メンタル

お正月、兄夫婦来宅も疲弊。後・復活。

兄夫婦が来宅しました。
お正月の夫婦での来宅は、コロナ以降なかったので、
とても楽しみでした。
若干、母の具合などが気にはなりましたが、良い意味で活発な感じがしたので、
心配するほどではない、っと思いました。

兄夫婦がご来宅。
お嫁さんの方はいつものように、とっても気を使ってくれました。
私は女性ではないし、お嫁さんでもないのでわかりませんが、
父の親戚にとても気を使う母を見てきたので、気の毒に思えるので、
回数が増すたびに、私もできるだけ気を使うようにはしてきました。
(兄は、俺にはもったいない。私は、兄よ素晴らしい方じゃないか。母は、兄を好きになってくれたのは嬉しいが、兄が不愉快なら別れてもしょうがない。囚われてほしくない女性の味方スタンス)
が、お嫁さんの方はいつも以上に、とても気を使ってくれていました。
最初から最後まで。
そして、時々そんなお嫁さんを気にかける兄。母も、ざっくばらんな感じで
活発な感じで、気を使わせないように、気おつけていたようにも思えます。

しかし、私はなぜか、当初からバテていました。
お嫁さんにも気をまわせず、兄に甘えてしまうような、
ぶっきらぼうな態度を終始とってしまいました。
お嫁さんはとても素直で純情な方だと思うので、
気だけを使わせてしまい、寂しい思いもさせてしまったかもしれません。
会話の仲間はずれ。(まるで)いじめですね。

言い訳をすれば私は兄夫婦来宅前から、とても疲労感がありました。
だから、お嫁さんがいないかのように、母と兄との共通の会話を
私の都合でしてばかりいましたし、とても気を使ってくれているお嫁さんを、
私は気を使わずに、かなりスベった人格で対応してしまいました。

兄夫婦が帰宅して、私が自分の部屋に戻ると、
疲労感と、私の妄想内の、父の思惑(計画)に対する邪推(私は人の心が読めないのに)、
を考えて嫌な思いになったり、過去の嫌なことを次々と思い出したり、
いつもの自分の一人のペースが、自分の部屋で一人なのに、全くつかめなかったりして、
疲労感も抜けず、邪推の妄想や過去の嫌な記憶ばかり浮かんできたりし続けたので、
これは年末年始で疲れているのだろう。っと思い、
睡眠を取れば、スッキリするだろう。っと言う、
とっても都合の良い、(自分勝手に)合理的な思考のもと、寝ようとしましたが、
今日の自分のだダメだったところが少し、自意識過剰に、きっと兄夫婦は私を心配してくれるだろう。
と言う、自意識過剰な自分本位の考えが浮かんだり、
父はどうしてメールの返信をくれないのだろうか。どう言う思惑(計画)があるのだろうか、
でもそれに乗るつもりは毛頭ない。などを考えていて、全然寝付けず、
そんな事ばかり考えても寝れないし、嫌になったので、
昔見た映画を思い出したりしながら、部屋の電気を消して、コタツに潜り、
寝れたら良いな。っと思いながら、昔見た映画の記憶をリプレイしていきました。

体は重く、全く寝付けず、落ち着きもなくなっていきました。
本来なら、母の湯たんぽのお湯を入れ替える時間でしたが、
体を動かす気になれず、食器片付けや、食器洗いも、今はできない。っと思うも、
私がやらなければ、母がやってしまう。そうなったら誰が嬉しいのだろうか。
誰も嬉しくないし、後で後悔するのは私だ。っと思い、
片付けなどを済ませはしたものの、暗い自分の部屋に戻って、コタツに潜って
過去に見た映画の記憶に浸るように務めました。

ネガティブなことばかりが浮かぶ頭の中と、自分本位の妄想。
全く寝付けない一方で目が冴えているのか、体は焦燥感を煽る感じでした。
無理やり、笑ったり、酒を飲もうか。っとも思いましたが、
テレビの光も、音も嫌でしたし、起き上がることもしたくはなかったので、
過去に見た映画の妄想に意識を持っていき、横になり続けました。

2~3時間経った頃に、少しずつ、ポジティブな今日の反省が浮かぶようになってきました。
時間はいつもよりも遅いですが、母の湯たんぽのお湯の入れ替えをしようという気になりだしました。
一通りの用事を済ませて、一応念の為に、改めて部屋の電気を消して
こたつに潜ってみましたが、2~3時間前とは、明らかに頭に浮かぶ思考が変わっていきました。
起き上がりたくない。光も音も嫌だ。っと思っていましたが、
ポジティブな考えも浮かぶようになってきたので、今日の考えをおさらいしてみました。

