兄夫婦が来宅しました。
お正月の夫婦での来宅は、コロナ以降なかったので、
とても楽しみでした。
若干、母の具合などが気にはなりましたが、良い意味で活発な感じがしたので、
心配するほどではない、っと思いました。
兄夫婦がご来宅。
お嫁さんの方はいつものように、とっても気を使ってくれました。
私は女性ではないし、お嫁さんでもないのでわかりませんが、
父の親戚にとても気を使う母を見てきたので、気の毒に思えるので、
回数が増すたびに、私もできるだけ気を使うようにはしてきました。
(兄は、俺にはもったいない。私は、兄よ素晴らしい方じゃないか。母は、兄を好きになってくれたのは嬉しいが、兄が不愉快なら別れてもしょうがない。囚われてほしくない女性の味方スタンス)
が、お嫁さんの方はいつも以上に、とても気を使ってくれていました。
最初から最後まで。
そして、時々そんなお嫁さんを気にかける兄。母も、ざっくばらんな感じで
活発な感じで、気を使わせないように、気おつけていたようにも思えます。
しかし、私はなぜか、当初からバテていました。
お嫁さんにも気をまわせず、兄に甘えてしまうような、
ぶっきらぼうな態度を終始とってしまいました。
お嫁さんはとても素直で純情な方だと思うので、
気だけを使わせてしまい、寂しい思いもさせてしまったかもしれません。
会話の仲間はずれ。(まるで)いじめですね。
言い訳をすれば私は兄夫婦来宅前から、とても疲労感がありました。
だから、お嫁さんがいないかのように、母と兄との共通の会話を
私の都合でしてばかりいましたし、とても気を使ってくれているお嫁さんを、
私は気を使わずに、かなりスベった人格で対応してしまいました。
兄夫婦が帰宅して、私が自分の部屋に戻ると、
疲労感と、私の妄想内の、父の思惑(計画)に対する邪推(私は人の心が読めないのに)、
を考えて嫌な思いになったり、過去の嫌なことを次々と思い出したり、
いつもの自分の一人のペースが、自分の部屋で一人なのに、全くつかめなかったりして、
疲労感も抜けず、邪推の妄想や過去の嫌な記憶ばかり浮かんできたりし続けたので、
これは年末年始で疲れているのだろう。っと思い、
睡眠を取れば、スッキリするだろう。っと言う、
とっても都合の良い、(自分勝手に)合理的な思考のもと、寝ようとしましたが、
今日の自分のだダメだったところが少し、自意識過剰に、きっと兄夫婦は私を心配してくれるだろう。
と言う、自意識過剰な自分本位の考えが浮かんだり、
父はどうしてメールの返信をくれないのだろうか。どう言う思惑(計画)があるのだろうか、
でもそれに乗るつもりは毛頭ない。などを考えていて、全然寝付けず、
そんな事ばかり考えても寝れないし、嫌になったので、
昔見た映画を思い出したりしながら、部屋の電気を消して、コタツに潜り、
寝れたら良いな。っと思いながら、昔見た映画の記憶をリプレイしていきました。
体は重く、全く寝付けず、落ち着きもなくなっていきました。
本来なら、母の湯たんぽのお湯を入れ替える時間でしたが、
体を動かす気になれず、食器片付けや、食器洗いも、今はできない。っと思うも、
私がやらなければ、母がやってしまう。そうなったら誰が嬉しいのだろうか。
誰も嬉しくないし、後で後悔するのは私だ。っと思い、
片付けなどを済ませはしたものの、暗い自分の部屋に戻って、コタツに潜って
過去に見た映画の記憶に浸るように務めました。
ネガティブなことばかりが浮かぶ頭の中と、自分本位の妄想。
全く寝付けない一方で目が冴えているのか、体は焦燥感を煽る感じでした。
無理やり、笑ったり、酒を飲もうか。っとも思いましたが、
テレビの光も、音も嫌でしたし、起き上がることもしたくはなかったので、
過去に見た映画の妄想に意識を持っていき、横になり続けました。
2~3時間経った頃に、少しずつ、ポジティブな今日の反省が浮かぶようになってきました。
時間はいつもよりも遅いですが、母の湯たんぽのお湯の入れ替えをしようという気になりだしました。
一通りの用事を済ませて、一応念の為に、改めて部屋の電気を消して
こたつに潜ってみましたが、2~3時間前とは、明らかに頭に浮かぶ思考が変わっていきました。
起き上がりたくない。光も音も嫌だ。っと思っていましたが、
ポジティブな考えも浮かぶようになってきたので、今日の考えをおさらいしてみました。
年末は、人もにぎやかだし、疲労も貯まるだろう。
母のことは、疲労があっても精神的疲労は皆無。むしろ感謝しかないですし、
とても勉強になるので、ありがたいくらいです。
