メンタル

2018年 09月30日 自分の顔が気持ち悪い

証明写真や、免許証の写真(私は身分証代わりに原付きの免許保有)は

当たり前のように、自分の顔が気持ちわるいです。

 

しかし、いい年コイタオッサンだし、

自意識過剰に自分の顔の気持ち悪さを気にしても

整形するわけでもないのですから

気にしないように、していたのですが、

昨日不意に、自分の顔の気持ち悪さに、引きまくりました。

 

顔面の比率が、七三分けか!と言う感じの顔面。

汚い肌と、気持ちの悪い顔面比率。

 

歯は黄色くガタガタで、不愉快。

 

なによりも目が、不審者丸出しです。

 

形などではなく、目の雰囲気が、

不健康のヤバイ不審者丸出しです。

 

運動不足。

不摂生。

姿勢が悪い。

歯並びが悪い。

性格は、卑屈で暗い。

 

それを見事に表現している顔面のキモさ。

いや、それ以上に感じる顔面のキモさ。

自分で、引くほどのキモさ。

 

ただ、だからと言って、この顔面を変えようがないのですから、

受け入れて、意識しないようにしていくしか思い浮かべません。

 

だから、まずは、己の顔面のキモさや、リアル感満点の自分の顔を

とにかく、これは自意識過剰だと、

人に見られているわけでもないし、

人に見られる生活でもないですから、

自分さえ気にしなければ、精神的にはなんとかなりそうな気もします。

 

っと、言いますか、そうしないと

自分の顔面なだけに、自意識過剰をこじらせる確率が高いと思うので

認知行動療法などを使って、気にしないようにしていきたいと思っています。

 

 

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2018年 09月09日 憧れや癒やしでもあった、写真集という救い

いい夢を見てしまいました。

 

益若つばささんに、似た女性とイチャツク夢でした。

なにか事務所のような場所の中で、

超・密着してきて、その素敵なお顔と密着感を楽しむことが出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、

色々と、事務所に来所する女性の

「もう、思わせぶりに見ないで」と言う感じの仕草など、

私がへこむ事務所内のやり取りや、

家に帰ろうとしても帰れない感じの夢を見ながら、起床いたしました。

 

初恋の人は、

まさに益若つばささんが表現した笑顔を、

思いっきり表現しまくる、真顔でも表現しまくる女の子でした(たぶん)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時はまだ小学生の低学年だったと思いますが。

 

私は、

同い年=友達。

以外の価値観がなく、

女性の心理や、女性の心を考える。

そんなちびっ子ではなかったので、

たくさん、たくさん、この女性を傷つけたのではないかと思います。

 

自意識過剰ですから、妄想だと思いますが。

 

私が、強度の引きこもりになった時、

その救いは、写真集でした。

「女性を見ていい」のですから。

 

見ていい。

 

そして、

こんなふうになりたい。

 

そんな思いも多分に含まれていました。

 

私は同性愛ではないですし、女装癖もないですが、

「見ていい」「こんなふうになりたい」っと思う人は、

すべて写真集の女性でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考えてみれば、高校生の時から、

女子に対する憧れ(屈折した性欲)は、凄まじいものがありました。

 

肌が白くって、可愛い髪型をしていて、

可愛い服を来て、

何よりも、顔がすっごく魅力的で。

繊細でキャシャで。

 

成長しきれていない私は、

ただただ、週刊誌のグラビアを見ては、ごきげんになり、

こんな見た目になりたいなぁ~。っと憧れてばかりいました。

 

写真集の女性を見ながら、

「この女性ならば付き合いたい!」っと、

屈折した性欲と、童貞をこじらせすぎて

上から目線で、女性を見ていましたが、

世の中のすべての女性にビビっていました。

自意識過剰が強すぎて。

同時に過去の記憶(妄想)からの自意識過剰も強く

逃げるように写真集を見ていました。

 

その一方で、写真集の女性の方々の、

スタイル。ガタイ。にも注目していました。

松浦亜弥さんのガタイの良さが理想でしたが

ヒョロガリな上に、ノイローゼで節食障害もあった私は、

どうあがいても体重が増えず、

かと言って減らず、

公園に行って走ったり運動したりしていたのですが

微動だにしない体重は無視して、

形を意識するようにしました。

 

(ただ、足はルパンのごとくO脚で、姿勢はひどい猫背だし、鏡の前だけで粋がっていましたが)

 

そんな体重や体型の変化が起き始めた30代中盤。

じみーに、良くなっていたノイローゼが

「良くなっているのではないか?」

という思いを持てることが出来ました。

 

写真集を出版してくれた多くの女性には、

ただただ感謝の念しかありません。

今はもう、昔ほどの集中力や、憧れを持って写真集を見なくなったし

写真集自体も見なくなっていますが、

若くて、可愛い。美しい。スタイルがいい。

そんな貴重な姿を見せてくれたのですから。

 

 

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2018年 08月21日 自己対自己

朝の10時に目が覚めた場合、

私の場合は、ここから

もう一眠りします。

 

気合を入れて頑張って。

 