年末は、人もにぎやかだし、疲労も貯まるだろう。
母のことは、疲労があっても精神的疲労は皆無。むしろ感謝しかないですし、
とても勉強になるので、ありがたいくらいです。
そして、母はかつてず~とコキ使われ続けたからでしょうか。
私に感謝といたわりを言葉で伝えてくれます。
もったいないことです。母が私にやり続けてくれたことの足元にも及びません。
しかも、とても良い経験をさせてもらっています。やりたいからやっているのです。
兄に勧めたくらいでした。
兄も、母のお世話をしたいのなら、したほうが良いよ。
私はとても良い経験になっているし、勉強にもなっているよ。と
母と兄のお嫁さんがいる前で、兄に伝えたことは良かったと思えました。
兄のお嫁さんは、とっても純粋で向学心も高い方なので、「勉強にもなるよ」と言う辺りに
興味を持ってくれたようでしたが、その時の私は、疲労感が強かったので、スルーしてしまいました。

兄のお嫁さんに申し訳ない。あんなに気を使ってくれていたのに、
私は、まるで気を使えず、全然だったな。
母と兄と私の3人で集まったのならともかく、
お嫁さんが来てくれて4人なのだから、お嫁さんに楽しんでもらう。
そうすれば、お嫁さん大好きの兄も、楽しくなって、私と母は、
その二人が楽しそうな感じの流れで、嫌でも楽しくなったであろう。
きっと、4人で楽しめれば、もっと楽しかったはずだろうな。
次は絶対にそうしたいな。そう思い出すようになりました。

そして、疲労の「原因探し」をしてしまっている自分に気が付きました。
原因なんか自分でわかるわけないし、わかったところでやり直せないのに。
ノイローゼが悪化していたのかな。ポジティブな反省はしたいけれども、
「原因探し」なんかどうでも良い。そう思い浮かびました。
さらに、昼夜逆転しても、それはそれでしょうがないな。ノイローゼだから。
っという、軽い開き直りもできました。

お正月がすでにイベントですが、兄夫婦の来宅ももちろんイベントです。
いつもと違う、おせちをつまみながらお酒をダラダラ飲む。
私の内臓にしてみたら、いつもとぜんぜん違う時間に、お酒やらおせちやらを
放り込まれた上に、ダラダラと長い時間いつもと違うお酒を飲んでいましたので
「いつもと違うこの感じ。冗談じゃないよ。」っと
怒ったのでしょう。
それを受け取った脳みそは、「了解!内臓クン。ちょっとこいつの活動力落とすわ」っとなり、
活動力も思考力も落ちてしまった。
そうなると、何万年もマンモスと命がけで戦ってきたご先祖様の血を受け継ぐ私は、
体の機能が低下すると、命の危険があるわけですから、あらゆる不安やネガティブ思考が浮かんできます。じゃないと、仲間に殺されたり、獣に食われちゃいますからね。
それが何万年も受け継いで来た血液に内在されていますから、今の私は、緊張感で眠れないけれども、用心深さ由来の不安感から、ネガティブ思考が次々に浮かんできたのでしょう。
体というのは凄いものだなっと思いました。

この状態では、無理に寝れるはずもないな。っと思い、
お正月だから、非・日常的だし、昼夜逆転もするし、体がそうしたいならそのほうが正しいと思う。
っと言う、考えのもと、
お酒を飲みたくなってきたので、お酒を用意して、
後は流れで。っと思うことができました。


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診察日(社会的共有時間と孤立)

前回の診察時には、母が先生に挨拶をしたい。っという事でしたので
母が挨拶の後に、私の診察となり
あまり話をしませんでした。

今回は、私1人での診察ですので、
前回の診察の時に言った「お金さえあればなんとかなります。無いですけど。」っと、
母が先生に私のことをそう言ってくれたようなので
私もそう言いましたが、これを訂正しに行きました。

仮にお金があったとしても、生きていけるはずが無いと思っています。
今の私の、自分以外の他人との関係は、「母」がほとんどです。
ですから、母が死んでしまったら、極端なくらいに
自分以外の他人との接点がなくなります。
これは結構キツイことだと思っている。というか、無理。と言う趣旨で、先生に話そうと思い
待合室で待っている時に、雑誌コーナーにあった
「こころの元気プラス2022年10月号」の特集「つながるって大変」を読んでいました。

ちょうど今回先生に話そうと思っていた、人や社会とのつながり等を
紹介してくれている記事でした。
すべて参考になったのですが、特に「無理しない」「焦らない」と言うことを
感じさせてくれた、実体験の経験談でした。
そして、社会や自分以外との他人とのつながりにおいて
私は今もそうなるでしょうが、
まず、雛形のような人間関係を持ち、自分が疲れて、ほどなくしてつながりが切れてしまいます。
そしてここから、経験談や思いを書かれているのですが、
自分次第の、自分なりのつながりにいたるケースが主に前半で、
人や社会との明確なつながりはないが、
経験談を書かれている方の考えでは、こういうつながり。ああいうつながり。
も、つながりだと捉えている方々のお話が後半部分になっていました。

