母の体調不良

母は、体調不良が苦しいのか、
トイレ以外は寝床に居いるような状態です。
毎日30分~2時間ぐらい喋っていた会話も、
私が少しテンションを上げて話すと、つらそうにして会話も終わってしまいます。

「もう介護してもらっているね」っとチカラ無く言う母ですが、
私は、全く介護をしている気がなく、
食材の材料買い出し・ゴミ捨て・食事作り・呼ばれたら行く。と言う位しかしていないので
全く介護をしている気になってはいません。

ただ、母の外出時(ガンの病院への通院)などの時に
外で具合が悪くなったときに備えて、車椅子を常備したいと思うので
介護保険の申請などや、車椅子が1割負担で借りられるように、しておきたいです。
母も言いましたが、もっと早く申請しておけばよかったです。

昨日、調子に乗って酒を飲んだ私は
グーグー寝ていました。
母からのLINEは、通知があればチェックしていましたが
昨日作った、生たらこの煮付けが美味しかったよ。っと来て、
食事は取れたんだ。っと、安心してグーグー寝ました。

今日は買い物に行かないの?っというLINEを受け取り
起床して、母のもとに向かい、もちろん行きますよ。っと言うと
まだ痒みはあるが、収まりつつある。体は浮腫がある。具合も良くはない。
っと言いながらも、私を気遣ってでしょうか、
良くなってきたような気がする。食欲がある。今日はあんたがいつも買っている
唐揚げを私にも買ってきて。と言うリクエストを受けて
母の食事+唐揚げを購入し、帰宅いたしました。

玄関前では、年老いた犬がお散歩をしていました。
「もう歩きたくない」「家に帰りたい」「動けない」「抱っこして家に連れ帰って」
そんな感じの印象を受けました。
玄関前に枯れ葉が溜まっていたので、そそくさと掃除して
母に、食事と唐揚げを届けました。

なんだか元気そうな母を見たら、
この調子で良くなっていくのかな?っと思いましたが、
部屋に戻ってしばらくすると、LINEが届き、来て欲しい。っと。

母は、とてもつらそうにうつ向いて、
私の心は慌てましたが、吐いているのか。っと察しました。
体がよほどつらいんだ。背中を擦るのか、病院に電話するのか、
などを考えていましたが、母は割と元気な声で、
ゲロ用の袋をとってほしい。っと言うと、ゲロゲロして
あんたもう良いよ。と言いました。

唐揚げを食って、気持ち悪くなったのかな。っと思い
母の吐き気を心配しました。
かゆい苦しい痛いなどを、私には緩和することが出来ません。
そして、母親の「もう介護してもらっているね」っという言葉を思い出し
ひょっとしたら、緩和ケア-に入ったほうが良い段階に来ているのだろうか。
っという思いが浮かびました。

母親のガンの先生は、強い薬を出しがちなような気が私にはしますが、
だからといって薬を抑えていけば、
一時的に元気にはなるでしょうが、あくまで一時的(短期間)で、
おそらくは、その後は、滑り台を降りていくように
死に向かっていくような気もします。

だからといって、母の死を怖がりすぎても、母には負担でしょう。
ひょっとしたら薬が強いのかもしれない。
薬を段階的に弱めていけば、その方が母にとっては良いかもしれない。
かゆみ止めの薬は、副作用がここまで強いのかな。
それとも今は一旦停止している、ガンのお薬を飲まないから
体が、わかりやすいくらいにがん細胞と戦って、疲弊している影響なのだろうか。

様々な憶測を、偏差値43の高校を(約30年前に)無事卒業した私が、
色々と考えましたが、当然わかるわけがございません。

母の体調不良は、がん細胞によるものなのだろうか。
母の年齢も加味しているのだろうか。
当然、ステージ4の全身転移のガンで、進行形の病気ですから
「こういうものなんですよ」っと、専門家に言われてしまえば
そうなんだ。っと思うしかありません。

