母の薬の辞め時

前回緩和ケア病棟の看護師さんに、相談をして、
母の考えはある程度固まっていたようです。
副作用のある薬はもう飲みたくない。

診察中の母を待っていたら、母から呼ばれ、
途中から一緒に先生の話を聞くことになりました。

先生は、今まで母がどういう薬を飲み、どういう経過をたどって
現在はどういう状況で、今も、いくつかのお薬や点滴、等の
選択肢があるということを
とても丁寧にわかりやすく話してくれました。
そして今回、母が副作用のあるお薬はもう飲みたくないと言うことで、
ガンを抑える薬の治療はすべて止めることも。
1週間に1回位予約していた問診やCTも全てやめ、
次回は約2ヶ月後の予約となりました。

これからは、ガンが増えていき、それに伴って症状も出てくるでしょう。
痛みが出てきたり、お腹に水が溜まったり、様々です。
そうなった場合、これから先は、対処療法、緩和ケアとなります。
っとのことでした。
そして、母の意向で延命措置はしないこと。
特に心臓マッサージや、電気ショックなどで、一時的に組成することもあるが
末期がんの患者さんの場合はあまり勧められないということも。
ので、母と共に確認書類にサインしました。
おそらく人工呼吸器や、点滴なども。

母が薬をやめたことを、その場で考えるのは無理だと思い、
一旦家に持ち帰ってから考えようと思い、
母を車椅子に乗せて、お家まで帰りました。

家に帰ると、悲しみがどんどんと湧いてきました。
いろいろな不安や、母のこれからのことを考えたり、
いよいよ、緩和・対処療法に入っていったか。お別れの段階が近いのか。
母は、一時的に元気になるかもしれないけれども、
ガンが増えていき、衰えていくんだ。そして死ぬんだ、っと。

「悲しみ」は、喜怒哀楽の感情だと思ったので、
私は、「感情は抑えない」という考えなので、
ただただ、悲しい思いが湧いてきました。
自分を責めたり、過去の後悔をしたりという思いは
自分を責めても無意味。過去の後悔も無意味。
自分を責めるにあたっての、裁判でも通用する「確かな根拠」がなく、
過去に対しても、やり直せるのならば良いのですが、
(もしくは過去をタイムマシーンで他人と見ることができる訳でもない)、
過去に戻ることはない上に、過去というのは記憶の産物で、
自分の妄想と同種類にも思えますし、過去にこだわっても良いことがない。
だいたい自分の過去というのは、後悔や自分責めばっかりしちゃうくせに
自分の記憶(≒妄想)と言う不確かなものなので、それにも無理がある。
自分の過去はどう頑張ったって、後悔とか自分責めとか、過去を脳内リプレイしてに苦しむとか、
になるしかないし、
これからもその繰り返しであることはしょうがないと思っています。

一方で、過去の母にも現状の母にも、なんで母はこんなに頭が良いのだろう。
薬をやめたのも、母が決めたのだから、今が最高のタイミングなのだろう。
しかし、なぜに母はこんなにも感覚的にも頭がよく、偉大なのだろう。
本当に今一緒に生活できることがありがたいし、どれだけ私が助けられていることか。
もはや凄すぎて偉大すぎて意味不明です。

ただ、母親自身も、今回のお薬で散々その副反応に苦しみ、
このお薬をやめることは、ガンを抑えることを辞めることでもあるという
理解はあったものの、やはり、近代医療に見捨てられたか。
っと言う悲しさがあったようです。
死に真っ直ぐ向かっていくという、想像もつかない悲しさもあったでしょう。
しかしその一方で、CTの検査による体と気持ちの負担や、薬の副反応を考えなくていいなど、
楽になった部分も芽生えてきているようです。

もう、ガンを抑えることはないでしょう。
やはり、悲しいことです。

前回、私の精神科のお医者さんに、お金さえあればなんとかなる。っということを
母は、挨拶の時に言ってくれたようで、先生にもそう聞かれて
お金さえあればなんとかなりますね。っと気軽に答えてしまいましたが、
お金があっても(実際無いのでしょうがないですが)、社会とのつながり。
厳密に言えば人とのつながり、社会に関わって生きていくことが、
なくなりつつあることは恐ろしくもあります。
(母には余分な負担や心配をかけたくないので
お金さえあればどうにかなるということも、「うん。そうだね」っと言っています
母には、生きたいだけ生きて、余分な心配や負担がなく、死にたい時に死んで欲しいからです)
(こういうカッコ良いことが言える立場にない自分が申し訳ない)

兄は自分の家庭をもっています。
ですから、人間関係においても、兄弟ではありますし、
実に頼れるし頭もいいし勉強もできる凄い人なのですが、
別の家族の人なので、連絡は遠慮しています。
たまに面白い記事や動画を見つけたら送るくらいです。
兄にとっては自分の家族、つまり奥さんがかけがえがない存在でしょうし、
兄が務める会社や、奥さんの会社、親戚、そして友人関係があり、
そこを考えると、控えめな関わりになってしまいます。

私の社会との関わりは、
父と母。になります。あまりに偉大な存在です。
金さえあれば孤独に生きていけるような人間など、居るのでしょうか。
働くとか、社会に奉仕するとか、それができれば良いのですが、出来ませんでしたし
これからも出来ないでしょう。
そうなった時に怖いのが、社会に迷惑をかけることで関わろうとすることです。
しかも無意識に(迷惑や凶暴や他人を尊重しない等)。
話し相手や相談相手が居ないと、考えがブラッシングされたり
フィルターを通したり、簡素化されたりが出来なくなり、
一般性や社会性を大きく失うでしょう。
例えば、立ちションをすれば、犯罪ですし、迷惑もかけますし、家や近所を汚された人を傷つけます。
ですが、そう言う当たり前の思考が、できなくなっていくのではないかという心配もあります。
今考えてもしょうがないことですが、
今お世話になっている精神科の先生も、いずれは診療をやめるでしょう。
父もどうなるかわかりません。
そこは今から考えておかないといけないかもしれません。