最近読んだ、中野剛志先生の「奇跡の社会科学 現代の問題を解決しうる名著の知恵」を読んで
(私のような低学歴のモノでも楽しく読めました)
社会・組織体の中での人間性がとても必要で不可欠だとも考えました。
そこから見えてきたのは、
やはり人間性が大切であって、効率性や合理性ばかりを追求したり、
学校などで言えば、喧嘩が強いとか、運動神経があるとか、絵がうまいとか、
(それらすべてがなく居場所もなかった私ですが)
そう言うことではなくって、それはそれで良い。
自分が自分であるという認識は「我思う故に我あり」ではなく、
他者との関わりや、会話、タダ居る。それでまずは良いという風に感じました。
そして、日本語を話し、父と母から生まれて、いつも通る道路や
よく行くお店などがあって、家ではテレビを見たりする。
そういった要素があるのだから、そこに要られることが居場所はなくても出来た。
そして、それは社会性を持ち学び維持していく上で、とても大切なことだった。
っというように自分なりの理解をしていきました。

不登校や、学校が苦しい子供などが無理やり行く必要がないのも
その組織や共同体にいて、人間味が押しつぶされてしまうのならば
そもそも行く必要がなく、その組織や共同体や学校が、合わない人が出てくるのは当たり前です。
特に未成年は、多感なのですから、むしろいろいろな感性を持った子供が出てくるのは
その学校の健全性でもある証が不登校なのかもしれません。

中野剛志先生の本を読んで、「社会のマクドナルド化」に警鐘を鳴らすようなイメージでした。
低コストで、時間どうりに、いつも同じ味の商品が出てくる。
しかし、そこで働く人の離職率や休職率は高く、
人間はそういった過酷な環境下で働き続けることは出来ない。
客の側にしても、座りにくい椅子でいつもの味を食べて
長い目で健康を考えると、低コストなのだろうか。精神的な健全性があるのだろうか。
と言った部分で、結局は合理的でも、機能的でもないのではないか?
と言う感じでした。
大人でもそうなのですから、多感な青少年が必ずしも、決められた学校に
通うことが楽しい人もいれば、行きたくない人もいるのは当然でしょう。

日本語で放送されているテレビを見ることも社会との繋がりでしょうし、
自分を生み育ててくれている親のもとに居ることも社会性でしょう。
ただ、精神的にはきつくなっていくと思います。

つまり今回の診察で先生に言いたかったことは、
母が死ぬと精神的にきつくなっていく。
過去の記憶をたどったとしても、その存在の大きな部分。母がいなくなるのですから。
共有記憶ではなく、個人の記憶となると、それは妄想かもしれません。
学校・組織・家族・他人、との共有の記憶ではない
個人の記憶は、あまりにも不確かだし、妄想だと言っても良いのかもしれません。
そのような個人だけの記憶や考えは、拠り所がまったくないために
そして不確実で不確かなために、後悔や自責の念にとらわれ始めた時に
あまりにももろすぎる上に、歪んだ方向性に進むか、自分を責めることを止められなくなるか。

社会と関わりを持ちたいけれども、
今までうまく行った試しもない。と言う所で「こころの元気プラス」を読み
「焦らない」と言う気持ちが持てたのは非常に大きかったです。

人間関係や他人との関わりは、わずらわしさも多くあります。
だけど、自分以外との他人と関わらないと、
いくらお金があっても生きてはいけないでしょう。
そして私やうちの世帯にはお金がない。
その上で母がいなくなる。
恐ろしいのですが、
だからといって「焦らない」
だいたい私は、
雛形のような真っ当な感じを求めて失敗します。
自分の中での他者との共有性を感じられる時間を少しでも過ごせたら
それはそれで社会性だとも思いたいところです。
母は「私が死んだらあんた一人なのよ」と言われて「全然大丈夫。なんとかなるし」っと
格好のいいことを言い続けていますが、
実際は、落ち着きを持って考えて感じていかなければとも思っています。

追記:投稿30分後
自分で読み返し、自分がアホであること。めんどくさい。そう言う考えだからじゃないか?
と言う考えが浮かびました。

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明日の診察の予習

私自身がお世話になり続けている
精神科の診察が明日にあります。
先日の予約では、病院に向かう途中、
熱中症になって病院に行かず帰ったこともあり
熱中症が怖いので、明日も行かなくてもいいかな。
っという思いもあったのですが、
母親が絶対に行ってほしいということもあり
通勤タイム少し後の時間に、病院に予約をとっているので
母を安心させるためにも行こうと思っています。

母親のガンの診察で、余命1年と宣告されて
当初私は、動揺しませんでしたが、「どうもおかしいなぁ~」っという
自分のネガティブな思考
・自分のせいで母は癌になったのではないか
・自分がここ数年しっかりしていないから癌が悪化したのではないか
・一体どうしたら良いのだろう
・もう会えなくなるのか。寂しい、悲しい。
などの自分の思考に気が付き、
自分がビックリして、動揺していることに少し気がつけました。