母の病院に、患者の家族も相談できる窓口があるので
そこに相談予約を取りました。
今の先生は、強いお薬を出したがる傾向にあるのではないか。
母は、痛いかゆい苦しいなどの思いはしたくないと言っている。
しかし、母は、気を使わせないためか、なぜだか、その手の苦しみを我慢してしまう。
今も吐き気や体調不良を我慢しているようだ。
っと思うと同時に、
今の強めのお薬の処方を抑えていったら、加速を付けて死に向かっていってしまうのではないか。
その過程で、痛みや苦しみ痒みや吐き気などが、軽減されれば良いけれども
どのような経過をたどるのだろうか。
がん患者はこういうものなのだろうか。
もっと、穏やかな段階を踏んで、枯れていくのかと思っていた。
ガンとは、こういった症状が出る病気なのだろうか。
お薬に副作用があるのではないだろうか。
私がショックを受けてビックリし過ぎなのだろうか。
こういう経過をたどり、こういうものならば、緩和の方向性も模索していかなければ。

かつて、「東京タワー」とい本を書かれた
リリー・フランキーさんが、メディアで仰っていた
「母親が死ぬ。私はひざまずいて泣き叫びたい。渋谷のスクランブル交差点に立った時に、
この人達は、こんなことを経験しているのか。それでも歩いて立って
何事もないようにしているのか!」っと、
自身のお話をされていました。

母には少しでも楽になって欲しいと思うばかりです。
私や兄弟や長男にも気を使い、でも、体は弱っていき、体調も不良。
どうか、我慢を強いることなく、穏やかに過ごしてほしいものです。

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母の状態

体のかゆみでダウンしてしまっていた母ですが
かゆみは緩和してきたものの
皮膚の乾燥や、吐き気、体のむくみなどで
またしてもダウン状態になりました。

ガンのお薬を止めて、かゆみ止めなどを服薬して
まだ数日ですが、
かゆみが出てからの期間を考えると
3週間は苦しんでいることになります。

痒み、吐き気、皮膚の乾燥による突っ張り感、体のむくみ。
薬を変える前は、出ていない症状でしたし、
かゆみ、吐き気を止めるために、また薬が出ていることに対して
ひょっとして、余計なことを母の体にしているのではないか?っという思いが浮かびました。

これだけの期間、参ってしまっている母を見て思い出すのは
以前、イブランスを、外国人並みに処方されていた時でした。
日に日にバテていき、グッタリとしてしまっていく母を見て
お薬やめたらどうだろうか?っと言ったほどでした。
その時に似ている感があります。

母の体にとって、ガンを抑えることも大切なことだとは思いますが
その結果、薬の副作用でバテて具合が悪くなり、その対処療法をしている。
また、その対処療法(服薬)が、体に異常をもたらす。

本で読んだかテレビで見たか、
思い出すのは、がん患者に点滴をして、
ブドウ糖はガンに行き、体が処理できない水分や栄養が
体に溜まってしまい、注射で水を抜く。
意識も無くなって、しかし、苦しむガン患者に
鎮静剤を投与して、拘束具をつける。といった感じを思い浮かべます。

現在母の体に出ている作用は
体にかゆみが出てきて、
精神的に参ってしまって動けないほどになっていたところ
かゆみを抑える薬の処方を受けて、今度は吐き気・体のむくみ、などの体調不良になる。
っと言った、薬の悪循環のように思えてなりません。
本来母が望んでいた終末期は、徐々に枯れて行き死ぬ。
その過程において、痛い苦しいかゆいなどの苦しみは、取り除いてほしいが
最小限にとどめて欲しい。っと言ったものでしたが、
今の母の様子を見ていると、苦しみながら死んでいく過程をたどっているように見えてしまいます。

今のお医者さんになって、強い薬を出したがる傾向にあり
今飲んでいる(今は一時的に停止)ガンのお薬が
体に合わないか、強すぎるのだとしたら、やり過ぎる点滴と同じように思えます。
一度私自身が病院に相談に行ったほうが良いのかもしれません。
ただ、外出が困難な私にとっては、あまりにハードルが高いですが。

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ここ最近の母の体調観察記録

母が、皮膚のかゆみによる精神的なダメージを考えて
皮膚科の受診をしてみてはどうか。と伝えたところ、
ガンの先生の病院を受信するように決めたようで少し安心しました。