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母の病院に相談しに行くにあたって

母の通院病院は、患者もしくはその家族の相談窓口が充実しているようで
不安や疑問などの相談に乗ってくれるようなので、
母の体のかゆみや体調不良が顕著に出始めて、2週間位した時に
さすがにこれはおかしいのではないか。っと言う思いが浮かびました。

以前から、テレビや本などで見聞きしてきた、癌の終末期とは違い
その時の母、かゆみやだるさ、体力ダウン、階段を登っただけで動けなくなり
布団からほとんど動けなくなっていました。

私がテレビや本などで見聞きした癌の終末期は、
徐々に枯れて行き、体の中の水分や栄養を使いながら
枯れていって、死を迎える。
それは患者本人にとっては、ガンの場所にもよるが、
穏やかに進んでいくものであるようだ。
進み方のスピードには、個人差などがあると思うけれども、
かつての終末期医療の、点滴の過剰投与で苦しみ
お腹から水分を抜き、苦しみ暴れる患者を、鎮静剤と拘束具で縛り
「溺れ死に」を苦しみ続けた後に、苦しんで迎える。

今は違うと思っています。
少なくとも私が読んだ本やテレビの情報では、平穏死を迎える。
痛みや苦しみなどのケアーはするし、最低限の水分などの補助はするけれども
基本的には患者の体に任せていく。
そう言うものだと思っていましたし、
緩和病棟がある今の病院と、先生は、当然、緩和ケア-と言う選択を考えた上で
診察および薬の処方をしてくれていると思っていました。

今の先生に変わってから、イブランスという薬に変わり、強い薬を多めに処方し
翌日から母はダウン。1ヶ月以上ぐらい寝床を動けなくなり、気分も最悪な模様。
私は母は死ぬのかと思いましたし、薬をやめたほうが良いとも言いました。
おそらく母は命からがら、病院に行き診察してもらうと
一旦薬の投薬は中止して、母は徐々に動けるようになり、気分も快方に向かっていくと
今度はその薬の量を減らして処方。
この経過で、おそらく母は戻らない体力を相当消耗したようです。

何ヶ月か前、肝臓のがんが増えていて、
薬を変更。翌日から、体のかゆみ、吐き気、体力低下、気分の悪さが顕著に現れ
体もむくみ、苦しみと我慢を強いているようにしか見えなくなっていき。
布団から出れない生活と、体のかゆみや吐き気、体力低下、気分の悪さなどが
強く続き、私は病院に行ったほうが良い。かゆみは我慢するものじゃないし
ガンの結果かゆみが出るのならば、緩和してもらうべきだろうと思っていました。
母はがんの病院に行こうとするも、近所のバス停まで行けず、
体調が悪化、しかしそれでも母は、タクシーを拾い、病院まで行き、
先生に診察してもらうと、服薬は一旦中止。
後日同じ病院内の皮膚科に行き、塗り薬と飲み薬を服薬。
徐々にむくみが取れて、かゆみも減っていき、気分も快方に向かっている模様。
ガンの先生の診察では、今回の薬の量を減らしての投薬再開を提案されるも
母は、もう飲みたくないと言っており、先生にそう言って良いかどうかを悩んでいる。

母の考えは、薬を飲んで苦しい思いをしたくないし
抗がん剤や放射線も、やりたくない。
もう死ぬのだし、その結果、死が早まっても、それで良いっと。
私も同じ考えで、例え命が長らえても、苦しみや我慢を続けた後に死ぬよりも
緩和ケア-などの利用も強く視野に入れて、もう母がダウンをすることなく
苦しみや我慢を続けることもあってほしくない。っと、思っています。

要約すれば、今の先生に対しての、明確な不満を相談しに行こうかと思っています。
先生にとってガン細胞が増えないことと、それ以外の体の部分をどう考えているのか。
それ以外の体の部分はとても重要だと思う。体は絶妙にバランスを取り始めるはずだから。
もちろんこれ以上ガン細胞が増えないほうが良いとは思うけれども
母の意志と、母の体が行うことを、尊重したいし、
強い薬を、多めに出すことで、もう母は、苦しみや我慢を続ける生活はしたくないと思う。
どうか先生には緩和ケア-と、我慢のない生と死を迎えたいことを
強く視野に入れた診察をして欲しい。
今の先生はガン細胞だけを見ているように感じてしまう。
穏やかに終末期を過ごし、穏やかに、そして母が死にたいときに死んでほしいから。


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母との生活時間

私の精神科の先生に、母が挨拶をしてくれたその日の夜、
無性に悲しくなっていきました。

歳をとり、癌になって、体も小さくなり、動くのも大変そうで。
以前のような体力にはもう戻らない。
そう考えると、少し前まで、元気にしていた母を思い出したり
過去の母を思い出したり、そして、母には申し訳ないという
自分で自分を責め、後悔する。っと言う、循環に入っていました。

その循環の中に居て悲しみが増していく自分を自覚していましたが、
喜怒哀楽などの、感情は抑えないほうが良い。っと思っているので
猛烈に悲しいという気持ちは抑えないでいました。