数日後、母にその事を話しました。
・私はビックしていると思う
・動揺もしていると思う
すると母は、「ごめんね。迷惑かけて」っという
温かい言葉をいただきました。
そして、母親自身も、ステージ4からのガン宣告から
これと言った日常生活の不自由もなく過ごしてきたから
この前の診察で、余命1年と宣告されてビックリした。っと母の心の内も
少しだけ語ってくれました。

現在の自分は、
・ビックリはしていない
・動揺はあると思うけれども、言葉にできる自覚はない
・母が余命1年宣告を受けたことに対する不安や悲しみがある(母が居なくなってしまう)
・母が父に対する恨みを抱えているのが心配(仏教的に恨みは煩悩で苦しみだから)

明日精神科のお医者さんに私が話すこと
・母が、余命1年と宣告されたことの経過
・当初は現実感がなかったが、次第に、ビックリした気持ちや動揺した気持ち、悲しみや寂しさもあると思うし、これからも動揺していくだろうという気持ち。
・母には、自身が望む終末期や最後を迎えてほしいという気持ち。
・しかし、私には、母に寄り添う力や支える力には、私自身の容量を超えては無理だという気持ち。
・苦しみ、衰弱していく母を受け入れる準備などはない気持ち。
・母は、父に恨みを持っていて、それを持っている母が楽になってほしい気持ち。

私が、24時間パニック障害で苦しんでいる時に取り入れた考え方で
強く仏教の影響を受けているのですが
「今」を感じる。とか、「人間(特に心)は、常に不完全」とか、色々ありますが
未来に対して、「さっぱりわかりません」というスタンスで
「今」の「リアクション」の積み重ね。「今日を生きれば明日が勝手に来ちゃう」
と言う考えが染み付いていますので、あまり予定や計画は持ちにくくなっています。

母には、気を使わせたくないですし、
かと言って、私の精神科のお医者さんにも上手く説明できる自信がまるでなく
かと言って、精神科に行かないと母が気にしてしまうので、間違いなく行きますが
・もし母が死んで、経済的に苦しくなったときの対処法
なども、今考えられないというか、
そうなった時にリアクションを取らざる負えないと思うので
その時に考えようとも思います。

とりあえず明日はしっかり起きて、精神科で診察を受けて
まずは母を安心させる。(と言っても母に対する不安な感情が思い浮かばないのですが)
熱中症にならないように対処して
二日酔いはしょうがないとしても、熱中症や二日酔いのできる対策はする。
(忌まわしい過去をどうしても思い出してしまうので、酒無しはきついのです)

そもそも母が先に死ぬこと。
その過程において、飼っていた犬が見せてくれたように
徐々に衰弱していって、「あれ?犬は生きる気がないのかな」などと考えつつも
身ぎれいにして何時間も膝に乗せて
眠るばかりの犬のそばに寄り添って、死んでいった犬。
う~ん。特に精神科の先生に吐き出せる、私自身の不安や動揺は
言葉に出来ないものはたくさんあるのでしょうが
どういったものにすれば良いのでしょう。

カマエイド 「口内炎が痛い」レシピを検索 | がん(癌)患者・家族の食事

2020年08月09日 キャパシティー

オッサンになったことで、単純に体力が減りました。
それに伴い集中力も、思考力も。

先日、自分に対してオタオタしましたが
その日の夜、布団の中で
お腹には水分が行き、首から上には
高濃度の血液が集中しているかのごとく
頭が締め付けられるような思いで
ただただ、苦しくなっていくのを耐えていたので
起きて酒飲みました。

自分を責めたり、健康的な予定を立てただけで
寝れなくなって、ズッコケています。

こう言う頭締め付け状態は、
肩から上に、力が入って緊張している事が多いので
今考えれば、酒を飲まなくても良かったのですが。

意識的に顔の筋肉の力を抜き
(眉間・アゴ・頭皮・脳みそを、腹式呼吸で)
脳みそを想像しながら、脳の血液などが
後頭部から頚椎を流れて、背骨に入っていき
コシへと流れて行くイメージを持ち
リキんでいたら力を抜くようにしていくと
楽になっていくことが多いと思います。

眉間・アゴ・頭皮などの緊張は
肩を含めて息を吐きながら意識的にチカラを抜き
首を通って下腹部に血液が流れていくイメージをしながら。

先日、自分が図々しく下品であると思いましたので
そこから、いきなりなんとかしようとか
目標を持つと、だいたいやらない上に
やらなかった自分をさらに責めてしまうので
当分の間は、オタオタしたり、恥ずかしさで暑くなったり
いきなり、ちゃんとしようという考えが浮かんでしまいますが
できないか、やっても続かないので、
オタオタする日々を送ろうと思います。

なんとなく時間が経ったら
やらなくても自分を責めないで良いことで
やったら楽しいこと。小さい目標を持とうと思います。

2020年08月07日 不快な生き物(俺)