受診日に、母は家からバス停(歩いて3分)まで行く途中に具合が悪くなったようで
私に何度かLINEを送ってきました。
私はスヤスヤと寝てしまっていて、LINEのSOSメッセージに気が付きませんでした。
その後、4度目のLINEで、タクシーで病院に行くことにした。
タクシーに乗っていたら少し回復した。とのメッセージがありました。

私がそれらのLINEを見たのは、2時間半後でした。
LINEを見て慌てた私は、どこかで母が苦しんでいないか、
思いっきり寝てしまっていて私は何をやっているんだ、っと焦りましたが、
母に、今すぐ行こうか?っと問うと、
心配をかけて申し訳ない。今から病院を出ます。などの、
きめの細かいメッセージを送ってくれました。

もう体調は回復したのだろうか?そう思いながらも、
いつでも母の呼び出しに答えられるように準備をしようと考えました。
しかし、こう言う不安や焦りと共に「待つ」状況が苦手な私は、
近所のスーパーに食料の買い出しに行き、コンビニでコーヒーを買って帰宅しました。
母はその間にも、私を心配させまいと、今どこに居るかと言うLINEメッセージをくれていました。

近所のバス停まで迎えに来てほしいというLINEが届き
やっぱり具合が悪いんだ。っと思い、慌てて近所のバス停まで直行。
母の荷物を持ち(汗か脂汗で熱くて湿っていた)、母を家までサポートしました。
歩くこともつらそうな母は、自分から、自転車の後ろに乗ってもいいか?と訪ねてきたので
母を自転車の後ろに乗せて、家の玄関前までつくことができました。

母は玄関先で、フルマラソンを走り終えた選手のようにうなだれて
今回の、行きの地元のバス停から病院からの帰り道も含め
ずっと具合が悪かったのだと思いました。

唯一の好材料は、母が玄関先でうなだれて苦しそうな中で
何か簡単な食事を買ってきて欲しい。と言う、食欲があると思える言葉でした。
今思うと、無理してでも食べなければと言う、母の健気な気力からの言葉なのかもしれません。

急いで食べ物を買って帰ると、家の中で着替えていました。
おそらく吐き気もあるだろうし、今は話をする余裕もないかもしれない。
そう思い、母の食事を置いて、自室に戻りました。

一眠りしたようなので、母を見に行くと、バテては居たようですが
声が少し元気になり、顔も少し明るい感じになっていました。
母は話をするのはつらいかもしれない。そう思っていた私に気を使ったのでしょう。
母から、一連の経過と、受診の結果を話してくれました。

最近、新しく処方された薬はしばらく飲まないで、
かゆみ止めの軟膏と飲み薬。吐き気どめの飲み薬などの処方された模様です。
最近新しく処方されたお薬が強いのではないか。っと、母は言っていました。

食事を軽く済ませて、眠りにつき、
翌朝の朝は、かなり回復したようでした。
皮膚の痒そうな症状は可愛そうですが、明らかに痒さが軽減したようで
つらいけれどもこの前ほどではないと。
そして、心配をかけて申し訳ないと、事ある毎に言ってくれました。

回復したように見えた母でしたが、さすがに1日で、今までのお薬の副作用や
体調不良が抜けるはずもなく、
夜になると、今度は吐き気が出てきたとのことでした。
母に、夕食を買ってきて欲しいと頼まれて、買いに行き
母は少なめにその食事を食べたあと、吐き気止めなども含むお薬を飲んだようです。

もし、母親の最初のSOSのLINEメッセージに気がついていたとして
その後にどうなっていたかを考えました。
とりあえず母を家に戻したかもしれませんし、
母と一緒に病院に行っていたかもしれない。

母と一緒に病院に行った可能性は、母の体調不良具合にもよりますが
母が病院に行きたいといえば行った可能性もあります。
今後も、母と一緒に病院に行く可能性を考慮してみたところ、
車椅子が家にあったほうが良いのではないか。という考えが浮かびました。