布団に入って、母の今。母の体の現実。などを考えてみました。
癌は母の体から出来たもので、母の体の中で増えてきたし、増えている。
それは私や家族が母に与え続けたストレスが大きいだろう
(でも、因果関係はあまり考えない、過去の記憶頼みだから)。
癌の薬が丁度良く効いていた頃は、母の体にも目立った副反応はなく
その感じで進んでいくのかと思っていたら、今回の強い副作用で、
体力をガタっと落とし、削られてしまった体力はもう戻らないと思う。
癌のお薬を中断して、副反応が抜けていってはいるが、少しずつ、ゆっくりとで
母の年齢的な体のおとろえとともに、気分よく改善することも最早ない。
母の体の中で癌細胞は生まれて、増えていっている。
母の体力を奪いながら。
そう考えていく中で、この考へはまとまることが無いだろうっと、思いました。

過去に記憶を戻しても、母の癌が良くなるわけでもないし、反省はあっても
今に反映できる後悔のしようがないし、自分責めに走って
あまり意味がありそうな感じもしません。
時間は一方通行なのだから。
後悔はどんな時間を過ごしていても、過去に対してはどうしてもするものでしょうし。

母に対して、私を産み育ててくれた感謝のほうが大きくなっていきました。

将来的に母は死ぬでしょう。
人間は100%の確率で死にます。そこには誤差もブレもなく。100%死ぬ。
それがいつなのかは、わかりませんが、いきなり死ぬと言うよりも、
歳をとって、体が弱っていき、思うように体が動かなくなり、
削られて、小さくなって、命の火を弱めながら、いずれ死ぬ。

おそらく今の母は、その道半ばにあって、母の体は、
癌細胞があって、体も弱り、体力も削られて、思うように体も動かせず、1日中寝床にいます。
今回の癌のお薬の副作用が抜ける過程の中でも、チョットずつチョットずつだったように
毎日の中で、チョットずつ削られて、チョットずつ命の火を弱めていくのでしょう。
ただ、今回の副作用の出方は、チョットずつではなく
ググッと来て、ガツンとしていました。

私の精神科の帰り、母とマクドナルドでハンバーガーなどを買って、家に戻りました。
そのハンバーガーの袋を眺めながら、母と買ったマクドナルド。っと思うと、
とても嬉しくありがたいものに見えていました。
その日を振り返り、母の車椅子を押せることへの喜びと母への感謝。
私が料理を作っている時も、これを母が食べてくれると思うと、
嬉しくなって感謝の念がわきます。
母の使った食器を洗っている時も、食器洗わせてくれてありがとう。と思い嬉しくなり
ゴミ捨ても、トイレ掃除もお風呂掃除も、もちろん自分のゴミと汚れでもあるんですが
母の出したゴミを片付けさせてくれてありがとう。
母の使うトイレやお風呂を掃除できる嬉しさ。感謝の念。
作った食事を食べてくれて、洗った食器を使ってくれて、
掃除したトイレや風呂を使ってくれて、色々、私に頼み事をしてくれて
本当に嬉しくってありがたくって、感謝の念が沸き起こりました。

そう考えて、そう感じていく中で、悲しみは薄れ、
母がグーグ寝ていれば、同じ時間を過ごせていることへの母への感謝もわき
母がテレビのチャンネルを変えれば、
寝ながら起きている母と時間を共に過ごせて居ることへの感謝など、
存在そのものに嬉しさを感じ、感謝と尊敬の念が沸き起こります。
特に、尊敬させてくれる母に対する感謝と喜びが大きいです。
母を見ると感じる嬉しさと尊敬と感謝の念が、沸々とおこり
悲しさが薄らいでいきます。
また元気になってくれそうだ。っと言う思いもおこりながら。

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母の体力と私の不安

行政に相談した結果、民間の業者さんから
行政から借りるのと同じ値段で、
しかも、家まで運んでくれて、短期で借りた車椅子を、行政に返却までしてくれると言う
とてもありがたい説明を受けて、行政の方が申し込んでくれました。

福祉関係のレンタル屋さんで、とっても親切丁寧な方で、
車椅子を、介護保険申請まで借りる予定ですが、介護保険が通ったら
またこの業者さんに借りたいと思いました。
家まで運んでくれますし、とても親切丁寧な方のようですから。

もはや車椅子は家に常備して置かなければ、母は、病院にも行けません。
そもそも、近所のゴミ捨ても出来ないのですから、
介護保険と車椅子は、必要不可欠だと思いました。

さいわい食事はとっていますし、トイレも自分でしています。
ただ、ガンのお薬の副作用はかなり強かったようで
ガンのお薬をやめて、それなりに時間が経ったのですが
回復傾向にはあるようですが、なかなか抜けるところまでは道半ばのようです。

今回のお薬の副作用で、母は、大きく体力を落とし、気力も凹ませてしまいました。
体調も、改善とか回復には至らず、
おそらく今回失った体力は、もう戻らないでしょう。
ゴミ捨てにも行けなくなり、近所のスーパーでの買い物や単身での通院も無理でしょう。
外出はもちろん車椅子での移動となると思います。

そんな中、今日は私の精神科への通院日でしたが、
母が先生にお会いしたい。と言うので、母を車椅子に乗せて病院まで行きました。
先生に挨拶をするということでしたが、
色々と先生に相談したり、話を聞いてもらったのでしょう。
私の診察で、母が先生に主に話したのは、自分の死後、息子の金銭面が心配。
そういった感じのことのようでした。
死にゆく中にある母に、そんな心配をさせているのかと思うと
申し訳なく、でも、働けるのなら働いていますし、
やはり自分が情けないっと思うと同時に、母の死が、未来に待っていることを
実感すると言うか、想像せざる負えないでいます。