私は、言葉だけは一人前以上なのです。
今の私は、図々しくって、下品で不潔な存在です。

先生に診察して頂いた後
家に帰ってなにかモヤモヤすると思い
振り返ってオタオタしました。

いかに自分がアホかを知りました。

前回診察頂いた時に

私は軽いぎっくり腰と、
湿布を貼ったら皮膚が炎症(かゆい)を起こしたこと。
最近お酒を飲みすぎ。
夜中まで飲んでいる。
おつまみも食べ過ぎ。
夜中まで食べている。
改善しようと思っている。
そういった事を言いました。

経過報告のつもりでしたが、要約すれば
オッサンが、運動もしないのに
酒飲みすぎて食いすぎて、腰が痛いのかゆいの。
と言う話をしてしまって
現在大変後悔しています。
それは、そうなるでしょう。


図々しくって、下品で不潔。
そのくせ言葉だけはわかったようなことを言う。
何も成長していないどころか
悪化していますし、
半年後か1年後か、全て忘れて
同じことを続けつつ、更に図々しくって下品で不潔さは増すでしょう。

腰の痛みだって、運動不足はもちろんですが
どう考えたってデブになったからでしょう。
しかも、自分の体を観察してみたら
お腹を引っ込めようとしているのです。
そしてさらに腰を悪化させています。

お腹が引っ込むとか、脚を鍛えようという意識の前に
日々悪質化していく人間性を
お腹を引っ込めるが如く無自覚に隠しているのですから
自分から人間性を下げているようなものです。

体型は変わらないどころか、もっとオッサン化していくのは
これは年齢的に仕方がありませんが
この下がってきた上に更に下がっていく人間性は
もはやオタオタするしか方法が見つかりません。

自分の将来のために働いている方や
家族奥さんのために働いている方
お子さんのために働いている方。
そう言う方々が、言葉だけは偉そうで
生き方が、図々しく下品で不潔なことがないのでしょうから
やはりオタオタしてしまいます。

とりあえず、
・皮膚のかゆみ
清潔にする。

・腰が痛い
可能なストレッチと筋トレとマッサージによって、
次第に、運動強度を上げていく。

もはや人が見たら不愉快になるような、お腹と
図々しさ下品さ不潔さを形にしたような、太もも。
モラハラ以上のボディーと人間性。
オタオタしています。

自傷行為を考えて

22才位の時に、初めてメンタルオフに参加して以来、
ごくわずかな期間を除けば、
人間関係の全てが、メンタルさんでした。

その中には、自傷行為やオーバードーズなどを
ひんぱんにしてしまう方も居て
そのどちらの経験もない私は、
自己主張の一種。くらいに考えていました。

特にネットでは、自傷行為の方を目にする機会が多く
自傷行為の画像をアップされている方も居たりもしました。

その意図が測りかねていました。
苦しんでいることのを、具体化したことでの
インパクトを狙っているのか、
心配してほしいのか。

私自身がオッサンになった今、
自傷行為の意図が、簡単な理由など無く、
したいわけでもなければ、むしろしたくないんだろうと思う次第です。

徳川家康が、江戸幕府を開くときの名言
「百姓は、生かさず殺さず」
を思い出します。
家康が本当にそんなこと言ったのかは知りませんが。

自傷行為自体の多様性。
様々な自傷行為、オリジナリティー豊かな自傷行為の数々
っと、言うよりも、
似た傾向というか、その多様性のなさに
自傷行為の方々を一括に見がちで
同じ方向性を見てしまっていましたが、
多分違うのだろうなっと、思ったのは、10年くらい前でした。

そもそも、年齢も多様で、
生活環境や生い立ち。
職業や悩みなども多種多様なのですから
インパクトが大きい自傷行為ですが
自傷行為に目が行くこと自体が、そもそも私の視点がズレズレでした。

「切ると、スッとする」「切ると、落ち着く」
などの言葉をよく耳にしましたが、
その対価は、病院に行けばおそらく全額自己負担でしょうし
やめたい気持ちもかなり強くあるでしょうし。

なぜ、自分の血を見ると落ち着くのか。
という事は、物凄くきつい思いを、
我慢しまくって、しまくって、精根尽き果てて
その手段の一環としての自傷行為なのでしょうか。

ご本人は、抱えているキツさを
精根尽き果てるまで踏ん張って、
でもそれがどうしようもない上に
何なのかわからなくって
なんだかわからないけれども
耐えまくって、耐えまくって、
この段階では、もはや、思考力や集中力や精神力は
かなり低くなっているでしょうし
そもそも、そのキツさを自分というキャパシティーを超えて
それでもご自身の中にあり続けて
一番厄介なのは、他人に説明のしようがない。
呪われているかのような、非科学的な重さを抱えていて
自分のキャパシティーを超えているのに
他人に説明のしようがないから
その非科学的な重さを、足がくさろうが
全部を自分だけで抱えるしか無く
説明が通じることで得られるであろう
抱え込んでいる重荷を分散、一旦地面に置く
もしくは
上手な持ち方が、いちじるしくありえないのかもしれません。
自分で理解できない、自分拷問エキスパート級。

