保証された、最低限度の文化的な生活が営めるのです。

で、個人的な話になりますが、
まずは、高齢の母や父の家に行くときは、長持ち電池をたくさん持っていきましょう。
時計や、湯沸かし器、場合によっては、電話やインターフォンの電池を、交換するために。

私の母の場合、片付けられないというストレスが本人を苦しめているようでした。
一気に片付けるのではなく、ゆっくりやればいいのでは?そんな提案は無駄でした。
では私がちょっとずつやればいいのか?それも母の心を苦しめます。
「いるもの」「保留」「いらないもの」の分別。無意味です。
母は、片付けながらもどこか、物に触れ思い出に触れ楽しんでいる部分もあります。
しかも、母のものだけならまだしも、家の中には皆のものも散乱しています。
この状況で母が自分を責めているとしたら、
もはや宝くじを当てて家ごと消去して建て替えるしかありません。
ありえないことですので、無理です。

余談として書いておきますが、
母は昔の物も大事にしています。いつか、親戚や私などのためにや、季節ごとのために。

そう思うと、母はなぜ片付けられないのかと言うと
片付けられずに物をくれる親戚や他人の割りを食っているようにも思えてきました。
それでもなお片付けるとするならば、
母の性格からして、ごっそり行きたいのでしょう。
しかし、母は針仕事も良くします。
針仕事に似ていることが多いという考えにシンクロしていただければいいのでしょうが
口で言って、合理性でもなく、計画性でもなく、やりたいときにやりたいようにすればいい。
でも、針はなくさないでね。
今のところそんな考えの中に私は居ます。

2020年08月07日 不快な生き物(俺)

私は、言葉だけは一人前以上なのです。
今の私は、図々しくって、下品で不潔な存在です。

先生に診察して頂いた後
家に帰ってなにかモヤモヤすると思い
振り返ってオタオタしました。

いかに自分がアホかを知りました。

前回診察頂いた時に

私は軽いぎっくり腰と、
湿布を貼ったら皮膚が炎症(かゆい)を起こしたこと。
最近お酒を飲みすぎ。
夜中まで飲んでいる。
おつまみも食べ過ぎ。
夜中まで食べている。
改善しようと思っている。
そういった事を言いました。

経過報告のつもりでしたが、要約すれば
オッサンが、運動もしないのに
酒飲みすぎて食いすぎて、腰が痛いのかゆいの。
と言う話をしてしまって
現在大変後悔しています。
それは、そうなるでしょう。


図々しくって、下品で不潔。
そのくせ言葉だけはわかったようなことを言う。
何も成長していないどころか
悪化していますし、
半年後か1年後か、全て忘れて
同じことを続けつつ、更に図々しくって下品で不潔さは増すでしょう。

腰の痛みだって、運動不足はもちろんですが
どう考えたってデブになったからでしょう。
しかも、自分の体を観察してみたら
お腹を引っ込めようとしているのです。
そしてさらに腰を悪化させています。

お腹が引っ込むとか、脚を鍛えようという意識の前に
日々悪質化していく人間性を
お腹を引っ込めるが如く無自覚に隠しているのですから
自分から人間性を下げているようなものです。

体型は変わらないどころか、もっとオッサン化していくのは
これは年齢的に仕方がありませんが
この下がってきた上に更に下がっていく人間性は
もはやオタオタするしか方法が見つかりません。

自分の将来のために働いている方や
家族奥さんのために働いている方
お子さんのために働いている方。
そう言う方々が、言葉だけは偉そうで
生き方が、図々しく下品で不潔なことがないのでしょうから
やはりオタオタしてしまいます。

とりあえず、
・皮膚のかゆみ
清潔にする。

・腰が痛い
可能なストレッチと筋トレとマッサージによって、
次第に、運動強度を上げていく。

もはや人が見たら不愉快になるような、お腹と
図々しさ下品さ不潔さを形にしたような、太もも。
モラハラ以上のボディーと人間性。
オタオタしています。

デフレ増税コロナをガマンの3重苦

人間は生まれたからには死なざる負えないわけで
基本的に死に方も選べないはずです。
生きていれば病気にもかかるし
お腹もすきます。

なんだかコロナウイルスにかかることは
物凄くいけないことのような気持ちになってしまいます。

新型コロナウイルスと言う名前もおかしい。
ウイルスだって変異するんだから
そのたんびに新型が出ているわけでして。

自粛要請もおかしいと思うのは、
ご高齢者の重症化・死亡者に着目せず
40才以下の、重症化死亡者数にも着目せず
ウイルスの特性にも着目せず、
具体的対応策にも、着目しないのは
科学的な根拠に乏しいからのような気もします。