そして、母はかつてず~とコキ使われ続けたからでしょうか。
私に感謝といたわりを言葉で伝えてくれます。
もったいないことです。母が私にやり続けてくれたことの足元にも及びません。
しかも、とても良い経験をさせてもらっています。やりたいからやっているのです。
兄に勧めたくらいでした。
兄も、母のお世話をしたいのなら、したほうが良いよ。
私はとても良い経験になっているし、勉強にもなっているよ。と
母と兄のお嫁さんがいる前で、兄に伝えたことは良かったと思えました。
兄のお嫁さんは、とっても純粋で向学心も高い方なので、「勉強にもなるよ」と言う辺りに
興味を持ってくれたようでしたが、その時の私は、疲労感が強かったので、スルーしてしまいました。
兄のお嫁さんに申し訳ない。あんなに気を使ってくれていたのに、
私は、まるで気を使えず、全然だったな。
母と兄と私の3人で集まったのならともかく、
お嫁さんが来てくれて4人なのだから、お嫁さんに楽しんでもらう。
そうすれば、お嫁さん大好きの兄も、楽しくなって、私と母は、
その二人が楽しそうな感じの流れで、嫌でも楽しくなったであろう。
きっと、4人で楽しめれば、もっと楽しかったはずだろうな。
次は絶対にそうしたいな。そう思い出すようになりました。
そして、疲労の「原因探し」をしてしまっている自分に気が付きました。
原因なんか自分でわかるわけないし、わかったところでやり直せないのに。
ノイローゼが悪化していたのかな。ポジティブな反省はしたいけれども、
「原因探し」なんかどうでも良い。そう思い浮かびました。
さらに、昼夜逆転しても、それはそれでしょうがないな。ノイローゼだから。
っという、軽い開き直りもできました。
お正月がすでにイベントですが、兄夫婦の来宅ももちろんイベントです。
いつもと違う、おせちをつまみながらお酒をダラダラ飲む。
私の内臓にしてみたら、いつもとぜんぜん違う時間に、お酒やらおせちやらを
放り込まれた上に、ダラダラと長い時間いつもと違うお酒を飲んでいましたので
「いつもと違うこの感じ。冗談じゃないよ。」っと
怒ったのでしょう。
それを受け取った脳みそは、「了解!内臓クン。ちょっとこいつの活動力落とすわ」っとなり、
活動力も思考力も落ちてしまった。
そうなると、何万年もマンモスと命がけで戦ってきたご先祖様の血を受け継ぐ私は、
体の機能が低下すると、命の危険があるわけですから、あらゆる不安やネガティブ思考が浮かんできます。じゃないと、仲間に殺されたり、獣に食われちゃいますからね。
それが何万年も受け継いで来た血液に内在されていますから、今の私は、緊張感で眠れないけれども、用心深さ由来の不安感から、ネガティブ思考が次々に浮かんできたのでしょう。
体というのは凄いものだなっと思いました。
この状態では、無理に寝れるはずもないな。っと思い、
お正月だから、非・日常的だし、昼夜逆転もするし、体がそうしたいならそのほうが正しいと思う。
っと言う、考えのもと、
お酒を飲みたくなってきたので、お酒を用意して、
後は流れで。っと思うことができました。


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前回緩和ケア病棟の看護師さんに、相談をして、
母の考えはある程度固まっていたようです。
副作用のある薬はもう飲みたくない。
診察中の母を待っていたら、母から呼ばれ、
途中から一緒に先生の話を聞くことになりました。
先生は、今まで母がどういう薬を飲み、どういう経過をたどって
現在はどういう状況で、今も、いくつかのお薬や点滴、等の
選択肢があるということを
とても丁寧にわかりやすく話してくれました。
そして今回、母が副作用のあるお薬はもう飲みたくないと言うことで、
ガンを抑える薬の治療はすべて止めることも。
1週間に1回位予約していた問診やCTも全てやめ、
次回は約2ヶ月後の予約となりました。
これからは、ガンが増えていき、それに伴って症状も出てくるでしょう。
痛みが出てきたり、お腹に水が溜まったり、様々です。
そうなった場合、これから先は、対処療法、緩和ケアとなります。
っとのことでした。
そして、母の意向で延命措置はしないこと。
特に心臓マッサージや、電気ショックなどで、一時的に組成することもあるが
末期がんの患者さんの場合はあまり勧められないということも。
ので、母と共に確認書類にサインしました。
おそらく人工呼吸器や、点滴なども。
母が薬をやめたことを、その場で考えるのは無理だと思い、