検索をかけてみましたが、どうも介護保険適用ではないと
レンタルなどの場合は、高額な値段になる模様です。
そこで母に、介護保険の審査を受けてみないか?っと言ったところ
母親は、私はもうとっくに介護保険申請していなきゃいけなかったのにね。っと、
気を使わせてしまいました。

母は、調子が回復している時に、パソコンで色々調べてみたようで
老人ホームや、ケアマネージャー。介護保険についても
色々と調べた感じです。

ここの老人ホームのケアマネージャーに相談したい。というこを教えてくれました。
そこの老人ホームが、調べた中で一番良さそうだからということで。
母が老人ホームに入るかどうかは、わかりませんし、
母にとっては在宅が良いのではないか、
BSフジ・プライムニュースの終末期医療のあり方についての回を見た私は、
訪問看護師や、訪問のお医者さんのほうが、
終末期には適しているのではないかという考えが根強くあるので、
老人ホーム?っという思いもありましたが、
なにせ今住んでいる家は、トイレも不便でお風呂も不便でシャワーもなく
家が歪んでいるのか、家中のとびらが重くて、弱ってきた老人にはあまりにも不向きなので
母にとって快適な環境であるならば、それに従おうと思いましたが、
私もいちいち、在宅のほうが良いのではないか?っと母には伝えています。

母は、自分の性格を、大雑把なくせに繊細だから、迷惑ばかりかけてごめんね。
心配ばかりかけてごめんね。
もしあんたがつらくなったら、飛び出してもいいからね。自由にしなさい。
などの、気遣い発言を連発していますが、
そもそも、SOSを発信したラインが届いた時に
思いっきりスヤスヤ寝ていた私に、気遣いは無用なわけです。
それに、私は、精神が弱いので、母を心配して良い限界は、
普通の方々よりも極めて低く、母の死の想定や、母が弱っていく想定などしたら、
ノイローゼが爆発してしまいますので、行き当りばったりです。
しかも、母のSOS時には、極めてよく寝ています。

しかし、ガンのお医者さんも、いくらガンが増えたからと言って
副作用が強いお薬を処方したり、抗がん剤を勧めてきたり、
母にも同意を得ましたが、まだまだ青い先生のように思えました。
余命1年を宣告したのだったら、その期間をどういうふうに生きたいか。
例えば抗がん剤ならば、どうなった時に抗がん剤をやめるか。
そういった説明がおそらくなされては居ないようです。
1日でも長く生きればいいというものではなく
つらい苦しいかゆいなどがない、吐き気や体調不良もない。
そういった日々をいかに過ごしていけるか。
それは例え命が短くなったとしても、
「苦しい我慢」を「強いる」ことなく、体に任せていけるような平穏死に向かって
終末期を迎えてもらいたいし、母親自身もそう望んでいるのですから。

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母。皮膚のかゆみに苦しむ

ここ最近、母が皮膚のかゆみに苦しんでいます。
母親自身は、「体洗っていないから、お風呂に入れば治る」とか、
「四日くらいすると、かゆみが取れてくる」と言っていました。

私は、母がガンのお薬を変えたことによる副作用か、
ガンそのものによる、作用ではないか、
高齢化に伴い、皮膚のかゆみが出てきた、
日頃の食生活の影響もあるのではないか。っと考えていました。

しかし、母のかゆみは収まることはなく、むしろ悪化しているようにも思え、
ガンのお医者さんにもらった塗り薬を塗ったり、保湿剤を塗っても収まらないようです。
寝ている時は、かゆみを気にしないでいられるようですが
起きている間は相当かゆいようで、
精神的にもバテてしまっているようでした。

老齢期 かゆみ」で検索をかけたら、
高齢者にはよくあることのようですが、そのページを見ると
「辛い訴えです。」っと書かれていて、よくよく考えてみました。

起きて動くこともできないくらいに精神的に参ってしまっている。
かなりバテている。
起きている間は常にかゆみと戦っている(塗り薬もしている)。

検索して出てきたページを見ていても、
塗り薬で軽減されないかゆみを、我慢しなくてはいけないのは、気の毒だ。
塗り薬で軽減されず、かいてしまって悪循環に陥っている。
だいたい、ここまでのかゆみは我慢するものなのだろうか。