今わかっている対策は
三密を避けるというものと、自分が感染しない。
その為に不要不急の外出を避けるべきだというものですが、
予防ってそう言うものじゃないような気もしてきました。

今の時点でわかっている上での、できる対策は
手洗い・口や鼻を触らない・休息を取る・三密を避ける・
食事中に会話をしない・マスクをして鼻呼吸を意識・
出来たら消毒に注意を払う・トイレを清潔にする。
と言う、ことくらいじゃないでしょうか。

なんでスーパーに行くことさえも自粛すべきなのでしょうか。
どんな組織もそうだと言うわけではないと思いますが
基本的に現場に大きな権限を与えて
相対的な目標を上の人間が決めてしまい
後は、せっかくいる中間管理職や
現役のベテランの経験を活かすべきではないかと思ってしまいます。

どうも上の人間の目標が、ゼロを目指しているようで
そうだとしたら、現場レベルでの実現性は、不可能じゃないかと。
特に、医師や看護師は、日常的に病気や死などに接していて
出来ることと出来ないことの判断経験が豊富なはずですし。

何かしらのおかしさのような物を感じてしまいます。

ノイローゼ悪化装置

テレビや、ネットでも
コロナウイルスのニュース関連の記事を聞いたり見たりすると
ものすごく気分が凹みます。
ただでさえ自粛要請や緊急事態宣言で、
ピリ付いている世の中を、さらに不安に煽られても。

こう言う時に、野球選手やお相撲さんの
カラオケ大会とかみたいのですが
娯楽番組も自粛しているから、一体どれだけ我慢すれば良いのでしょうか。

ただでさえ、20年以上前からの不景気で
我慢・我慢、の連続で
そこにかぶせてくるように今回のコロナ騒動で。

だいたい私は、今回のコロナ騒動の前は
アダルトビデオで、男の竿をくわえている女性の動画を見たり
ごっくんして、ニコニコしたり。
思い返してみれば、女性の快感は男の数倍あってしかも長い。
と言う情報をもとに、メスイキしようとしていたような
日本国民の平均的なオス。
よりもはるかに劣るオッサンではありますが、
これだけストレスを与えてくるということは
テレビやマスコミ、情報発信者は
今回のコロナで、昔あったテレビ「ザ・ガマン」を
一般レベルで試しているように思えてきます。

2週間。
永遠の2週間。
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんではないですが
「殺す気か!」状態です。

まさか、印象や感覚でモノを言っているのではないかと
陰謀論が爆発してしまいます。
私の場合、これはノイローゼの悪化につながるから
きつすぎます。

芸能人の方も、自粛すること、不要不急の外出は避けること、
自分がコロナにかからないことが、大切な人をコロナにしない。
っとか、自粛頑張ろう、自粛を楽しもうとか
良いことしているような気持ちになっていなければいいですが。
なぜコロナにかかるのか。
なぜ外出を自粛すると、コロナにかからないのか。
自分がコロナになったら、なぜ大切な人に感染するのか。
せめてその疑問に答えられるようになってほしいです。

あと、医療崩壊の可能性は、どうやらありえるようです。
私は、医師免許や看護師免許のある方々を
専門の科を無視して、事に当たれば、起きようがないと思っていましたが、
コロナ患者が出ると、その周りの人間を検査するようで
症状が出ていないけれども、陽性反応が出た場合
それがお医者さんや看護師さんだとすると
ごっそり、家で待機する状況のようですから
院内感染が1人出ると、無症状の医療関係者もごっそり居なくなるので
どうも、そのやり方では、
医療崩壊もあり得るようです。

なぜ院内感染が起こるのかを対策していただき
ゼロか1かではなく、許容範囲を持たせないと
医療崩壊が起こってしまいますし、
医療関係者の方々も、過酷になっていくばかりのような気がします。

私は愛国者

テレビを見ていると
不安にしかならないので、
物凄~く、陰謀論を考えたりと妄想して
ノイローゼが悪化してストレスで
テレビを見ないようにしていますが、
ネット上でも、ネット動画でも、
不安を煽る記事や動画は存在するわけでして。

今回のコロナで、真当かも知れないと個人的に思ったのは
工業系・工学系の道徳観や、理論や経験のような気がします。

出てきた数字に対してのリアクションが良いと言いますか。
昨日まで言っていたことを変えて
数字に対して、経験に対して、正直なような気もします。
仮説が間違っていたら、即撤回。
すんなり行く理論には、基軸として手本にするような。
ある意味、無機質に、経済や死亡者数を
数字にしてしまうことにも抵抗はありますが
言っている考えや説明は
理屈は通っているかも、と思ってしまいます。