たとえ全く眠くなくとも、

背中が痛かろうとも、

昼過ぎまで寝なければ、持て余した時間を

自分で、自分を苦しめる 時間に使ってしまうからです。

 

気分の悪い夢を見た時も、

気合を入れてもう一眠りします。

 

夢には迫力があるので、

悪夢や、イメージの悪い夢を見た後だと、

起きた後、苦痛なのです。

 

もう一回寝ることで、

なんとかリセットしようと試みます。

 

ただ、人は過剰に寝すぎると、

体(特に太もも)が汗をかくようで、

それが原因で、不快な夢を見たり、

不快な思いをすることもありますが。

 

「持て余した、「体力・気力・集中力・精神力」を持つ・「時間」」が怖いのです。

 

その時間に、色々と妄想してしまったり

自分を責める過去の記憶を蘇らせてしまったり、

それなのに時間は全然過ぎていません。

 

さらに、

脳のキャパシティーや、お腹の中や、体の中に、

核分裂と言いますか、

マグマのかけらと言いますか、

そんな感じの

「自分にとって極めて不快なエネルギー」の存在を感じます。

 

体力や集中力はあるのに、今の自分には、なにもない。

 

だから、エネルギーが放出されずに、

体内に無理に溜まってしまってしまうのでしょうか。

 

凄く「グツグツ、イライラ」としながらも、

あてどころのない感覚にさいなまれます。

 

それが怖くって、無理やり寝るのですが

最近はあまり眠れなくなってきました。

 

負のスパイラルに入ったのかもしれません。

 

若い頃ならば、習い事の稽古を一心不乱にしたり、

公園に行って走ったり、

最近でも、

ストレッチをしていましたが、

発散されないイラ立ちが、

余計に重いストレスとなって のしかかっているようで、苦しみを増します。

 

 

私は父親と母親を尊敬しているし、

これ以上の迷惑はかけたくないので、

昔は「反抗期」っと、言い訳できた反発も、

今は全くしたくないですし(そもそもオッサンですし)、

自分のはけ口は、自分でなんとかしたいものです。

ただ、他者とのコミュニケーションが一番だとも思いますが。

でも、他者とのコミュニケーションでもすぐに調子に乗るから

自分が人を傷つける存在であったり、

鬱陶しく思われてしまう経験多数。

 

トイレ掃除も、ストレス解消や

マグマの破片消化には有効的な気がします。

 

私は自傷をしたことはありません。

リストカットとかなのですが。

 

でも、昔から自傷癖のある方とは

メル友だったり、オフ会で会ったりもしてはいました。

 

その頃は自傷に至る動機に関心がありませんでした。

まともに立つことも呼吸も出来ない

自分のことで、おっつかないくらいでしたから。

 

何年か前に、自傷癖のある方々のブログにコメントを残すようになって

若干、

その方々が抱える、自傷に至る、

なんとなくモヤモヤした理由のようなものを感じました。

 

私自身もそうですが、

働いている時間や、睡眠時さえも、

モヤモヤと、ふつふつとしたマグマの破片を

それの正体がわからない、

言葉に出来ないどころか、表現なんてオクがましいくらい

なんだかわからない

本人一人ではとても抱えきれない重さを誇る何かを

背負い続けているではないかと思いました。

 

表に出せるすべもなく、

自分自身に貯め込む(背負い続ける)しかない上に

(でも、自身のキャパシティー(背負う体力は)はとっくに超えている)

自分自身の中には、核分裂をしているエネルギーがあって

中身が何なのか、いくらアプローチしてみてもわからない

苦しみのカタマリを背負い続けながら、なお、

なんとか踏ん張って、頑張っているような方々と言いますか。

 

それは、いついかなる時もその本人を責めていくような。

寝てるときや食事の時や、一人でいるとでさえも。

 

唯一その苦しみが

目に見える形(自分で確認できる苦しみ)にできるのが

ひょっとしたら自傷行為なのかなぁ。とも思いました。

 

(性行為に依存しがちな自傷癖の方には、性行為はあまり発散にならないと思うような)

(男女の出会いやセックスのような感情に作用するであろうことにおいて

不健康な他者とのコミュニケーションはツラくなるダケのような気がします)

 

 

全身転移の母親に、少しでも長生きしてほしい気持ち。

 

戦争を生き抜いた父親に、一日でも長く行きて欲しと願う気持ち。

 

幸せな結婚をした兄のじゃまにならないように

迷惑をかけたくない気持ち。

 

この、お腹の中に貯まる

そして脳を締め付ける、エネルギーは、

他者との親交によってしか、発散されないような気がします。

 

でも、私はすぐに調子に乗って相手の弱い所を攻撃してしまうし。

優位に立ったら立ったで、怯えますから。

 

人間関係が未熟すぎるなぁ~。

 

 

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2018年 08月17日 昔書いた履歴書を読んで、具合が悪くなる

応援しているアーティストさんがいるのですが、

ここ最近「変わらなければ」とか、「自分と向き合う」とか、「変わることって苦しいのかな」など、

何かあったのかな?っと思う投稿がSNSで目についたので、

・好きな人に振られた

・好きじゃない人に告白された

・何かしら事件にあった

などと考えていましたが、

ひょっとしたら、

自分とは何者なのか?と言う思いにかられているのかなぁ~。っと思いました。

 