「カミソリで体切ったら、痛みがないのかよ。」
と思っていましたが、無いのかもしれません。
切って血が流れる事のほうが
気持ちも精神も、一時的に落ち着くのでしょうから。

おそらく、眠っている時にも
自分よりも大きくて、割りに合わないサイズ感と重さを保有した苦しみから
開放されないような気もします。
そもそも、眠れなそうでもありそうですし。

思考力も体力も精神力も、
ガンガン削り取って行き、精根尽き果てているのに
容赦なく苦しくって、しかも、息つく暇などあるわけもなく
1秒も無駄なく、24時間、毎日苦しめてくる
苦しみの重さ。

たぶん、誰にも伝わらない苦しみの24時間毎日休みなし。
しかも、自分でも、おそらくその非科学的な重みを
見ることも、感じることもできない。
っと、したら、自傷行為という行為によって
何かしらの、実体感みたいなものが産まれているような気もします。

だから、自傷行為は必然であるのかなとも思います。
そこまで否定的な行為ではないと言うか。
注目すべきはそこではないと言うか。
御自身が、自信満々でやっていたら否定的と思いますが
少なくとも、自傷行為をしたご本人は
あとで、色々めんどくさいことも含めて
後悔が起こると思うので。

それにしても、血もでるし
痛そうで怖い行為だとしか思えないですが。


アピール感のない経験談、読了

クリニックの診察日。
待ち時間の長さはいつものように長いのですが、
コロナウイルスも心配で
待合室にある新聞や雑誌に触れないでいようと思いましたが、
さすがに長かったので、
こころ元気プラス」と言う
メンタルヘルスの雑誌に目を通しました。

2020年03月号で、
ピアサポート。
ピアサポートのスタッフになる。などの特集が組まれていました。
(ピアサポートとは、一般に、「同じような立場の人によるサポート」といった意味で用いられる言葉である。なお、相談に力点を置いた「ピアカウンセリング」、傾聴に力点を置いた「ピアリスニング」なども類似の概念である。)
Wikipedia

ピアサポートを経て、職業訓練や、就職、
その体験談、失敗談や離職経験など多数出ていたようでした。
そこには興味が持てず、流してしまい
連載されている、大野祐先生の
認知行動療法のページなどを読んでいました。

何気なく読んだ、ページに
ベテルの家の試みだと思うのですが、
自分に病名をつけて、その病名を研究していく
っと言う患者本人が、スタッフや当事者間の協力を得て
自己のネガティブな部分を、文章化していくという
連載ページを読んで、強い興味がわきました。
(他の号の方のは、病気や思考が違いすぎるからか
ピンとこなかったのですが)

この方は、御自身に「ダメダメお化け憑依型」と言う
かなりグッと来る病名をつけておられて
「この人の文章力や発想は、ただ者ではない!」
っと思いながら、とっても興味深く読み進めさせていただきました。
他に印象に残ったのは「二軍感」「お化けは成仏してくれませんでした」。

この方は、子供の頃から、運動神経も勉強も人より劣ってしまうと
自分に「私はみんなよりもできないからだめだ」っと、思うようになり
その思考を、ずっと続けてきたようでした。
(高校も出てるし大学も出ていたかな?就職も果たしたような)

この方は、「ダメダメお化け憑依型」病を治療しようと
打席に入ってフルスイング。
結果がどうであれ、一生懸命やって、フルスイングはしたのだから
次の打席でも、フルスイングで行こう。
一生懸命やって、フルスイングしたのだから
毎回100%上手くいくことなんて無いから
次に向かって、前を向いていこう。
と言う感じの処方箋を書かれていました
っが、「ダメダメお化け憑依型」病の根元
ダメダメお化けの成仏までには至らず
一旦、研究を発表されたようです。

私にとっては、素晴らしい経験談を読めたと
若干興奮気味になりましたが、
作者の方の意思は、
「似たような方の研究の助けになれば」っと。
私には、この方の一連の試みは
その病名や言語化のセンスの高さも含め
大きな救いになりました。
その結果、診察時には、ほぼその話をしまくりました。

この方のようなワードセンスや、文章力はないですが
私も、自分に自分で病名をつけて、
研究してみたくなりました。

ちなみに、診察時にお医者さんに、
近場のべてるの家がどこにあるかなどを聞けましたが
コロナウイルス騒動の中、
母が、抗がん剤を服用していて、免疫力が低く
私が風邪をひくと、その日のうちに写り
熱で苦しませてしまった、苦い経験があるので
お医者さんには、その旨を伝えて
流石に今は人が集まる場所にはいけません。
っと、話はしましたが、
家から駅に出て、電車に乗って(予期不安怖い)。
しかも、時間も決まっているでしょうし
(時間の決まった予定に緊張して寝れない)。
人との関係を築くのも抵抗がありますから
本心は、一歩踏み出さないでいるだけのような気もしてきましたが。



