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2006年10月の記事は以下のとおりです。

2006年10月14日  感謝されました

目覚めと同時に
呼吸困難な兄が部屋の前でゼーゼーと。

こう言う場合は
「大丈夫だよ(ニコニコ)」
「苦しいのは君だもんね(ニコニコ)」
という反応を意識的にすることで
・苦しみまくっている本人が苦しみを伝えようとしてくれる
・僕自身もそう言う気持ちを表情で伝えるので
僕の気持ちが僕の表情を通して
相手の態度から伝わり
自分に帰ってくるから
僕が楽になる。

現実的な問題として
素人の思い付き医学は精神論が強すぎるので
症状が軽かろうが重かろうが
やってはいけないと思うので
責任を丸投げしているとも言えますが
それで良いと思います。

何も出来ない時は何も出来ないのです。

僕は何も出来ない相手を前にして
「僕は何も出来ないけど」
と思うと
相手が望むことが入って来やすくなったりもするように思います。

幸・不幸は人を選びませんし、意味もないと思います。
理屈ではないのですから。
大体この手のことを理屈で考えると
不幸な思考に入って行き落ち込んじゃいます。

寝ぼけ眼の中
兄から病院に行くという言葉を聞き
普段どおりの動きで外出準備。
動きも表情も「いきなりぶっ倒れても大丈夫だから」とか
たぶん思っていなかったようにも思いますが
何も出来ないものは出来ないですから
ぶっ倒れられたら、救急に電話するだけです。
そうなったらものすごく慌てるでしょうが、
「救急に電話くらいは出来るよ」という感じで
「いきなりぶっ倒れてもいいよ」という感じです。

病院に着いたら
眠気爆発。
寒かった朝方とは違い、段々暖かくなってくる外。
空腹。
しかも結構重かったらしく
相当待つようなので、買い物をしたりしました。

帰宅後
グッスリ睡眠に入る兄を見てそのまま部屋で僕も睡眠。

風邪引きそうになりました。

その後、兄に感謝されましたが
まっっっったく、何もしていないので
感謝されても実感なし。
現に、病気を耐えまくり、気合で治そうとして
より辛い思いを何日も何ヶ月もした挙句
耐え切れないくらいの苦しみを何時間も味わって
治療したり、今後治療をするのも
僕ではないですから。
そしておそらくそこまで悪化したのは
責任感の強さや、他人思いの気持ちによる
悪循環のミックスアップだと思うので
自身の健康も注意して欲しいな、とは思いますが。

僕がしたことと言えば
病院に一緒に行っただけ。
要らないと言われれば、要らない役目です。

それでも感謝されたのは嬉しかったです。
そして何よりも
兄が治療や健康に向き合おうとしてくれたことが
何よりも何よりも
嬉しいのです。

日曜日に普通に外来をやっていてくれて
長時間にわたり、他の外来の患者さんを診ながら
診察してくれたお医者さんは、さすがとしか思えません。
看護士さんにしても
ただの付き添いの僕にまで丁寧に親切に接してくれて
とっても嬉しく頼もしかったです。
さすがとしか思えません。
お医者さんの顔は見れなかったですが
看護士さんはモテまくっていることでしょう。
まさに女神様でした。

2006年10月13日  理屈⇔感覚(心療内科)

理屈はおそらく

脳の中で
緊張させる神経伝達物質や
だるくなるような神経伝達物質が出ていて
それが過剰に出てしまう癖が付いたか
そう言う物なのかは分かるのですが

気持ちの中で出てくる言葉が

だるい
つらい
厳しい

などの
感覚的な言葉で
場所や人などの状況に応じることから

感性

による言葉が主流だから
理屈じゃなくって
感覚的な言葉でしか言えないですし
実感としても
感覚的なものになってしまいます。

調子が悪いときに飲む薬などを飲むと
20分から30分で効き目が出てくるのか
確かに
つらい
苦しい
厳しい
などの感覚からは楽にはなれます。

たぶん理屈も知っておいた方が良いのかもしれないけれども
やはり
感覚的なもののような気がしまくりですし
出てくる言葉も感覚的な言葉ですし
感受性に訴えかけられる症状の発生でもあると思うので
感覚的なものとして
回復に努めて
理屈も効く事を知り
結局は、
いかにして休むことができる体を確保できるか
と言うことになっちゃいそうです。

回復に向かいまくっている今でも
当時と同じ言葉である
つらい
苦しい
厳しい
無言
などの受け答えをしています。

結局のところコレはいったい何なんだろう?
そう思うと
「病気」として考えるしかなく
治療に通えば
病気は回復するはずだし
治るはずなので
焦りはもうとっくに無いのですが
どうにかならなっかなと思っています。
(薬が効いてきました)。