母は、毎日寝床に居ます。
お喋りをする日もありますが、やはり体調も体もつらいのでしょう。
特に、たとえ車椅子に乗って出かけたとしても
準備やお風呂や、緊張感などもあるでしょうし、
足があまり上がらなくなっていますし、手すりがあったとしても
とても大変そうです。
外出そのもので疲れてしまっているようです。
しかも、ガンはあるし、その薬の副作用で苦しい思いをしています。
母を後ろから見ると、こんなに小さくなって、足もおぼつかないのか。
そんな景色を見ると、胸がつまります。

私の先生への挨拶を終えて帰宅すると
母は、とても疲れたのでしょう。
寝床に行って、なんだか話すことも今はやめたいという感じで、
何時間か眠りにつきました。
昨日は寝れたのか。今日はどれだけ疲れたんだろうか。
今日失った体力は戻るのだろうか。
日々、命の火を弱めながら、削っていくようにしている母を見ているのは
やはり悲しくって、厳しいものがあります。

母が乗った車椅子を押せれる今。
私が作った食事を食べてくれている母。
その今にこそ、注視して考えて感じていこうと思います。
でなければ、悲しさと不安で、私が持ちません。

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母の体調。車椅子

近所にゴミを捨てに行くだけで、ダウンしてしまう母の体力を考え
母の次の通院を考えると、難しいだろうな。っと思い、
行政で、車椅子の貸し出しをしていないかを調べたところ
緊急用に、1週間程度、貸してくれる事がわかりました。

母は介護保険を申請していないので、
民間のレンタル車椅子だと、全額自己負担です。
翌日に、母の通院を控えて
早速、ホームページに書いてあった場所に電話。
できれば3ヶ月位借りたい旨を伝え、介護保険が通ったら返却します。っと言うと
地元にある相談窓口を紹介してくれました。

私は車の免許を持っていません。
精神的な病で、集中力の欠如がありますので
車を運転するプレッシャーや緊張感。集中力欠如による事故の可能性。
お金がかかる。などを考えて、たとえ免許を持っていたとしても
車の運転はしないでしょうし、
閉所恐怖症のような、乗り物に乗ると予期不安、悪ければパニック発作が出ることもあり
移動は、自転車で行けるところは自転車頼みです。

電車に乗らなければいけない場所に行く場合は、
乗っていたらパニック障害が出るかもしれない。っと言う緊張感から
予定が入り次第、具合が悪くなります。
そしていざ駅に行っても、何故か通過電車に飛び込みたくなってしまい
その恐怖から、駅で震えだしたりしてしまいます。

しかし、母の具合や体力を考えると、
パニック障害や予期不安と約20年以上も経験してきたので
耐えるしかない。っと覚悟を決めて、母の病院までの車椅子の付き添いを決断しました。

肝心の車椅子は、地元の相談センターに行き、簡単な扱い方を教えてもらい
今後の車椅子の借り方や、介護認定に至る流れなどの説明は
とりあえずこの日は、待ってもらいました。
折り畳める車椅子ですが、持つと重いんだな。自転車のかごにも入らないな。
っということで、歩いて運んで帰りました。

翌日、母は、「車椅子はいらないよ。病院にもあるからね」っと言いましたが
階段を登っただけでバテてしまい、乗って行くこととなりました。
外で車椅子を準備して待っていたら、近所のおばさんに、
「お母さん歩け無くなったの」「歩けはするんですが、あったほうが良いと思い」
「大変ね。お大事にね」っと、言ってくださいました。

母を乗せて近所のバス停を目指すと、歩道の段差と、ガタガタ揺れることと
なんだか真っ直ぐ走らないので、押すことが難しく
車には十分注意しながら、車道の端で車椅子を押しバス停まで行きました。
ガタガタ揺れるのが母の体に良くないだろう。っという思いと、
何故か斜めに進みがちで、押すのが難しかったからです。

母は、「助かるわ」「楽だわ」っと言って喜んでくれました。
車椅子に乗っている母を後ろから見ると、とても寂しく少し悲しい気持ちになりました。
バス停に着くと母は、車椅子からバス停の椅子に座り変えて
私は、車椅子をたたみ、程なくしてバスがきました。
母は、上がりにくくなった足を一生懸命揚げて、バスに乗り込み
私は、折りたたんだ車椅子を持ち上げてバスに乗り込みました。

バスに乗ってみると、折りたたんだとはいえ
縦に長いのはそのままなので、座席2つ分くらいの専有してしまうことに気を使いました。
他の人のじゃまになるべくならないように。
バスの中で車椅子が倒れないように。

駅に着き、一生懸命下車する母を前に(私が先に降りて支えるべきでした)、
あとから、車椅子をおろして下車した後
母に車椅子に乗ってもらいました。
乗る時や立つ時も、サポートすべきでした。
駅のエレベーターを使い、移動。その後スイカチャージをする母。
改札を通り、エレベーターに乗り、ホームで電車を待っていました。
乗降車する駅の、エレベーターの場所は把握していましたが、
電車にも、車いす用の車両があるとは知らず、後に乗るJRに乗って初めて知りました。

電車内でも、やはり車椅子の場所の専有感が気になりました。
折りたたんでも、座っている人2.5人分。立っている人の大人2人分は使います。
乗り換えの、大きい繁華街の駅で一旦降車して、
思っていたエレベーターのあるホームではないので、どうしようかと思いながら
母に車椅子に乗ってもらいましたが、「母がエスカレータで降りよう」っと言ってくれて
エスカレータまで行き、母は立ち車椅子はたたみ、エスカレーターで地下まで降りました。

そこからまた母には車椅子に乗ってもらいました。
目的の電車の改札まで行き、エレベーターのある場所に行くと
一人で大きめの自走自動式の車椅子の方が、駅の職員さんと共に待っていました。
母は、横にあったエスカレーターを見て、「エスカレーターで上ろう」っと
車椅子を降りていきました。