2018年 09月30日 自分の顔が気持ち悪い

証明写真や、免許証の写真(私は身分証代わりに原付きの免許保有)は

当たり前のように、自分の顔が気持ちわるいです。

 

しかし、いい年コイタオッサンだし、

自意識過剰に自分の顔の気持ち悪さを気にしても

整形するわけでもないのですから

気にしないように、していたのですが、

昨日不意に、自分の顔の気持ち悪さに、引きまくりました。

 

顔面の比率が、七三分けか!と言う感じの顔面。

汚い肌と、気持ちの悪い顔面比率。

 

歯は黄色くガタガタで、不愉快。

 

なによりも目が、不審者丸出しです。

 

形などではなく、目の雰囲気が、

不健康のヤバイ不審者丸出しです。

 

運動不足。

不摂生。

姿勢が悪い。

歯並びが悪い。

性格は、卑屈で暗い。

 

それを見事に表現している顔面のキモさ。

いや、それ以上に感じる顔面のキモさ。

自分で、引くほどのキモさ。

 

ただ、だからと言って、この顔面を変えようがないのですから、

受け入れて、意識しないようにしていくしか思い浮かべません。

 

だから、まずは、己の顔面のキモさや、リアル感満点の自分の顔を

とにかく、これは自意識過剰だと、

人に見られているわけでもないし、

人に見られる生活でもないですから、

自分さえ気にしなければ、精神的にはなんとかなりそうな気もします。

 

っと、言いますか、そうしないと

自分の顔面なだけに、自意識過剰をこじらせる確率が高いと思うので

認知行動療法などを使って、気にしないようにしていきたいと思っています。

 

 

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2018年 09月09日 憧れや癒やしでもあった、写真集という救い

いい夢を見てしまいました。

 

益若つばささんに、似た女性とイチャツク夢でした。

なにか事務所のような場所の中で、

超・密着してきて、その素敵なお顔と密着感を楽しむことが出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、

色々と、事務所に来所する女性の

「もう、思わせぶりに見ないで」と言う感じの仕草など、

私がへこむ事務所内のやり取りや、

家に帰ろうとしても帰れない感じの夢を見ながら、起床いたしました。

 

初恋の人は、

まさに益若つばささんが表現した笑顔を、

思いっきり表現しまくる、真顔でも表現しまくる女の子でした(たぶん)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時はまだ小学生の低学年だったと思いますが。

 

私は、

同い年=友達。

以外の価値観がなく、

女性の心理や、女性の心を考える。

そんなちびっ子ではなかったので、

たくさん、たくさん、この女性を傷つけたのではないかと思います。

 

自意識過剰ですから、妄想だと思いますが。

 

私が、強度の引きこもりになった時、

その救いは、写真集でした。

「女性を見ていい」のですから。

 

見ていい。

 

そして、

こんなふうになりたい。

 

そんな思いも多分に含まれていました。

 

私は同性愛ではないですし、女装癖もないですが、

「見ていい」「こんなふうになりたい」っと思う人は、

すべて写真集の女性でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考えてみれば、高校生の時から、

女子に対する憧れ(屈折した性欲)は、凄まじいものがありました。

 

肌が白くって、可愛い髪型をしていて、

可愛い服を来て、

何よりも、顔がすっごく魅力的で。

繊細でキャシャで。

 

成長しきれていない私は、

ただただ、週刊誌のグラビアを見ては、ごきげんになり、

こんな見た目になりたいなぁ~。っと憧れてばかりいました。

 

写真集の女性を見ながら、

「この女性ならば付き合いたい!」っと、

屈折した性欲と、童貞をこじらせすぎて

上から目線で、女性を見ていましたが、

世の中のすべての女性にビビっていました。

自意識過剰が強すぎて。

同時に過去の記憶(妄想)からの自意識過剰も強く

逃げるように写真集を見ていました。

 

その一方で、写真集の女性の方々の、

スタイル。ガタイ。にも注目していました。

松浦亜弥さんのガタイの良さが理想でしたが

ヒョロガリな上に、ノイローゼで節食障害もあった私は、

どうあがいても体重が増えず、

かと言って減らず、

公園に行って走ったり運動したりしていたのですが

微動だにしない体重は無視して、

形を意識するようにしました。

 

(ただ、足はルパンのごとくO脚で、姿勢はひどい猫背だし、鏡の前だけで粋がっていましたが)

 

そんな体重や体型の変化が起き始めた30代中盤。

じみーに、良くなっていたノイローゼが

「良くなっているのではないか?」

という思いを持てることが出来ました。

 

写真集を出版してくれた多くの女性には、

ただただ感謝の念しかありません。

今はもう、昔ほどの集中力や、憧れを持って写真集を見なくなったし

写真集自体も見なくなっていますが、

若くて、可愛い。美しい。スタイルがいい。

そんな貴重な姿を見せてくれたのですから。

 

 