っという思いから、母に、皮膚科を勧めました。
塗り薬でも軽減されていない上に、生活に大きく支障が出ている。
もしそれが痛みなのだとしたら、痛み止めを飲むだろう。
かゆみを我慢するよりも、一回皮膚科に行って、
ちゃんと診断してもらい、かゆみが軽減する薬を処方してもらったらどうだろう。

そう言ったことを母に話しました。
母は、まず、私に心配をかけて気を使わせたことをわびてきましたが、
かゆみに耐える母が気の毒なこと。
精神的にかなり疲弊しまって、思うようにできない母が気の毒なこと。
果たして塗り薬で軽減しないかゆみ自体を、我慢すれば治るのだろうか。という疑問。
何よりも母が気の毒です。

今飲んでいるガンのお薬は、免疫力を大きく下げてしまうため
その副反応としての、皮膚に対するかゆみとも考えましたが、
母が、かゆみを我慢していく中での精神的疲弊が顕著でした。

母が皮膚科に行ってくれる気持ちになってくれれば良いですし、
かゆみが無くなってくれれば良いのですが。
我慢や忍耐力による疲弊は、本来、母も望むところではなく
それは緩和してほしいという、今後の入院後の母自身の意思なども考えると
やはり、飲み薬であってもかゆみを我慢するよりは、
少しでも快適な時間を過ごしてほしいです。

参考サイト
公益財団法人長寿科学振興財団 健康長寿ネット 老人性乾皮症
かゆみナビ かゆみの治療と対策

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後悔しない死の迎え方 後閑愛美 著

母が、余命1年宣告を受けて
母の死が現実味を増してきました。

数々の看取りを行った看護師さんの、看取りのエピソード集や経験されたこと
そして、看護師さんが考えたことや思ったことなどが書かれています。

一番印象的だったのは、
死に向かって衰弱していく時に、体は病気の部分などに合わせて
絶妙にバランスを取っていく。
と言った内容のくだりでした。

以前、BSフジ プライムニュースで見た
終末期医療について考える 回(ゲスト・清水哲郎先生・長尾和宏先生)を見ていたので、
老衰、衰弱、など、ゆっくり弱っていって、やがて死ぬ(平穏死・石飛幸三先生)。
と言う、終末期の迎え方があることを知りましたし、
その後に何冊か読んだ、長尾和宏先生の本などでも、
抗がん剤や、点滴。余計なことをしてし過ぎてしまう医療もあることを
少しだけ知っていました。
抗がん剤や点滴、胃ろうなどが悪いのではなく
やりすぎてしまうと、体がおかしくなってしまうという感じでした。

極端に言えば、ガンにより体の機能が低下する→動けなくなっていく→
食事の量が減っていく→体が徐々に衰えて小さくなっていく→
体内の水分や栄養を使ってやせ細っていく→死ぬ(平穏死)

そこで補助的に上手く、平穏死に持っていくための
抗がん剤や点滴や胃ろうは、やり方次第だという感じのものでした。

今回この本を読んだことで、かねてからの疑問や不安であった
・母親がやせ衰えてゆっくり死んでいくことに耐えられるだろうか。
・かと言って、必要以上の栄養や水、お薬や医療行為などで、
死に際の母を苦しめることは避けたい。
・しかし、そんなに上手くいくのだろうか。
・悲しいし不安が強いだろうけれども、体に任せるように、体内の栄養や水分を消費していき
やがて平穏死を迎えてほしい。母ともその考えは同じ(母は私や人に迷惑はかけたくないようだけれども、延命措置や点滴(痛い苦しいかゆいなどは点滴もやむなし)はやらないで欲しいと言っている)。
などの考えに対して、この本を読むことで補足できたように思います。