とても乗降の多いこの駅のこの電車では、降りる人も多い分
母は座れるだろうとは思いましたが、私は急ぐと危ないとも思い、
母に「先に行って座って欲しい」と告げて、私はゆっくりと折りたたんだ車椅子とともに
立って乗り込みました。
乗ってみてビックリ。車椅子・ベビーカー専用スペースが電車内に有りました。
母を探すと、すでに、優先席に座っていたので、
私は、車椅子スペースに、折りたたんだ車椅子を置き、目的の駅に向かいました。

目的の駅でもエレベーターはあるのですが、母は、エスカレーターで上に行き
いつものコースを行きたい様子でしたので、エスカレータ以外は車椅子に乗ってもらい
母の指示で動きました。
バス停に着き、椅子に座りなおす母。
バスが来て、母は優先席に、私は空いている席に乗って、
車椅子を置きました。
降りる時に分かったのですが、車椅子が、後ろの座席の方の通路を塞いでいたようでした。

バスを降りて母に車椅子に乗ってもらい、病院に突入しました。

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母の体調不良

母は、体調不良が苦しいのか、
トイレ以外は寝床に居いるような状態です。
毎日30分~2時間ぐらい喋っていた会話も、
私が少しテンションを上げて話すと、つらそうにして会話も終わってしまいます。

「もう介護してもらっているね」っとチカラ無く言う母ですが、
私は、全く介護をしている気がなく、
食材の材料買い出し・ゴミ捨て・食事作り・呼ばれたら行く。と言う位しかしていないので
全く介護をしている気になってはいません。

ただ、母の外出時(ガンの病院への通院)などの時に
外で具合が悪くなったときに備えて、車椅子を常備したいと思うので
介護保険の申請などや、車椅子が1割負担で借りられるように、しておきたいです。
母も言いましたが、もっと早く申請しておけばよかったです。

昨日、調子に乗って酒を飲んだ私は
グーグー寝ていました。
母からのLINEは、通知があればチェックしていましたが
昨日作った、生たらこの煮付けが美味しかったよ。っと来て、
食事は取れたんだ。っと、安心してグーグー寝ました。

今日は買い物に行かないの?っというLINEを受け取り
起床して、母のもとに向かい、もちろん行きますよ。っと言うと
まだ痒みはあるが、収まりつつある。体は浮腫がある。具合も良くはない。
っと言いながらも、私を気遣ってでしょうか、
良くなってきたような気がする。食欲がある。今日はあんたがいつも買っている
唐揚げを私にも買ってきて。と言うリクエストを受けて
母の食事+唐揚げを購入し、帰宅いたしました。

玄関前では、年老いた犬がお散歩をしていました。
「もう歩きたくない」「家に帰りたい」「動けない」「抱っこして家に連れ帰って」
そんな感じの印象を受けました。
玄関前に枯れ葉が溜まっていたので、そそくさと掃除して
母に、食事と唐揚げを届けました。

なんだか元気そうな母を見たら、
この調子で良くなっていくのかな?っと思いましたが、
部屋に戻ってしばらくすると、LINEが届き、来て欲しい。っと。

母は、とてもつらそうにうつ向いて、
私の心は慌てましたが、吐いているのか。っと察しました。
体がよほどつらいんだ。背中を擦るのか、病院に電話するのか、
などを考えていましたが、母は割と元気な声で、
ゲロ用の袋をとってほしい。っと言うと、ゲロゲロして
あんたもう良いよ。と言いました。

唐揚げを食って、気持ち悪くなったのかな。っと思い
母の吐き気を心配しました。
かゆい苦しい痛いなどを、私には緩和することが出来ません。
そして、母親の「もう介護してもらっているね」っという言葉を思い出し
ひょっとしたら、緩和ケア-に入ったほうが良い段階に来ているのだろうか。
っという思いが浮かびました。

母親のガンの先生は、強い薬を出しがちなような気が私にはしますが、
だからといって薬を抑えていけば、
一時的に元気にはなるでしょうが、あくまで一時的(短期間)で、
おそらくは、その後は、滑り台を降りていくように
死に向かっていくような気もします。

だからといって、母の死を怖がりすぎても、母には負担でしょう。
ひょっとしたら薬が強いのかもしれない。
薬を段階的に弱めていけば、その方が母にとっては良いかもしれない。
かゆみ止めの薬は、副作用がここまで強いのかな。
それとも今は一旦停止している、ガンのお薬を飲まないから
体が、わかりやすいくらいにがん細胞と戦って、疲弊している影響なのだろうか。

様々な憶測を、偏差値43の高校を(約30年前に)無事卒業した私が、
色々と考えましたが、当然わかるわけがございません。

母の体調不良は、がん細胞によるものなのだろうか。
母の年齢も加味しているのだろうか。
当然、ステージ4の全身転移のガンで、進行形の病気ですから
「こういうものなんですよ」っと、専門家に言われてしまえば
そうなんだ。っと思うしかありません。

母の病院に、患者の家族も相談できる窓口があるので
そこに相談予約を取りました。
今の先生は、強いお薬を出したがる傾向にあるのではないか。
母は、痛いかゆい苦しいなどの思いはしたくないと言っている。
しかし、母は、気を使わせないためか、なぜだか、その手の苦しみを我慢してしまう。
今も吐き気や体調不良を我慢しているようだ。
っと思うと同時に、
今の強めのお薬の処方を抑えていったら、加速を付けて死に向かっていってしまうのではないか。
その過程で、痛みや苦しみ痒みや吐き気などが、軽減されれば良いけれども
どのような経過をたどるのだろうか。
がん患者はこういうものなのだろうか。
もっと、穏やかな段階を踏んで、枯れていくのかと思っていた。
ガンとは、こういった症状が出る病気なのだろうか。
お薬に副作用があるのではないだろうか。
私がショックを受けてビックリし過ぎなのだろうか。
こういう経過をたどり、こういうものならば、緩和の方向性も模索していかなければ。