2006年10月11日  とある家族を見て。

知り合いの家族を見ました。

知り合いは父親で
赤ちゃんと子供1人。

赤ちゃんはよく分かりませんでしたが
子供は
父親にも母親にも似ていて
面白くって可愛かったです。

そして、
若い父親や、母親が
とても大変だろうな・・・。
と勝手にネガティブに思っていたのですが
お父さんの近くに居たがる子供
お母さんから離れたくない子供。

子供を抱っこして
ピタ!っと収まっている父親。

ホンワカホノボノ。

見ているだけで心地良い気分になっていきました。

母親ってめちゃくちゃ大変そうじゃないか!
父親ってめちゃくちゃ大変そうじゃないか!

多分相当大変だとは思いますが
知り合いにそっくりな顔をしている子供は
無条件で可愛さを放ち
しかもその家族はホンワカホノボノしていて
仕事や育児は
大変かも知れなけど
メチャクチャ幸せそうに見えました。

がんばり過ぎるとか
過剰に家族を意識しすぎるとか、
きっと
そんな必要は無いんだろうなと思いました。

大変かもしれないけれど
幸せをフンワリ放っていたその家族は
とてもとても
素晴らしかったです。

2006年10月11日  安物買いの銭失い。またやってしまった。

かねてより
買出しのトートバックが直す範囲を超えて
ボロ布をガムテープでつなげて縫いました。
と言う
本来の役目に終止符を打たなければならない状態を
はるかに超えて使用していたので
オークションを使い落札しました。

一つは
懸賞でもらえるものらしく
小さめでしたが
しっかりとした作りで
満足のいくものでした。

もう一つは大きめの物を購入しようと思っていたので
大きめのサイズのものを購入したのですが
布が薄くて
重いものは入れられない作りでした。

ので、
一回ばらして
作り直しをしようと思います。

絵柄には文句はまったく無いので
手さげの部分と
マチの部分
底を作る
この作業に入ろうかと思います。

すでに
600円
足すことの糸と布。

労力。

オークションのバックならば
外れないだろうと言う思いが甘すぎました。

洋服は試着して悩んでから。
靴やなんかも同じくですから
これだけはOK
オークションでも中古でもOKと言う物は
あんまり無いような気がしてきました。

艶女神達の映像くらいじゃないかと。

2006年10月11日  育児に対する不安

出産してからも働きたい。
でも、
子供の顔見たら
本当に働きたいのかな。

妊娠して
出産して退院するまで
ある程度の期間は
病院に居たり
家で安静にしなければならないとは思いますが
それって
仕事と切り離して考えないのでしょうか。

仕事を辞めて
子供がある程度大きくなってきたら
また働き出したい。

でも、出産前よりも仕事が選べない。

そういう社会システムと言うか
そう言う社会。

それを変えていこうとすることが本当に
良いことなのかとも思います。

生活の為ならば
ドンドン使えない政治家にクレームを入れて
当然のことである
能力を認めさせられる職場に行くことは良い事だとは思います。

でも、
必要以上の贅沢や
子供に必要以上に金をかけたりして
子供や父親や母親の
誰が幸せで楽しいのだろうと思います。

楽しい勉強もあれば
塾が全て苦痛ではなく楽しかったこともありましたし
習い事に苦痛を感じれば
即効で「やめたい」と言い出しましたが

子供を生み育てること自体が
通常の発想ではないから
子育てや子供の将来などは
あまり具体的に考えなくっていいような気もします。

どうしたって金や時間や労力が必要なのは思いますが
目の前に栄養を置いておけば育つわけじゃないから
子供の近くに居て欲しいな。
そう思ってしまいます。

2006年10月11日  厄介な病名(心療内科)

自らの症状が書いてあるサイトを見て

原因と結果。
~だから○○。

という説明を読んでみて
結局のところ
病気と向き合うことには変わりが無いわけですが

「よく分かってはいない」
「たぶんこういう理屈」

と、書いてあったことで
救いが持てました。

専門家と呼ばれる方々でさえ
「よくは分からない」と言わざる終えない症状。

それを持ち続けて
生きてきたのですから
なかなかナイスな人間だと思えてきました。

専門家がよくは分かっていないことを
いくら当事者だからと言って
家族や友人などに分かりやすく説明できて
納得させることができたら
それはよく分かっていることだと思うので
有り得ない話です。

よくは分からない。

当事者や家族や友人たちにしても
当たり前の話です。

人に伝える言葉の難しさは
限界があると思います。

「絵」を使って説明しても
やはり難しいとさえ思います。

そのサイトにも書いてあったのですが
孤独に陥ることがよくあるようです。

説明できないとか、隠してしまうとか。

症状がある程度までくれば
隠し通せるんじゃないかな?