一旦家に持ち帰ってから考えようと思い、
母を車椅子に乗せて、お家まで帰りました。
家に帰ると、悲しみがどんどんと湧いてきました。
いろいろな不安や、母のこれからのことを考えたり、
いよいよ、緩和・対処療法に入っていったか。お別れの段階が近いのか。
母は、一時的に元気になるかもしれないけれども、
ガンが増えていき、衰えていくんだ。そして死ぬんだ、っと。
「悲しみ」は、喜怒哀楽の感情だと思ったので、
私は、「感情は抑えない」という考えなので、
ただただ、悲しい思いが湧いてきました。
自分を責めたり、過去の後悔をしたりという思いは
自分を責めても無意味。過去の後悔も無意味。
自分を責めるにあたっての、裁判でも通用する「確かな根拠」がなく、
過去に対しても、やり直せるのならば良いのですが、
(もしくは過去をタイムマシーンで他人と見ることができる訳でもない)、
過去に戻ることはない上に、過去というのは記憶の産物で、
自分の妄想と同種類にも思えますし、過去にこだわっても良いことがない。
だいたい自分の過去というのは、後悔や自分責めばっかりしちゃうくせに
自分の記憶(≒妄想)と言う不確かなものなので、それにも無理がある。
自分の過去はどう頑張ったって、後悔とか自分責めとか、過去を脳内リプレイしてに苦しむとか、
になるしかないし、
これからもその繰り返しであることはしょうがないと思っています。
一方で、過去の母にも現状の母にも、なんで母はこんなに頭が良いのだろう。
薬をやめたのも、母が決めたのだから、今が最高のタイミングなのだろう。
しかし、なぜに母はこんなにも感覚的にも頭がよく、偉大なのだろう。
本当に今一緒に生活できることがありがたいし、どれだけ私が助けられていることか。
もはや凄すぎて偉大すぎて意味不明です。
ただ、母親自身も、今回のお薬で散々その副反応に苦しみ、
このお薬をやめることは、ガンを抑えることを辞めることでもあるという
理解はあったものの、やはり、近代医療に見捨てられたか。
っと言う悲しさがあったようです。
死に真っ直ぐ向かっていくという、想像もつかない悲しさもあったでしょう。
しかしその一方で、CTの検査による体と気持ちの負担や、薬の副反応を考えなくていいなど、
楽になった部分も芽生えてきているようです。
もう、ガンを抑えることはないでしょう。
やはり、悲しいことです。
前回、私の精神科のお医者さんに、お金さえあればなんとかなる。っということを
母は、挨拶の時に言ってくれたようで、先生にもそう聞かれて
お金さえあればなんとかなりますね。っと気軽に答えてしまいましたが、
お金があっても(実際無いのでしょうがないですが)、社会とのつながり。
厳密に言えば人とのつながり、社会に関わって生きていくことが、
なくなりつつあることは恐ろしくもあります。
(母には余分な負担や心配をかけたくないので
お金さえあればどうにかなるということも、「うん。そうだね」っと言っています
母には、生きたいだけ生きて、余分な心配や負担がなく、死にたい時に死んで欲しいからです)
(こういうカッコ良いことが言える立場にない自分が申し訳ない)
兄は自分の家庭をもっています。
ですから、人間関係においても、兄弟ではありますし、
実に頼れるし頭もいいし勉強もできる凄い人なのですが、
別の家族の人なので、連絡は遠慮しています。
たまに面白い記事や動画を見つけたら送るくらいです。
兄にとっては自分の家族、つまり奥さんがかけがえがない存在でしょうし、
兄が務める会社や、奥さんの会社、親戚、そして友人関係があり、
そこを考えると、控えめな関わりになってしまいます。
私の社会との関わりは、
父と母。になります。あまりに偉大な存在です。
金さえあれば孤独に生きていけるような人間など、居るのでしょうか。
働くとか、社会に奉仕するとか、それができれば良いのですが、出来ませんでしたし
これからも出来ないでしょう。
そうなった時に怖いのが、社会に迷惑をかけることで関わろうとすることです。
しかも無意識に(迷惑や凶暴や他人を尊重しない等)。
話し相手や相談相手が居ないと、考えがブラッシングされたり
フィルターを通したり、簡素化されたりが出来なくなり、
一般性や社会性を大きく失うでしょう。
例えば、立ちションをすれば、犯罪ですし、迷惑もかけますし、家や近所を汚された人を傷つけます。
ですが、そう言う当たり前の思考が、できなくなっていくのではないかという心配もあります。
今考えてもしょうがないことですが、
今お世話になっている精神科の先生も、いずれは診療をやめるでしょう。