かつて、「東京タワー」とい本を書かれた
リリー・フランキーさんが、メディアで仰っていた
「母親が死ぬ。私はひざまずいて泣き叫びたい。渋谷のスクランブル交差点に立った時に、
この人達は、こんなことを経験しているのか。それでも歩いて立って
何事もないようにしているのか!」っと、
自身のお話をされていました。

母には少しでも楽になって欲しいと思うばかりです。
私や兄弟や長男にも気を使い、でも、体は弱っていき、体調も不良。
どうか、我慢を強いることなく、穏やかに過ごしてほしいものです。

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母の状態

体のかゆみでダウンしてしまっていた母ですが
かゆみは緩和してきたものの
皮膚の乾燥や、吐き気、体のむくみなどで
またしてもダウン状態になりました。

ガンのお薬を止めて、かゆみ止めなどを服薬して
まだ数日ですが、
かゆみが出てからの期間を考えると
3週間は苦しんでいることになります。

痒み、吐き気、皮膚の乾燥による突っ張り感、体のむくみ。
薬を変える前は、出ていない症状でしたし、
かゆみ、吐き気を止めるために、また薬が出ていることに対して
ひょっとして、余計なことを母の体にしているのではないか?っという思いが浮かびました。

これだけの期間、参ってしまっている母を見て思い出すのは
以前、イブランスを、外国人並みに処方されていた時でした。
日に日にバテていき、グッタリとしてしまっていく母を見て
お薬やめたらどうだろうか?っと言ったほどでした。
その時に似ている感があります。

母の体にとって、ガンを抑えることも大切なことだとは思いますが
その結果、薬の副作用でバテて具合が悪くなり、その対処療法をしている。
また、その対処療法(服薬)が、体に異常をもたらす。

本で読んだかテレビで見たか、
思い出すのは、がん患者に点滴をして、
ブドウ糖はガンに行き、体が処理できない水分や栄養が
体に溜まってしまい、注射で水を抜く。
意識も無くなって、しかし、苦しむガン患者に
鎮静剤を投与して、拘束具をつける。といった感じを思い浮かべます。

現在母の体に出ている作用は
体にかゆみが出てきて、
精神的に参ってしまって動けないほどになっていたところ
かゆみを抑える薬の処方を受けて、今度は吐き気・体のむくみ、などの体調不良になる。
っと言った、薬の悪循環のように思えてなりません。
本来母が望んでいた終末期は、徐々に枯れて行き死ぬ。
その過程において、痛い苦しいかゆいなどの苦しみは、取り除いてほしいが
最小限にとどめて欲しい。っと言ったものでしたが、
今の母の様子を見ていると、苦しみながら死んでいく過程をたどっているように見えてしまいます。

今のお医者さんになって、強い薬を出したがる傾向にあり
今飲んでいる(今は一時的に停止)ガンのお薬が
体に合わないか、強すぎるのだとしたら、やり過ぎる点滴と同じように思えます。
一度私自身が病院に相談に行ったほうが良いのかもしれません。
ただ、外出が困難な私にとっては、あまりにハードルが高いですが。

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ここ最近の母の体調観察記録

母が、皮膚のかゆみによる精神的なダメージを考えて
皮膚科の受診をしてみてはどうか。と伝えたところ、
ガンの先生の病院を受信するように決めたようで少し安心しました。

受診日に、母は家からバス停(歩いて3分)まで行く途中に具合が悪くなったようで
私に何度かLINEを送ってきました。
私はスヤスヤと寝てしまっていて、LINEのSOSメッセージに気が付きませんでした。
その後、4度目のLINEで、タクシーで病院に行くことにした。
タクシーに乗っていたら少し回復した。とのメッセージがありました。

私がそれらのLINEを見たのは、2時間半後でした。
LINEを見て慌てた私は、どこかで母が苦しんでいないか、
思いっきり寝てしまっていて私は何をやっているんだ、っと焦りましたが、
母に、今すぐ行こうか?っと問うと、
心配をかけて申し訳ない。今から病院を出ます。などの、
きめの細かいメッセージを送ってくれました。

もう体調は回復したのだろうか?そう思いながらも、
いつでも母の呼び出しに答えられるように準備をしようと考えました。
しかし、こう言う不安や焦りと共に「待つ」状況が苦手な私は、
近所のスーパーに食料の買い出しに行き、コンビニでコーヒーを買って帰宅しました。
母はその間にも、私を心配させまいと、今どこに居るかと言うLINEメッセージをくれていました。

近所のバス停まで迎えに来てほしいというLINEが届き
やっぱり具合が悪いんだ。っと思い、慌てて近所のバス停まで直行。
母の荷物を持ち(汗か脂汗で熱くて湿っていた)、母を家までサポートしました。
歩くこともつらそうな母は、自分から、自転車の後ろに乗ってもいいか?と訪ねてきたので
母を自転車の後ろに乗せて、家の玄関前までつくことができました。

母は玄関先で、フルマラソンを走り終えた選手のようにうなだれて
今回の、行きの地元のバス停から病院からの帰り道も含め
ずっと具合が悪かったのだと思いました。

唯一の好材料は、母が玄関先でうなだれて苦しそうな中で
何か簡単な食事を買ってきて欲しい。と言う、食欲があると思える言葉でした。
今思うと、無理してでも食べなければと言う、母の健気な気力からの言葉なのかもしれません。

