私の精神科の先生に、母が挨拶をしてくれたその日の夜、
無性に悲しくなっていきました。
歳をとり、癌になって、体も小さくなり、動くのも大変そうで。
以前のような体力にはもう戻らない。
そう考えると、少し前まで、元気にしていた母を思い出したり
過去の母を思い出したり、そして、母には申し訳ないという
自分で自分を責め、後悔する。っと言う、循環に入っていました。
その循環の中に居て悲しみが増していく自分を自覚していましたが、
喜怒哀楽などの、感情は抑えないほうが良い。っと思っているので
猛烈に悲しいという気持ちは抑えないでいました。
布団に入って、母の今。母の体の現実。などを考えてみました。
癌は母の体から出来たもので、母の体の中で増えてきたし、増えている。
それは私や家族が母に与え続けたストレスが大きいだろう
(でも、因果関係はあまり考えない、過去の記憶頼みだから)。
癌の薬が丁度良く効いていた頃は、母の体にも目立った副反応はなく
その感じで進んでいくのかと思っていたら、今回の強い副作用で、
体力をガタっと落とし、削られてしまった体力はもう戻らないと思う。
癌のお薬を中断して、副反応が抜けていってはいるが、少しずつ、ゆっくりとで
母の年齢的な体のおとろえとともに、気分よく改善することも最早ない。
母の体の中で癌細胞は生まれて、増えていっている。
母の体力を奪いながら。
そう考えていく中で、この考へはまとまることが無いだろうっと、思いました。
過去に記憶を戻しても、母の癌が良くなるわけでもないし、反省はあっても
今に反映できる後悔のしようがないし、自分責めに走って
あまり意味がありそうな感じもしません。
時間は一方通行なのだから。
後悔はどんな時間を過ごしていても、過去に対してはどうしてもするものでしょうし。
母に対して、私を産み育ててくれた感謝のほうが大きくなっていきました。
将来的に母は死ぬでしょう。
人間は100%の確率で死にます。そこには誤差もブレもなく。100%死ぬ。
それがいつなのかは、わかりませんが、いきなり死ぬと言うよりも、
歳をとって、体が弱っていき、思うように体が動かなくなり、
削られて、小さくなって、命の火を弱めながら、いずれ死ぬ。
おそらく今の母は、その道半ばにあって、母の体は、
癌細胞があって、体も弱り、体力も削られて、思うように体も動かせず、1日中寝床にいます。
今回の癌のお薬の副作用が抜ける過程の中でも、チョットずつチョットずつだったように
毎日の中で、チョットずつ削られて、チョットずつ命の火を弱めていくのでしょう。
ただ、今回の副作用の出方は、チョットずつではなく
ググッと来て、ガツンとしていました。
私の精神科の帰り、母とマクドナルドでハンバーガーなどを買って、家に戻りました。
そのハンバーガーの袋を眺めながら、母と買ったマクドナルド。っと思うと、
とても嬉しくありがたいものに見えていました。
その日を振り返り、母の車椅子を押せることへの喜びと母への感謝。
私が料理を作っている時も、これを母が食べてくれると思うと、
嬉しくなって感謝の念がわきます。
母の使った食器を洗っている時も、食器洗わせてくれてありがとう。と思い嬉しくなり
ゴミ捨ても、トイレ掃除もお風呂掃除も、もちろん自分のゴミと汚れでもあるんですが
母の出したゴミを片付けさせてくれてありがとう。
母の使うトイレやお風呂を掃除できる嬉しさ。感謝の念。
作った食事を食べてくれて、洗った食器を使ってくれて、
掃除したトイレや風呂を使ってくれて、色々、私に頼み事をしてくれて
本当に嬉しくってありがたくって、感謝の念が沸き起こりました。
そう考えて、そう感じていく中で、悲しみは薄れ、
母がグーグ寝ていれば、同じ時間を過ごせていることへの母への感謝もわき
母がテレビのチャンネルを変えれば、
寝ながら起きている母と時間を共に過ごせて居ることへの感謝など、
存在そのものに嬉しさを感じ、感謝と尊敬の念が沸き起こります。
特に、尊敬させてくれる母に対する感謝と喜びが大きいです。
母を見ると感じる嬉しさと尊敬と感謝の念が、沸々とおこり
悲しさが薄らいでいきます。
また元気になってくれそうだ。っと言う思いもおこりながら。


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