そして、今現在も進行していて、私がビビっている
母の体力低下や、体調不良。などに対する恐怖にも似た不安が
緩和されたようにも思いました。

ガン細胞は母の体から生まれたもので、そのガン細胞を体の免疫はやっつけようとしますが
一方でその援軍として、抗がん剤ではない薬を飲んでいます。
ステージ4で全身転移で余命1年宣告ですから、
良くなることはない(抗がん剤により良くなる可能性がないわけではないのでしょうが)。
しかし、ピンピンコロリではなく、体力がガタガタと落ち、行動範囲も極端に狭まった今、
食欲があるのに、なぜ体力低下が起きるのだろう。行動範囲が狭まるのだろう。
と言った疑問を補足してくれたのが、この本に書かれた
体は絶妙にバランスを取って行くというくだりでした。

ガンだから。ガンが悪さをしているから。今飲んでいるお薬が合わないから。
今飲んでいるお薬が強いから。
様々な原因を考えて不安になっていましたが、
ガンによって体の機能が部分的に低下していく中で
体は絶妙なバランス感覚で、維持されているという考えを加えると
体力の低下も、体調不良による行動範囲の狭まりも、
母の体が絶妙に選択したことなのだとしたら、
それが一番良い経過のようにも思えてきました。
ただし、苦しいとか、強い吐き気とか、かゆいとかは気の毒です。

できるだけ母の自主性と、現在の希望と、母の体の対応力を信じて
あまり不安になりすぎたり悲観的になりすぎず
緊張感もほどほどに寄り添って行ければ良いかなっと思っています。

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母親の内心

母が余命1年宣告を受けてしばらく
母が家の掃除や整理を仕出しました。

最初は、銀行預金などの重要な書類を
わかりやすく整理しているのかな?と思いましたが、
今度は洋服や、本や食器なども片付け始めました。
母は「暑い暑い」と言いながら
黙々と、掃除をしていました。

私は、死ぬ前にやっておきたいのかな?っと思い、手伝ったりしていましたが
どうも、体力以上にやっているように見えました。
「ひょっとしたら、母は死を目の前にして、気持ちに動揺があって、ジッとしていたくないのかな」
とも思いました。
そう思いながら見ていると、そう言う印象も受けます。

体力低下と暑さの中、黙々と片付けや書類整理をしている母。
動揺があるとしたら、それは当然でしょう。
これからどうやって死に向かっていくのか。
その間に何をするか。また、どういう段階に入っていくのか。
色々と考えてしまうでしょうし、気持ちが動揺するのはむしろ当たり前です。

母の体力低下は顕著です。
2年くらい前からガタリと体力が落ちました。
そして、コロナワクチン接種後の副反応×3で、
ガタガタガタと、体力を落とした印象があります。

そうやって徐々に枯れて行き、最後を迎えるのでしょうか。
寂しくって悲しい気持ちになりますが、
私にできることは、なるべくそばにいて、
頼まれたことをやったり、母のお手伝いしかありません。
母の体力低下が目に見えてわかるので、寂しさと悲しさは出てしまいます。
母の前では出しませんが。

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人間の言葉と体力

母のガンは、肝臓で増えているので
体力がガタッと落ちてしまっています。

母親自身は、体力の低下と、年齢によるものだと考えたいようですが
私が、母の肝臓にガンが増えたことを知ってしまった以上、
「若い格闘技の選手も、ガタッと体力やパフォーマンスが落ちる時があるんだよ。
先輩格闘家に相談すると、肝臓などの検査をしてもらえって言われて、
肝臓や膵臓や腎臓などの数値が悪化していて、
日常生活の改善で、内臓の数値を戻すと、体力やパフォーマンスが戻るらしいんだ。
肝臓に新たにガンが増えたのだから、体力低下は、
この暑さでも、運動不足でもなく、ガンによるものかもしれないね」
っと母に告げました。

言うかどうかは迷いましたが、
母の余命を母自身が考えて知る結果になればと思いましたので、言ってみました。
あまり母は、実感が無いようで、やはり、暑さや体力低下だと思っているようですが、
私が思うに、肝臓などの内臓転移やガンの増殖によるものだと思います。