急いで食べ物を買って帰ると、家の中で着替えていました。
おそらく吐き気もあるだろうし、今は話をする余裕もないかもしれない。
そう思い、母の食事を置いて、自室に戻りました。

一眠りしたようなので、母を見に行くと、バテては居たようですが
声が少し元気になり、顔も少し明るい感じになっていました。
母は話をするのはつらいかもしれない。そう思っていた私に気を使ったのでしょう。
母から、一連の経過と、受診の結果を話してくれました。

最近、新しく処方された薬はしばらく飲まないで、
かゆみ止めの軟膏と飲み薬。吐き気どめの飲み薬などの処方された模様です。
最近新しく処方されたお薬が強いのではないか。っと、母は言っていました。

食事を軽く済ませて、眠りにつき、
翌朝の朝は、かなり回復したようでした。
皮膚の痒そうな症状は可愛そうですが、明らかに痒さが軽減したようで
つらいけれどもこの前ほどではないと。
そして、心配をかけて申し訳ないと、事ある毎に言ってくれました。

回復したように見えた母でしたが、さすがに1日で、今までのお薬の副作用や
体調不良が抜けるはずもなく、
夜になると、今度は吐き気が出てきたとのことでした。
母に、夕食を買ってきて欲しいと頼まれて、買いに行き
母は少なめにその食事を食べたあと、吐き気止めなども含むお薬を飲んだようです。

もし、母親の最初のSOSのLINEメッセージに気がついていたとして
その後にどうなっていたかを考えました。
とりあえず母を家に戻したかもしれませんし、
母と一緒に病院に行っていたかもしれない。

母と一緒に病院に行った可能性は、母の体調不良具合にもよりますが
母が病院に行きたいといえば行った可能性もあります。
今後も、母と一緒に病院に行く可能性を考慮してみたところ、
車椅子が家にあったほうが良いのではないか。という考えが浮かびました。

検索をかけてみましたが、どうも介護保険適用ではないと
レンタルなどの場合は、高額な値段になる模様です。
そこで母に、介護保険の審査を受けてみないか?っと言ったところ
母親は、私はもうとっくに介護保険申請していなきゃいけなかったのにね。っと、
気を使わせてしまいました。

母は、調子が回復している時に、パソコンで色々調べてみたようで
老人ホームや、ケアマネージャー。介護保険についても
色々と調べた感じです。

ここの老人ホームのケアマネージャーに相談したい。というこを教えてくれました。
そこの老人ホームが、調べた中で一番良さそうだからということで。
母が老人ホームに入るかどうかは、わかりませんし、
母にとっては在宅が良いのではないか、
BSフジ・プライムニュースの終末期医療のあり方についての回を見た私は、
訪問看護師や、訪問のお医者さんのほうが、
終末期には適しているのではないかという考えが根強くあるので、
老人ホーム?っという思いもありましたが、
なにせ今住んでいる家は、トイレも不便でお風呂も不便でシャワーもなく
家が歪んでいるのか、家中のとびらが重くて、弱ってきた老人にはあまりにも不向きなので
母にとって快適な環境であるならば、それに従おうと思いましたが、
私もいちいち、在宅のほうが良いのではないか?っと母には伝えています。

母は、自分の性格を、大雑把なくせに繊細だから、迷惑ばかりかけてごめんね。
心配ばかりかけてごめんね。
もしあんたがつらくなったら、飛び出してもいいからね。自由にしなさい。
などの、気遣い発言を連発していますが、
そもそも、SOSを発信したラインが届いた時に
思いっきりスヤスヤ寝ていた私に、気遣いは無用なわけです。
それに、私は、精神が弱いので、母を心配して良い限界は、
普通の方々よりも極めて低く、母の死の想定や、母が弱っていく想定などしたら、
ノイローゼが爆発してしまいますので、行き当りばったりです。
しかも、母のSOS時には、極めてよく寝ています。

しかし、ガンのお医者さんも、いくらガンが増えたからと言って
副作用が強いお薬を処方したり、抗がん剤を勧めてきたり、
母にも同意を得ましたが、まだまだ青い先生のように思えました。
余命1年を宣告したのだったら、その期間をどういうふうに生きたいか。
例えば抗がん剤ならば、どうなった時に抗がん剤をやめるか。
そういった説明がおそらくなされては居ないようです。
1日でも長く生きればいいというものではなく
つらい苦しいかゆいなどがない、吐き気や体調不良もない。
そういった日々をいかに過ごしていけるか。
それは例え命が短くなったとしても、
「苦しい我慢」を「強いる」ことなく、体に任せていけるような平穏死に向かって
終末期を迎えてもらいたいし、母親自身もそう望んでいるのですから。

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母。皮膚のかゆみに苦しむ

ここ最近、母が皮膚のかゆみに苦しんでいます。
母親自身は、「体洗っていないから、お風呂に入れば治る」とか、
「四日くらいすると、かゆみが取れてくる」と言っていました。

私は、母がガンのお薬を変えたことによる副作用か、
ガンそのものによる、作用ではないか、
高齢化に伴い、皮膚のかゆみが出てきた、
日頃の食生活の影響もあるのではないか。っと考えていました。

しかし、母のかゆみは収まることはなく、むしろ悪化しているようにも思え、
ガンのお医者さんにもらった塗り薬を塗ったり、保湿剤を塗っても収まらないようです。
寝ている時は、かゆみを気にしないでいられるようですが
起きている間は相当かゆいようで、
精神的にもバテてしまっているようでした。