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2018年 08月21日 自己対自己

朝の10時に目が覚めた場合、

私の場合は、ここから

もう一眠りします。

 

気合を入れて頑張って。

 

たとえ全く眠くなくとも、

背中が痛かろうとも、

昼過ぎまで寝なければ、持て余した時間を

自分で、自分を苦しめる 時間に使ってしまうからです。

 

気分の悪い夢を見た時も、

気合を入れてもう一眠りします。

 

夢には迫力があるので、

悪夢や、イメージの悪い夢を見た後だと、

起きた後、苦痛なのです。

 

もう一回寝ることで、

なんとかリセットしようと試みます。

 

ただ、人は過剰に寝すぎると、

体(特に太もも)が汗をかくようで、

それが原因で、不快な夢を見たり、

不快な思いをすることもありますが。

 

「持て余した、「体力・気力・集中力・精神力」を持つ・「時間」」が怖いのです。

 

その時間に、色々と妄想してしまったり

自分を責める過去の記憶を蘇らせてしまったり、

それなのに時間は全然過ぎていません。

 

さらに、

脳のキャパシティーや、お腹の中や、体の中に、

核分裂と言いますか、

マグマのかけらと言いますか、

そんな感じの

「自分にとって極めて不快なエネルギー」の存在を感じます。

 

体力や集中力はあるのに、今の自分には、なにもない。

 

だから、エネルギーが放出されずに、

体内に無理に溜まってしまってしまうのでしょうか。

 

凄く「グツグツ、イライラ」としながらも、

あてどころのない感覚にさいなまれます。

 

それが怖くって、無理やり寝るのですが

最近はあまり眠れなくなってきました。

 

負のスパイラルに入ったのかもしれません。

 

若い頃ならば、習い事の稽古を一心不乱にしたり、

公園に行って走ったり、

最近でも、

ストレッチをしていましたが、

発散されないイラ立ちが、

余計に重いストレスとなって のしかかっているようで、苦しみを増します。

 

 

私は父親と母親を尊敬しているし、

これ以上の迷惑はかけたくないので、

昔は「反抗期」っと、言い訳できた反発も、

今は全くしたくないですし(そもそもオッサンですし)、

自分のはけ口は、自分でなんとかしたいものです。

ただ、他者とのコミュニケーションが一番だとも思いますが。

でも、他者とのコミュニケーションでもすぐに調子に乗るから

自分が人を傷つける存在であったり、

鬱陶しく思われてしまう経験多数。

 

トイレ掃除も、ストレス解消や

マグマの破片消化には有効的な気がします。

 

私は自傷をしたことはありません。

リストカットとかなのですが。

 

でも、昔から自傷癖のある方とは

メル友だったり、オフ会で会ったりもしてはいました。

 

その頃は自傷に至る動機に関心がありませんでした。

まともに立つことも呼吸も出来ない

自分のことで、おっつかないくらいでしたから。

 

何年か前に、自傷癖のある方々のブログにコメントを残すようになって

若干、

その方々が抱える、自傷に至る、

なんとなくモヤモヤした理由のようなものを感じました。

 

私自身もそうですが、

働いている時間や、睡眠時さえも、

モヤモヤと、ふつふつとしたマグマの破片を

それの正体がわからない、

言葉に出来ないどころか、表現なんてオクがましいくらい

なんだかわからない

本人一人ではとても抱えきれない重さを誇る何かを

背負い続けているではないかと思いました。

 

表に出せるすべもなく、

自分自身に貯め込む(背負い続ける)しかない上に

(でも、自身のキャパシティー(背負う体力は)はとっくに超えている)

自分自身の中には、核分裂をしているエネルギーがあって

中身が何なのか、いくらアプローチしてみてもわからない

苦しみのカタマリを背負い続けながら、なお、

なんとか踏ん張って、頑張っているような方々と言いますか。

 

それは、いついかなる時もその本人を責めていくような。

寝てるときや食事の時や、一人でいるとでさえも。

 

唯一その苦しみが

目に見える形(自分で確認できる苦しみ)にできるのが

ひょっとしたら自傷行為なのかなぁ。とも思いました。

 

(性行為に依存しがちな自傷癖の方には、性行為はあまり発散にならないと思うような)

(男女の出会いやセックスのような感情に作用するであろうことにおいて

不健康な他者とのコミュニケーションはツラくなるダケのような気がします)

 

 

全身転移の母親に、少しでも長生きしてほしい気持ち。

 

戦争を生き抜いた父親に、一日でも長く行きて欲しと願う気持ち。

 

幸せな結婚をした兄のじゃまにならないように

迷惑をかけたくない気持ち。

 

この、お腹の中に貯まる

そして脳を締め付ける、エネルギーは、

他者との親交によってしか、発散されないような気がします。

 

でも、私はすぐに調子に乗って相手の弱い所を攻撃してしまうし。

優位に立ったら立ったで、怯えますから。

 

人間関係が未熟すぎるなぁ~。

 

 

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