そう思ったことは最近でもよくありましたし
過去に何度も試みましたが
結局は自分自身が辛くなり
「もう隠せないな・・・。」
と言うこの世の終わりのような
考えを持ち始めてしまい
みじめな気持ちに入り込んで
孤独を望むかのような生活に入っていきました。

症状が出まくってしまい
それはなぜ?
と言う問い掛けに、答えられなかったのです。

今考えると
やはり答え方が見つかりませんが
適当な説明や、誤魔化しは
自分自身が辛いので
やはり一度は診断名を
医師に聞いておいた方が良いとも思います。

そして、聞かれたら
診断名を言ってしまう事も
ひとつの手として考えられます。

考えてみたら
病気なのです。

病気は人を選びません。
自分を責めることもないのです。

(ただ、この手の病気は自分を責めまくってしまいますが
そういう時は疲れているので
十分に休んだほうが良いと思います)

しかし厄介な病気です。

人には説明することが困難で
症状は
厳しく自分を攻め立てることに繋がりやすく
しかも孤独化していく道のりが見えますから
最終的には餓死しちゃいそうですが
そうでもないんですけどね。

でも厄介だ。

2006年10月08日  ただの愚痴

夜の公園。
若い人が集まっていたり
(貫禄が有り過ぎる)怖いグループがいたり
ランナーが早いペースで走っていたり
猫が暇そうに楽しそうにしていたり
犬の散歩をしている人と
犬が散歩を一生懸命していたり
とってもとっても良いことだらけな空間なのですが

「やぁだぁ~」

カップルがイチャツイテいるんだろうな。
そう思って、いつものゴール地点に行くと
そこにカップルが・・・。

やむなく、場所を移動。
と言っても
今日のような公園は
ランナーも多いのですが
グループもカップルも多いから
行き場が無かった・・・。

この際カップルが休日の夜の公園で
ヤッて良いことにします。
どうぞヤッてください。
その方が
こっちも素直に場所をあきらめられますし
中途半端に楽しそうだから
むかむかするのです。
キスとか、チョットもみもみとか、
そう言う事は
ご飯食って一息ついたときに済ましておいてください。

夜の公園では
どうぞおヤリになってください。

誰も文句は言いません。

誰も見ません。

誰も興味なんか持ちませんから。

うるさいとは思いますが
どうぞヤッてください。

2006年10月06日  孤食

今日の診察で
お医者さんが「孤食症」と言う
「症状の一つ」を話してくれました。

今までは、

飲み込むことが恥ずかしいのかな?
飲み込む音が恥ずかしいのかな?

いえ・・・。
飲み込むこと自体がつらいんです。

と言うやり取りでした。

診察ではついにその壁を越えました。

「孤食症」

命名して発信してくれた人に感謝します。
外食はもちろん
家族や、『誰か居るのではないか』と思うと
水を飲むことすら困難だった日々が
薬を砕いてペロペロ舐めて
水を手のひらに少し乗せてペロペロ舐めていた日々が
成仏していきました・・・。

今はソフトドリンクならば
外でも飲めるのですが
やはり、外食はできないと言うか
しない。と言う選択をします。

孤食症同士の人達が集まって
オフ会のようなことをして
おそらく行ける人は食事に行く。
そんなオフ会もあるようです。

核家族とか自分の部屋で小さい頃から食べていたとか
そういう理由を(撒き餌を)お医者さんは話してくれましたが
家族での食事は
今でも兄との笑い話で
(見ていたテレビ番組に対するセンス)
学校では普通に給食を食べつくし
晩御飯も兄ほどは食べませんでしたが
人の中で食事をしてきました。

対人恐怖の一つなのでしょうが
この、「外食ができない」ことは
どれだけ惨めな思いと
アルコール代への出資と
それを見ていた兄の心を濃紺にして(表情が)
親を浮き足立たせて
良いことなんか一つも無かったですが
「孤食症」の人達のグループが存在したり
それを乗り越えようとしていたり。
コレを乗り越えることは
僕から見たら凄すぎる事なので
凄い人達だと思います。

そして、お医者さんも
アンテナを広げておいてくれてありがとうと思います。
直にお世話になっている段階では
感傷的な感謝の気持ちを持たないので
感傷的な気持ちにはなりませんが
常々、「診察は時間の積み重ね」を思い
気が付いてみれば、長年診てもらっていて
その間に回復しまくったのですが
やはり、ドクターショッピングと言うものは
僕自身には無い選択でしたから
本当に本当にありがたい話です。