そもそもは、テレビがあまりにもコロナを煽るから怖くって
ストレスも溜まりまくったので
真逆の意見や、見解を持つ方の意見を聞きたいと思って
(でも、その間に、ツイッターのフォローを、
女性を性的な目で見るフォローを増やしたり、
巨乳を見れば微乳を見たくなったり、
可愛い娘や美人を見れば、ブス手前みたいな娘を見たくなったり
年相応な方を見れば、若い娘を見たくなったり
黒髪を見れば、ギャルっぽい娘を見たくなったり
露出の大きいそうな、野心家のグラビアを見たくなったり)。

各都道府県の知事の
新型コロナでの政治利用もひどいし
政府の一体感のなさも、
次の総理大臣がもう決まっているのか、
消化試合感が強すぎます。

公明党が一律10万円給付を言ったかと思えば
最高30万円の、貧困家庭への給付をやめたり
85万人が感染して40万人が死ぬ(ナニもしなければ)とか言い出したり
一時は、自民党の国会議員の100人規模と言っていた
結構右寄りな議員たちの、大規模減税が
煙のように消えてしまったり。

私の住んでいる街は、
そういった意味では強い人が多いのかも知れません。
自粛ムードが加速するほど、
高齢者や子供を中心に、外に出まくっていて
明らかに非常事態宣言前よりも人が多いです。

まず、コロナが中国で流行り、その後に、日本でも学級閉鎖が実施され
飲食店などの自粛要請もあって、非常事態宣言が出されて
更に全国に対しての非常事態宣言に広がりました。

不思議なのは、
学級閉鎖をする前のほうが感染者数が少なく、
学級閉鎖をしたら、明らかに増えています。
非常事態宣言をする前のほうが少なく、
非常事態宣言をしたあとの方が明らかに増えています。

ようは、自粛や非常事態宣言したことにより
感染者数が増えたと考えるしか無いと思うのですが。

知事達は、テレビに出たいのか、毎日感染者数を発表しますが。
単純に検査数を増やせば、感染者数は、チョットは増えるでしょうに。

PCR検査に関しても、
PCR検査が、新型コロナウイルス判定装置のように報道されていますが
PCR検査は、あくまでも、ウイルスのDNA検査キッドで、
新型コロナウイルスの、判定装置ではない模様です。
だから、似たようなDNAをしているウイルスにかかっていても
陽性反応が出たり、
新型ウイルスにかかっていても、陰性が出たりするそうです。

1月か、2月に見た情報番組があります。
経済エコノミストが言っていたことなのですが
早ければ5月くらいに収束するんじゃないですか。MARSがそうでしたから。
もともと数字に対して向き合えば、予測できたようです。

政府は、マスクを配布したりしてくれますが
個人的希望を言わせていただければ、
ドクター中松氏のフェイスガードを配布してほしかった。
それと、指定感染病棟は、医療崩壊の可能性があると言っていますが、
普通の病院や、他の科の病棟では、
毎年流行る感染症も減って、暇そうなのですが。

患者数が一定数の段階で止めるような政策をうち
免疫や抗体を持つ人間を増やしていき
そうすれば底を打つので、そこから経済政策をして行き
徐々に景気を回復させれば良いという考えも聞きました。

ただ、都市封鎖をすれば、学級閉鎖や自粛・非常事態宣言、後に
感染者数が増えたことを考えると、すべきではないことのことです。
一定数の免疫及び抗体を持つ人の数を確保するためにも。

コロナに対して一律10万円の給付を自民党に迫った公明党や
毎日律儀にコロナの新規感染者数を記者会見で発表する都知事が
なぜに称賛されているのかがよくわかりません。
テレワークの推進はわからなくもない部分がありますが
工場勤務なら、テレワークができないですし。

ここは政府に、赤字国債をバンバン発行してもらって
マスクや消毒液の予算よりも
京都大学・IPS細胞の
山中教授をコキ使うよりも
まずは政府が率先して財政を出動して
ワクチンの開発に予算をつけるべきだと思うのですが。

公明党は消費増税で、小さくなった日本の経済対策で
一律10万ならば、人気も出たでしょうに。
今回で、さらに、企業や労働者の保護と
弱者救済策を真水で数十兆円規模で出し、
政府の政治判断を訂正していければ
無党派層が大挙して投票したでしょうに。

この記事を書くにあたって
武田邦彦(中部大学教授)先生のブログと
苫米地先生のYou Tube動画と
三橋貴明氏のYou Tube動画、藤井聡京都大学教授の動画
須田慎一郎氏の動画、などを参考にさせていただきました。