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2006年10月30日の記事は以下のとおりです。

2006年10月30日  メンドイ社会

親の親の世代の人達。
もしくは
そのまた親の世代の人達は
おそらく、
今の24時間労働に匹敵するくらいのことはしていたと思います。
その意味においては
精神論や元気な人や少しうるさい人がいるのも
非常によく分かるのですが
その時代には同時に根強い差別が存在していたことも
見逃せないとも思っています。

モチベーションが、幸福の追求ではなく
生まれながらの身分と差別意識があったのだとすれば
過剰労働やアナーキーな行動自体は理解できます。

少しカリスマ性を持った者が存在した場合
アナーキーの方向に走るでしょうし
生まれながらの身分制度は
差別意識からの行動力に繋がるとも思いますが
予想に過ぎません。

現在は、幸福の追求にそのモチベーションがあるために
少ない疲労で大きい楽しみにあると思うのですが
おそらくこの影響下で
30~50年近く、過剰労働が激減したのではないかとも思われます。

でも、これは悪くもなんとも無くって
良いことのようにも思いますが
幸福を追求する権利を有することが
少ない労働で大きな楽しみにリンクしてしまい
抜け落ちてきたものも多いと思います。
でも、この権利はとても大切なものだとも思います。

幸福の追求だけが有する権利ではないように
めんどくさい事や嫌なこともまた義務だったりもします。

だからと言って
国や社会にだまされるのならばともかくとして
(そんなことに気がつけるわけがないですから)
個人や集団や企業レベルにだまされるのは
痛い人生坂道ころころになっちゃいます。

差別社会は最悪です。
その視野の狭さは
幸福追求に比べたら無いも同じくらいの視野の狭さだと思います。
(欲しい物が必需品だったりするくらい)

でも幸福の追求を求めるのならば同時に
リスクや危機感と
それに伴なう勉強もまた必要なので
めんどくさいですが
体を動かし頭も動かすことを
チョットでも良いから
しなければ行けない世の中なのかもしれません。
あぁ、めんどくさい。

2006年10月30日  肉体労働家事手伝い。

家事手伝いと言う立場ですから
自身の妻や夫、子供を見ながら生活しているわけでもなく
その存在もないわけですが、
常々家事の肉体労働っぷりには
十分な休息と食事が不可欠だと思いますし
喜び・楽しみ・嬉しさ、などの感情も必要だと思います。

そして準備運動と
日暮れの運動。

もはやアスリート並みの生活環境を思い浮かべてしまいますが
力の入れ方と抜き方。
疲労と蓄積が、
家事の場合、とても分かりにくいのです。

お風呂の掃除にしても
連続運動ではありません。
しかも3時間とかやるわけでもありません。

洗濯や買い物、食事や炊事などにしても
同じだと思います。

しかし、閉鎖空間の中でのこのような運動は
蓄積していく気持ちの疲労と肉体の疲労が
自覚無くたまっていくのではないかとも思います。

それゆえに
家事は家族で分担性にするのが理想中の理想なのですが
専業主婦は、もっと高いもの買ったりして欲しいものです。
家と家計を預かる身なのは分かりますが
僕の母は自分の為の物を買うことのために
何かをしていることを見たことがありません。

これは子供としてすごく悲しかったですし
必死に説得して
死んだ後に母が欲しい物を、死んだ母は買えないでしょ?
とか
母が自分のためだけに欲しい物を買ってくれないと悲しい。
とか、
一生懸命説得したり付き添ったりしました。

家を空けたり家計から開放されること。
そしてそれをパートナーが喜ぶ顔。
更にそれを見て安心する子供。

専業主婦は、日頃から
気持ちと肉体の疲労を蓄積しているのですから
もう少しハチャメチャになって欲しいとも思います。

あと、アキレス腱ぐらいは
朝晩は伸ばして欲しいとも思います。
出来たら屈伸も。
出来たら外に出て2~3時間散歩することとか。

連続運動で
気持ちと体からのアピールを聞くことも出来ると思うので。

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