近所のスーパーまで行き、買い物をして、帰ってくることも
とってもきつい様子です。
幸いなことは、食欲があることと
屋内での日常生活はこなせていることです。

スーパーまでの行き帰りなら、私が、二人乗り自転車を漕げば良いのかとも思ったので
いろいろ調べてみましたが、母を乗せて、荷物も載せて、漕げる自転車が見当たりません。
こうなったら自分で作るしか無いのでしょうか。
ただ、作業場所がないので、工場などに発注か、自転車屋さんに相談するかです。
子供を2人載せて漕げる自転車があるから、出来ないこともないと思ってしまいます。
ただ、おまわりさんに迷惑をかけたくないので、
よくわかりませんが、私は車の免許は持っていません。
私の集中力のなさで、車を運転することが怖いのです。
経済的な面においても無理です。

家系的な血筋において、明らかに車大好き家系なのですが
申し訳なくも私の軟弱な精神では、自動車免許は多分取れるでしょうが、
やはり精神的な障害による、集中力の欠如を気にしてしまいます。

本当は、母も、父も、私に「車出して」っと言いたい日常生活が、
毎日のようにあると思います。
そうすれば、スーパーの買物も、
量を気にしなくて買えますし、箱買いなんかも当たり前で、
少し離れた楽しいスーパーや量販店やホームセンターに行けるのでしょう。

今日も私はバカ丸出しで、スーパーに買物に行きました。
おナスが安かったのと、お刺身が安かったので。
もちろん自転車で。

入り口に差し掛かると、
ペットボトルのフタを捨てるボックスで、
アクセクしているお年寄りを見ました。
その方は、私が3個のペットボトルの蓋を捨ているのを待っていると
ご自身は袋に何十個もフタをすているようで、
順番を私に譲ってくれました。

おそらくスーパーのルール的にはいけないのでしょうが、
ペットボトルを捨てるゴミ箱は、1個ずつしか入れられないので
私はガバっと蓋を取り、「どうぞ」っと言いました。
そのおばあさんは、とっても感謝してくれて、
私も嬉しくなりました。

このスーパーでの買物は少量でしたので、
お野菜などの値段をチャックはしたものの、さっさと店を出ていこうとしたら、
今度は、大量のペットボトルの蓋を、一個一個、とても一生懸命に捨てている
おじいさんがいました。後ろに並んでいる方も居ますので、焦っていたのでしょう。
フタを落としたりしながら、慌てている様子でした。

私は、本体の蓋をガバっと取り、おじいさんは一気にすてられました。
「あぁ~。そうやるんですね。助かりました。ありがとうございます」。っと。
次に並んでいたおばさんも、ザラーっとキャップを捨てて、
「ありがとうございます」と言ってくれました。

スーパーに迷惑をかけてはいけないので、
キャップ以外の物が捨てられてはい無いかを確認した後に
ガバッと蓋を締めました。外は暑いですから。

なんだかスッカリ良いことをした気持ちになってしまいました。
お礼を言われたり、協力をしたことに自惚れていたのかもしれませんが、
暑い外で、あの方達の手間が省けてよかった。っといい気分になりました。
フタをガバッと取っただけですが。

ペットボトルも、ペットボトルの蓋も、
何十個か貯まると、ワクチン一回分寄付と言うことになるそうです。
スーパーに書いてありました。
そう言う、「何かの役に立つなら」っという気持ちも、
ペットボトルの蓋を捨てていた方の気持ちにはあるでしょう。
それに、この暑さの中、ペットボトルや、そのフタなどは、
早く処分したいと思います。

「どうもありがとう」っと言われて、なんだか嬉しくなりました。

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明日の診察の予習

私自身がお世話になり続けている
精神科の診察が明日にあります。
先日の予約では、病院に向かう途中、
熱中症になって病院に行かず帰ったこともあり
熱中症が怖いので、明日も行かなくてもいいかな。
っという思いもあったのですが、
母親が絶対に行ってほしいということもあり
通勤タイム少し後の時間に、病院に予約をとっているので
母を安心させるためにも行こうと思っています。

