母の薬の辞め時

前回緩和ケア病棟の看護師さんに、相談をして、
母の考えはある程度固まっていたようです。
副作用のある薬はもう飲みたくない。

診察中の母を待っていたら、母から呼ばれ、
途中から一緒に先生の話を聞くことになりました。

先生は、今まで母がどういう薬を飲み、どういう経過をたどって
現在はどういう状況で、今も、いくつかのお薬や点滴、等の
選択肢があるということを
とても丁寧にわかりやすく話してくれました。
そして今回、母が副作用のあるお薬はもう飲みたくないと言うことで、
ガンを抑える薬の治療はすべて止めることも。
1週間に1回位予約していた問診やCTも全てやめ、
次回は約2ヶ月後の予約となりました。

これからは、ガンが増えていき、それに伴って症状も出てくるでしょう。
痛みが出てきたり、お腹に水が溜まったり、様々です。
そうなった場合、これから先は、対処療法、緩和ケアとなります。
っとのことでした。
そして、母の意向で延命措置はしないこと。
特に心臓マッサージや、電気ショックなどで、一時的に組成することもあるが
末期がんの患者さんの場合はあまり勧められないということも。
ので、母と共に確認書類にサインしました。
おそらく人工呼吸器や、点滴なども。

母が薬をやめたことを、その場で考えるのは無理だと思い、
一旦家に持ち帰ってから考えようと思い、
母を車椅子に乗せて、お家まで帰りました。

家に帰ると、悲しみがどんどんと湧いてきました。
いろいろな不安や、母のこれからのことを考えたり、
いよいよ、緩和・対処療法に入っていったか。お別れの段階が近いのか。
母は、一時的に元気になるかもしれないけれども、
ガンが増えていき、衰えていくんだ。そして死ぬんだ、っと。

「悲しみ」は、喜怒哀楽の感情だと思ったので、
私は、「感情は抑えない」という考えなので、
ただただ、悲しい思いが湧いてきました。
自分を責めたり、過去の後悔をしたりという思いは
自分を責めても無意味。過去の後悔も無意味。
自分を責めるにあたっての、裁判でも通用する「確かな根拠」がなく、
過去に対しても、やり直せるのならば良いのですが、
(もしくは過去をタイムマシーンで他人と見ることができる訳でもない)、
過去に戻ることはない上に、過去というのは記憶の産物で、
自分の妄想と同種類にも思えますし、過去にこだわっても良いことがない。
だいたい自分の過去というのは、後悔や自分責めばっかりしちゃうくせに
自分の記憶(≒妄想)と言う不確かなものなので、それにも無理がある。
自分の過去はどう頑張ったって、後悔とか自分責めとか、過去を脳内リプレイしてに苦しむとか、
になるしかないし、
これからもその繰り返しであることはしょうがないと思っています。

一方で、過去の母にも現状の母にも、なんで母はこんなに頭が良いのだろう。
薬をやめたのも、母が決めたのだから、今が最高のタイミングなのだろう。
しかし、なぜに母はこんなにも感覚的にも頭がよく、偉大なのだろう。
本当に今一緒に生活できることがありがたいし、どれだけ私が助けられていることか。
もはや凄すぎて偉大すぎて意味不明です。

ただ、母親自身も、今回のお薬で散々その副反応に苦しみ、
このお薬をやめることは、ガンを抑えることを辞めることでもあるという
理解はあったものの、やはり、近代医療に見捨てられたか。
っと言う悲しさがあったようです。
死に真っ直ぐ向かっていくという、想像もつかない悲しさもあったでしょう。
しかしその一方で、CTの検査による体と気持ちの負担や、薬の副反応を考えなくていいなど、
楽になった部分も芽生えてきているようです。

もう、ガンを抑えることはないでしょう。
やはり、悲しいことです。

前回、私の精神科のお医者さんに、お金さえあればなんとかなる。っということを
母は、挨拶の時に言ってくれたようで、先生にもそう聞かれて
お金さえあればなんとかなりますね。っと気軽に答えてしまいましたが、
お金があっても(実際無いのでしょうがないですが)、社会とのつながり。
厳密に言えば人とのつながり、社会に関わって生きていくことが、
なくなりつつあることは恐ろしくもあります。
(母には余分な負担や心配をかけたくないので
お金さえあればどうにかなるということも、「うん。そうだね」っと言っています
母には、生きたいだけ生きて、余分な心配や負担がなく、死にたい時に死んで欲しいからです)
(こういうカッコ良いことが言える立場にない自分が申し訳ない)

兄は自分の家庭をもっています。
ですから、人間関係においても、兄弟ではありますし、
実に頼れるし頭もいいし勉強もできる凄い人なのですが、
別の家族の人なので、連絡は遠慮しています。
たまに面白い記事や動画を見つけたら送るくらいです。
兄にとっては自分の家族、つまり奥さんがかけがえがない存在でしょうし、
兄が務める会社や、奥さんの会社、親戚、そして友人関係があり、
そこを考えると、控えめな関わりになってしまいます。

私の社会との関わりは、
父と母。になります。あまりに偉大な存在です。
金さえあれば孤独に生きていけるような人間など、居るのでしょうか。
働くとか、社会に奉仕するとか、それができれば良いのですが、出来ませんでしたし
これからも出来ないでしょう。
そうなった時に怖いのが、社会に迷惑をかけることで関わろうとすることです。
しかも無意識に(迷惑や凶暴や他人を尊重しない等)。
話し相手や相談相手が居ないと、考えがブラッシングされたり
フィルターを通したり、簡素化されたりが出来なくなり、
一般性や社会性を大きく失うでしょう。
例えば、立ちションをすれば、犯罪ですし、迷惑もかけますし、家や近所を汚された人を傷つけます。
ですが、そう言う当たり前の思考が、できなくなっていくのではないかという心配もあります。
今考えてもしょうがないことですが、
今お世話になっている精神科の先生も、いずれは診療をやめるでしょう。
父もどうなるかわかりません。
そこは今から考えておかないといけないかもしれません。

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