応援しているアーティストさんがいるのですが、

ここ最近「変わらなければ」とか、「自分と向き合う」とか、「変わることって苦しいのかな」など、

何かあったのかな?っと思う投稿がSNSで目についたので、

・好きな人に振られた

・好きじゃない人に告白された

・何かしら事件にあった

などと考えていましたが、

ひょっとしたら、

自分とは何者なのか?と言う思いにかられているのかなぁ~。っと思いました。

 

そこで若かりし頃の自分の記憶をたどってみました。

 

その頃は、何者でもない自分が、恥ずかしくって、苦しくって、

あまりにもその思いが強すぎて

その隙間にスッポリと、自意識過剰と、こじれた被害者妄想がはまり、

集中力と体力を振り絞って

自分の首をグイグイ締めていました。

 

ドンドン鬱になって行き、焦りも強く、イライラしながらも

必死に現実逃避(テレビを見まくることで、空想の世界の住人になる・自意識過剰たっぷりに)を

しまくってもいました。

 

何者でもない自分を、何者かにするためには

どうすれば良いのかを考えていたら、

ノイローゼになり、最終的には精神科にお世話になって

日常生活もままならない体調になっていました。

 

ただ、そのことで、「病人」にはなれた訳ですが。

 

(全員が全員、精神的に病むようではないようです)

(ある方は、狂ったように同じ戦車のプラモデルを作りまくったそうです→その後社会人に)

 

全く病気が回復していないのに、

何者でもない自分への恥ずかしさは

自意識過剰も手伝って

やはり苦しいものでした。

 

社会人になれば何者かになれるかもしれない!

っと言う、短絡的な思考で、社会人になることを目標としました。

 

日常生活もままならない体と意識なのに、

そもそも良い考えが浮かぶわけもないですし、

仮に社会人を目指しても、なれるはずがないのですが、

(なったとしても続くわけもない)

思考力と集中力は、ほぼ全てノイローゼに持っていかれていますから

立つことすら苦しい体で、強い焦りの中、履歴書を書くことにしました。

 

震えが止まらない手に力を入れて、なんとか書こうとしたら

ゲロを吐いて気を失いました。

 

普通に考えれば、その時点でどうかしている自分に強い警戒感を持ち

一旦落ち着かなければと思うものかもしれませんが、

社会人になれれば、なんとかなる。と言う浅はかさで

履歴書を書いていました。

 

(たとえ社会人になれたとしても、やり甲斐を得られなければ、やはり何者でもないと思います。

社会性・人間関係を持つ会社組織のなかで、自尊心や、自己認識欲も得られなかったでしょうから。

やはり、どんなに少しでも良いので、就職それ自体ではなく

気持ちがある仕事を探すべきでした。)

 

またこの履歴書というのが辛かった。

 

経歴の空白期間。この時期何をしていたかと言う「嘘」を考えるわけですが

それも、嘘バレバレの嘘を書いていました。

でもそのくらいならば大したことはなかったのですが、

「長所」「短所」の欄が、とてつもなく苦しみを己に与え続けた記憶があります。

 

おそらく

自分で自分を客観視出来ているか?と言う、項目だと思うのですが、

そもそも自分にこだわって、ノイローゼになって体まで壊したのですから

苦しいに決まっていますし、

多くの方々が、「自分の長所」「自分の短所」を考えた時に、

本当に書ける人がどれくらいいるのかと思ってしまいます。

 

オッサンになった今、

自分の本心から、長所・短所、を考えたら

急激に具合が悪くなりました。

 

それでも一応考えついたのが、

長所は「ない」

短所は「わからない」でした。

 

そもそもオッサンになった今、

人としてドンドンレベルダウンしていくこの感覚は

「自分」「自我」「自意識」「我思う故に我あり」「自己への客観性」「自分の社会的存在理由」などなど、

そんな事を考える体力も集中力もありません。

といいますか、そもそもそんなものは無いという感覚になったといいますか。

 

若い頃は、「自分」の身の置所。(居場所探しという方も居ます)

社会的にも認められていて、恥ずかしくない場所を漠然と手に入れようとしていました。

「何者かになりたくって」しょうがなかったのです。

だから自分を客観視しようともしました。

 

そしてなぜだかよく寝てました。

精神科に通う頃には、ほぼ睡眠が取れなくなっていましたが

その頃を除けば(と言っても何年もですが)、

若い頃はよく寝ていたという記憶がございます。

 

高校を出て、もしくは、専門学校、短大、大学、大学院を順調に卒業後

順調に就職して、社会の中で生きておられる方々も

若い頃は自分を苦しめる思考を持ったり

よく寝るのでしょうか。

 

昔のお嫁さんの多くは、

家事手伝いを経て、結婚ということで、社会の一員になったと思います。

そのことによって、「社会的肯定感」や「自尊心」「自己認識欲」などは満たされていたのかもしれません。

今もそうかも知れませんし、

全くそうじゃないかもしれませんが。

 

しかし、

さすがオッサンになると、若かりし頃の記憶ももはやぼんやりとしていて

苦しみぬいた毎日を送った日々を思い出そうとすると

もうあの日々は来ないでほしいと心から思います。

 

大島渚監督の映画に「青春残酷物語」というのがあります。

見たことないので内容は知りませんが

この映画のタイトルは、その通りだとも思いました。

 

いまは、肯定感もなければ否定感もないように思います。

そもそも、「自己」を考えなくなった(られなくなったオッサンだから)とも思いますし。

 

 

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