父もどうなるかわかりません。
そこは今から考えておかないといけないかもしれません。


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母の通院病院は、患者もしくはその家族の相談窓口が充実しているようで
不安や疑問などの相談に乗ってくれるようなので、
母の体のかゆみや体調不良が顕著に出始めて、2週間位した時に
さすがにこれはおかしいのではないか。っと言う思いが浮かびました。
以前から、テレビや本などで見聞きしてきた、癌の終末期とは違い
その時の母、かゆみやだるさ、体力ダウン、階段を登っただけで動けなくなり
布団からほとんど動けなくなっていました。
私がテレビや本などで見聞きした癌の終末期は、
徐々に枯れて行き、体の中の水分や栄養を使いながら
枯れていって、死を迎える。
それは患者本人にとっては、ガンの場所にもよるが、
穏やかに進んでいくものであるようだ。
進み方のスピードには、個人差などがあると思うけれども、
かつての終末期医療の、点滴の過剰投与で苦しみ
お腹から水分を抜き、苦しみ暴れる患者を、鎮静剤と拘束具で縛り
「溺れ死に」を苦しみ続けた後に、苦しんで迎える。
今は違うと思っています。
少なくとも私が読んだ本やテレビの情報では、平穏死を迎える。
痛みや苦しみなどのケアーはするし、最低限の水分などの補助はするけれども
基本的には患者の体に任せていく。
そう言うものだと思っていましたし、
緩和病棟がある今の病院と、先生は、当然、緩和ケア-と言う選択を考えた上で
診察および薬の処方をしてくれていると思っていました。
今の先生に変わってから、イブランスという薬に変わり、強い薬を多めに処方し
翌日から母はダウン。1ヶ月以上ぐらい寝床を動けなくなり、気分も最悪な模様。
私は母は死ぬのかと思いましたし、薬をやめたほうが良いとも言いました。
おそらく母は命からがら、病院に行き診察してもらうと
一旦薬の投薬は中止して、母は徐々に動けるようになり、気分も快方に向かっていくと
今度はその薬の量を減らして処方。
この経過で、おそらく母は戻らない体力を相当消耗したようです。
何ヶ月か前、肝臓のがんが増えていて、
薬を変更。翌日から、体のかゆみ、吐き気、体力低下、気分の悪さが顕著に現れ
体もむくみ、苦しみと我慢を強いているようにしか見えなくなっていき。
布団から出れない生活と、体のかゆみや吐き気、体力低下、気分の悪さなどが
強く続き、私は病院に行ったほうが良い。かゆみは我慢するものじゃないし
ガンの結果かゆみが出るのならば、緩和してもらうべきだろうと思っていました。
母はがんの病院に行こうとするも、近所のバス停まで行けず、
体調が悪化、しかしそれでも母は、タクシーを拾い、病院まで行き、
先生に診察してもらうと、服薬は一旦中止。
後日同じ病院内の皮膚科に行き、塗り薬と飲み薬を服薬。
徐々にむくみが取れて、かゆみも減っていき、気分も快方に向かっている模様。
ガンの先生の診察では、今回の薬の量を減らしての投薬再開を提案されるも
母は、もう飲みたくないと言っており、先生にそう言って良いかどうかを悩んでいる。
母の考えは、薬を飲んで苦しい思いをしたくないし
抗がん剤や放射線も、やりたくない。
もう死ぬのだし、その結果、死が早まっても、それで良いっと。
私も同じ考えで、例え命が長らえても、苦しみや我慢を続けた後に死ぬよりも
緩和ケア-などの利用も強く視野に入れて、もう母がダウンをすることなく
苦しみや我慢を続けることもあってほしくない。っと、思っています。
要約すれば、今の先生に対しての、明確な不満を相談しに行こうかと思っています。
先生にとってガン細胞が増えないことと、それ以外の体の部分をどう考えているのか。
それ以外の体の部分はとても重要だと思う。体は絶妙にバランスを取り始めるはずだから。
もちろんこれ以上ガン細胞が増えないほうが良いとは思うけれども
母の意志と、母の体が行うことを、尊重したいし、
強い薬を、多めに出すことで、もう母は、苦しみや我慢を続ける生活はしたくないと思う。
どうか先生には緩和ケア-と、我慢のない生と死を迎えたいことを
強く視野に入れた診察をして欲しい。
今の先生はガン細胞だけを見ているように感じてしまう。
穏やかに終末期を過ごし、穏やかに、そして母が死にたいときに死んでほしいから。


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