老齢期 かゆみ」で検索をかけたら、
高齢者にはよくあることのようですが、そのページを見ると
「辛い訴えです。」っと書かれていて、よくよく考えてみました。

起きて動くこともできないくらいに精神的に参ってしまっている。
かなりバテている。
起きている間は常にかゆみと戦っている(塗り薬もしている)。

検索して出てきたページを見ていても、
塗り薬で軽減されないかゆみを、我慢しなくてはいけないのは、気の毒だ。
塗り薬で軽減されず、かいてしまって悪循環に陥っている。
だいたい、ここまでのかゆみは我慢するものなのだろうか。

っという思いから、母に、皮膚科を勧めました。
塗り薬でも軽減されていない上に、生活に大きく支障が出ている。
もしそれが痛みなのだとしたら、痛み止めを飲むだろう。
かゆみを我慢するよりも、一回皮膚科に行って、
ちゃんと診断してもらい、かゆみが軽減する薬を処方してもらったらどうだろう。

そう言ったことを母に話しました。
母は、まず、私に心配をかけて気を使わせたことをわびてきましたが、
かゆみに耐える母が気の毒なこと。
精神的にかなり疲弊しまって、思うようにできない母が気の毒なこと。
果たして塗り薬で軽減しないかゆみ自体を、我慢すれば治るのだろうか。という疑問。
何よりも母が気の毒です。

今飲んでいるガンのお薬は、免疫力を大きく下げてしまうため
その副反応としての、皮膚に対するかゆみとも考えましたが、
母が、かゆみを我慢していく中での精神的疲弊が顕著でした。

母が皮膚科に行ってくれる気持ちになってくれれば良いですし、
かゆみが無くなってくれれば良いのですが。
我慢や忍耐力による疲弊は、本来、母も望むところではなく
それは緩和してほしいという、今後の入院後の母自身の意思なども考えると
やはり、飲み薬であってもかゆみを我慢するよりは、
少しでも快適な時間を過ごしてほしいです。

参考サイト
公益財団法人長寿科学振興財団 健康長寿ネット 老人性乾皮症
かゆみナビ かゆみの治療と対策

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後悔しない死の迎え方 後閑愛美 著

母が、余命1年宣告を受けて
母の死が現実味を増してきました。

数々の看取りを行った看護師さんの、看取りのエピソード集や経験されたこと
そして、看護師さんが考えたことや思ったことなどが書かれています。

一番印象的だったのは、
死に向かって衰弱していく時に、体は病気の部分などに合わせて
絶妙にバランスを取っていく。
と言った内容のくだりでした。

以前、BSフジ プライムニュースで見た
終末期医療について考える 回(ゲスト・清水哲郎先生・長尾和宏先生)を見ていたので、
老衰、衰弱、など、ゆっくり弱っていって、やがて死ぬ(平穏死・石飛幸三先生)。
と言う、終末期の迎え方があることを知りましたし、
その後に何冊か読んだ、長尾和宏先生の本などでも、
抗がん剤や、点滴。余計なことをしてし過ぎてしまう医療もあることを
少しだけ知っていました。
抗がん剤や点滴、胃ろうなどが悪いのではなく
やりすぎてしまうと、体がおかしくなってしまうという感じでした。

極端に言えば、ガンにより体の機能が低下する→動けなくなっていく→
食事の量が減っていく→体が徐々に衰えて小さくなっていく→
体内の水分や栄養を使ってやせ細っていく→死ぬ(平穏死)

そこで補助的に上手く、平穏死に持っていくための
抗がん剤や点滴や胃ろうは、やり方次第だという感じのものでした。

今回この本を読んだことで、かねてからの疑問や不安であった
・母親がやせ衰えてゆっくり死んでいくことに耐えられるだろうか。
・かと言って、必要以上の栄養や水、お薬や医療行為などで、
死に際の母を苦しめることは避けたい。
・しかし、そんなに上手くいくのだろうか。
・悲しいし不安が強いだろうけれども、体に任せるように、体内の栄養や水分を消費していき
やがて平穏死を迎えてほしい。母ともその考えは同じ(母は私や人に迷惑はかけたくないようだけれども、延命措置や点滴(痛い苦しいかゆいなどは点滴もやむなし)はやらないで欲しいと言っている)。
などの考えに対して、この本を読むことで補足できたように思います。

そして、今現在も進行していて、私がビビっている
母の体力低下や、体調不良。などに対する恐怖にも似た不安が
緩和されたようにも思いました。

ガン細胞は母の体から生まれたもので、そのガン細胞を体の免疫はやっつけようとしますが
一方でその援軍として、抗がん剤ではない薬を飲んでいます。
ステージ4で全身転移で余命1年宣告ですから、
良くなることはない(抗がん剤により良くなる可能性がないわけではないのでしょうが)。
しかし、ピンピンコロリではなく、体力がガタガタと落ち、行動範囲も極端に狭まった今、
食欲があるのに、なぜ体力低下が起きるのだろう。行動範囲が狭まるのだろう。
と言った疑問を補足してくれたのが、この本に書かれた
体は絶妙にバランスを取って行くというくだりでした。

ガンだから。ガンが悪さをしているから。今飲んでいるお薬が合わないから。
今飲んでいるお薬が強いから。
様々な原因を考えて不安になっていましたが、
ガンによって体の機能が部分的に低下していく中で
体は絶妙なバランス感覚で、維持されているという考えを加えると
体力の低下も、体調不良による行動範囲の狭まりも、
母の体が絶妙に選択したことなのだとしたら、
それが一番良い経過のようにも思えてきました。
ただし、苦しいとか、強い吐き気とか、かゆいとかは気の毒です。

できるだけ母の自主性と、現在の希望と、母の体の対応力を信じて
あまり不安になりすぎたり悲観的になりすぎず
緊張感もほどほどに寄り添って行ければ良いかなっと思っています。

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