2006年10月06日  障害者自立支援法

障害者認定がどの範囲までなのかは
まったく分かりませんが
人工透析で障害者認定を受けている方も居れば
心臓のペースメーカーもそうでしょうし
心療内科でもそうでしょう。

生まれながらに体が不自由な人も居れば
事故や病気で不自由になる人も居るでしょうし
知的障害者と呼ばれる人も居れば
盲学校に通っている人も居るでしょう。

通称、自立支援法は
厚労省の予算案に含まれていたので
野党全部が猛反発したにもかかわらず
予算を通過できない省庁がある訳が無いので
通過しました。

自立や共生は、
今までの福祉には欠けまくっていた部分で
障害者や障害者の家族は
外との壁があると言うものを
打破すべく立法化されたようですが、
障害者とその家族が
人とより多く接して行ければ良いとは思いますが、
ケアーが取捨選択できる程のボリュームの福祉制度は無く
国会において
民主党の枝野議員が声を詰まらせて言った
「私達(親)が生きているうちは良い。
でも私たちが死んだらこの子はどうなるのか。
と訴えられる御両親も居ます」
と言っていました。

障害者が社会との共生をする土壌は
地域と言う枠には無く
むしろ縄文時代のほうがあったような気さえします。

一律に1割負担。
(順次修正がなされたり、一部地方自治体が補ったりはしていますが)
働いたら、収入が無くなる生活。
働くために、生活のために
様々なケアーを必要とし
就労の場でも同じくケアーが必要なわけですが
予算通過以前は
収入の方が、若干上回っていたのですが
今は、働いたらケアーに払う費用が上回る
よく分からない制度。

障害は、生れながらだけではなく
誰もがいつ自分自身が障害者になるか分からないと思います。

テレビで放送されている中では
事故や怪我によって
障害者になった人が放送されていますが
介護をする家族や
障害を負った人自身の言っていた事には
「親には親の人生があるから、
私の介護をし続ける人生は、なんか申し訳ないから
ヘルパーさんとかの力を借りながら
一人暮らしをしようと思っています」
と言い、動かせる首から上で
パソコンを操って
収入を得て(大抵、数千円~3万円以下)
もちろん障害者年金(大抵、10万円いかなかったと思います)
なども含まれますが
ギリギリの生活でやっていこうと言う中で
自立を砕いちゃダメでしょう。
法律が。

僕が小学生の頃
養護学校との交流が定期的にありました。

杖を使えば立って歩ける方もいれば
車椅子の上でたまに目を開くくらいの方から
車椅子の上から「ウワ~」と言うだけの方だったり
車椅子からやたら蹴りを入れてくる方が居たので
「オイ!」と思って場所を移動したら
近づいてきてまた蹴りを入れてきて
近くに居た養護学校の先生が
「遊ぼうっていっているんだよ」と言ってました。
正直、頭に蹴りいれられまくったから気分悪かったんですが
「なんですか?なにしますか?」と言っても
ノンリアクションだったので、
また座っていたら、また蹴りいれられて
養護学校の先生に同じこと言われちゃいました。
せめて先生が
遊び方を小学生に教えてくれてもいいと思うのですが
書いたらきりが無いので、やめますが、

同じ人は二人と居ませんでした。
当たり前のことですが。

2006年10月05日  イケイケ中村獅童さん!

芸能人が社交ダンスを踊る番組。
芸能人が節約生活をする番組。

中村獅童さんが女性とウハウハなこと。

どれが正解なのかと思うと
中村獅童さんのような気がしてなりません。

中村獅童さんが女性宅に入りしばらくしたら
女性の彼氏さんが帰宅して
靴を持ってクローゼットに隠れる獅童さん。
ベランダから逃走を図る獅童さん。
忍者のように隠れる獅童さん。
夜のバーで飲み直す獅童さん。
そこに「釣りに行かないか」と連絡の入る獅童さん。

すべて僕の妄想ですが
普通の生活をしている人が
テレビに出ているのを見ても、
面白くもなんとも無いといいますか。

若い芸能人は
体付きはゴツク
顔は男性でも綺麗な顔をしているという
感じがします。

由実かおるさんは年をとらないし、
大橋巨泉さんの世代のテレビの人はなかなか死なないし、
体とかが
一般的じゃない人が多いと思います。
脳が異常フル回転していたり。

そういう人が
社交ダンスや節約生活や努力の末、技術を習得したり。

引退してからやればいいのに。

普通ではなかったはずの人が
普通のことをやって演出があれば
放送されてしまうものなのでしょうか。

それならば、
近・現代のことをやらないで
石器時代とかのことをやり続けてほしいです。

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2018/06/14 from じゅうのblog

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