そこで若かりし頃の自分の記憶をたどってみました。

 

その頃は、何者でもない自分が、恥ずかしくって、苦しくって、

あまりにもその思いが強すぎて

その隙間にスッポリと、自意識過剰と、こじれた被害者妄想がはまり、

集中力と体力を振り絞って

自分の首をグイグイ締めていました。

 

ドンドン鬱になって行き、焦りも強く、イライラしながらも

必死に現実逃避(テレビを見まくることで、空想の世界の住人になる・自意識過剰たっぷりに)を

しまくってもいました。

 

何者でもない自分を、何者かにするためには

どうすれば良いのかを考えていたら、

ノイローゼになり、最終的には精神科にお世話になって

日常生活もままならない体調になっていました。

 

ただ、そのことで、「病人」にはなれた訳ですが。

 

(全員が全員、精神的に病むようではないようです)

(ある方は、狂ったように同じ戦車のプラモデルを作りまくったそうです→その後社会人に)

 

全く病気が回復していないのに、

何者でもない自分への恥ずかしさは

自意識過剰も手伝って

やはり苦しいものでした。

 

社会人になれば何者かになれるかもしれない!

っと言う、短絡的な思考で、社会人になることを目標としました。

 

日常生活もままならない体と意識なのに、

そもそも良い考えが浮かぶわけもないですし、

仮に社会人を目指しても、なれるはずがないのですが、

(なったとしても続くわけもない)

思考力と集中力は、ほぼ全てノイローゼに持っていかれていますから

立つことすら苦しい体で、強い焦りの中、履歴書を書くことにしました。

 

震えが止まらない手に力を入れて、なんとか書こうとしたら

ゲロを吐いて気を失いました。

 

普通に考えれば、その時点でどうかしている自分に強い警戒感を持ち

一旦落ち着かなければと思うものかもしれませんが、

社会人になれれば、なんとかなる。と言う浅はかさで

履歴書を書いていました。

 

(たとえ社会人になれたとしても、やり甲斐を得られなければ、やはり何者でもないと思います。

社会性・人間関係を持つ会社組織のなかで、自尊心や、自己認識欲も得られなかったでしょうから。

やはり、どんなに少しでも良いので、就職それ自体ではなく

気持ちがある仕事を探すべきでした。)

 

またこの履歴書というのが辛かった。

 

経歴の空白期間。この時期何をしていたかと言う「嘘」を考えるわけですが

それも、嘘バレバレの嘘を書いていました。

でもそのくらいならば大したことはなかったのですが、

「長所」「短所」の欄が、とてつもなく苦しみを己に与え続けた記憶があります。

 

おそらく

自分で自分を客観視出来ているか?と言う、項目だと思うのですが、

そもそも自分にこだわって、ノイローゼになって体まで壊したのですから

苦しいに決まっていますし、

多くの方々が、「自分の長所」「自分の短所」を考えた時に、

本当に書ける人がどれくらいいるのかと思ってしまいます。

 

オッサンになった今、

自分の本心から、長所・短所、を考えたら

急激に具合が悪くなりました。

 

それでも一応考えついたのが、

長所は「ない」

短所は「わからない」でした。

 

そもそもオッサンになった今、

人としてドンドンレベルダウンしていくこの感覚は

「自分」「自我」「自意識」「我思う故に我あり」「自己への客観性」「自分の社会的存在理由」などなど、

そんな事を考える体力も集中力もありません。

といいますか、そもそもそんなものは無いという感覚になったといいますか。

 

若い頃は、「自分」の身の置所。(居場所探しという方も居ます)

社会的にも認められていて、恥ずかしくない場所を漠然と手に入れようとしていました。

「何者かになりたくって」しょうがなかったのです。

だから自分を客観視しようともしました。

 

そしてなぜだかよく寝てました。

精神科に通う頃には、ほぼ睡眠が取れなくなっていましたが

その頃を除けば(と言っても何年もですが)、

若い頃はよく寝ていたという記憶がございます。

 

高校を出て、もしくは、専門学校、短大、大学、大学院を順調に卒業後

順調に就職して、社会の中で生きておられる方々も

若い頃は自分を苦しめる思考を持ったり

よく寝るのでしょうか。

 

昔のお嫁さんの多くは、

家事手伝いを経て、結婚ということで、社会の一員になったと思います。

そのことによって、「社会的肯定感」や「自尊心」「自己認識欲」などは満たされていたのかもしれません。

今もそうかも知れませんし、

全くそうじゃないかもしれませんが。

 

しかし、

さすがオッサンになると、若かりし頃の記憶ももはやぼんやりとしていて

苦しみぬいた毎日を送った日々を思い出そうとすると

もうあの日々は来ないでほしいと心から思います。

 

大島渚監督の映画に「青春残酷物語」というのがあります。

見たことないので内容は知りませんが

この映画のタイトルは、その通りだとも思いました。

 

いまは、肯定感もなければ否定感もないように思います。

そもそも、「自己」を考えなくなった(られなくなったオッサンだから)とも思いますし。

 

 

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