母親のガンの診察で、余命1年と宣告されて
当初私は、動揺しませんでしたが、「どうもおかしいなぁ~」っという
自分のネガティブな思考
・自分のせいで母は癌になったのではないか
・自分がここ数年しっかりしていないから癌が悪化したのではないか
・一体どうしたら良いのだろう
・もう会えなくなるのか。寂しい、悲しい。
などの自分の思考に気が付き、
自分がビックリして、動揺していることに少し気がつけました。

数日後、母にその事を話しました。
・私はビックしていると思う
・動揺もしていると思う
すると母は、「ごめんね。迷惑かけて」っという
温かい言葉をいただきました。
そして、母親自身も、ステージ4からのガン宣告から
これと言った日常生活の不自由もなく過ごしてきたから
この前の診察で、余命1年と宣告されてビックリした。っと母の心の内も
少しだけ語ってくれました。

現在の自分は、
・ビックリはしていない
・動揺はあると思うけれども、言葉にできる自覚はない
・母が余命1年宣告を受けたことに対する不安や悲しみがある(母が居なくなってしまう)
・母が父に対する恨みを抱えているのが心配(仏教的に恨みは煩悩で苦しみだから)

明日精神科のお医者さんに私が話すこと
・母が、余命1年と宣告されたことの経過
・当初は現実感がなかったが、次第に、ビックリした気持ちや動揺した気持ち、悲しみや寂しさもあると思うし、これからも動揺していくだろうという気持ち。
・母には、自身が望む終末期や最後を迎えてほしいという気持ち。
・しかし、私には、母に寄り添う力や支える力には、私自身の容量を超えては無理だという気持ち。
・苦しみ、衰弱していく母を受け入れる準備などはない気持ち。
・母は、父に恨みを持っていて、それを持っている母が楽になってほしい気持ち。

私が、24時間パニック障害で苦しんでいる時に取り入れた考え方で
強く仏教の影響を受けているのですが
「今」を感じる。とか、「人間(特に心)は、常に不完全」とか、色々ありますが
未来に対して、「さっぱりわかりません」というスタンスで
「今」の「リアクション」の積み重ね。「今日を生きれば明日が勝手に来ちゃう」
と言う考えが染み付いていますので、あまり予定や計画は持ちにくくなっています。

母には、気を使わせたくないですし、
かと言って、私の精神科のお医者さんにも上手く説明できる自信がまるでなく
かと言って、精神科に行かないと母が気にしてしまうので、間違いなく行きますが
・もし母が死んで、経済的に苦しくなったときの対処法
なども、今考えられないというか、
そうなった時にリアクションを取らざる負えないと思うので
その時に考えようとも思います。

とりあえず明日はしっかり起きて、精神科で診察を受けて
まずは母を安心させる。(と言っても母に対する不安な感情が思い浮かばないのですが)
熱中症にならないように対処して
二日酔いはしょうがないとしても、熱中症や二日酔いのできる対策はする。
(忌まわしい過去をどうしても思い出してしまうので、酒無しはきついのです)

そもそも母が先に死ぬこと。
その過程において、飼っていた犬が見せてくれたように
徐々に衰弱していって、「あれ?犬は生きる気がないのかな」などと考えつつも
身ぎれいにして何時間も膝に乗せて
眠るばかりの犬のそばに寄り添って、死んでいった犬。
う~ん。特に精神科の先生に吐き出せる、私自身の不安や動揺は
言葉に出来ないものはたくさんあるのでしょうが
どういったものにすれば良いのでしょう。

カマエイド 「口内炎が痛い」レシピを検索 | がん(癌)患者・家族の食事

死にゆく母と 心とお金

田村淳さんの、You Tubeチャンネルで
高知東生さんと、田村淳さんの対談を視聴いたしました。
【前編】高知東生さん、壮絶な過去を明かしてくれました。

拝見していて思ったのは、
・高知東生さんのように、私は、ここまですべてを素直に出し切れていない。
・高知東生さんのように、素敵な存在感と笑顔を尊敬するし、あんな笑顔に近づきたい。
と言うものでした。

その後に見た、大阪で行われた
元受刑者のシンポジウムのお好み焼き屋さんの会長が言われた
・過去は変えられません。しかし、自分と未来は変えられる。未来が変われば過去も変わる。過去の価値が出てくるんですね。
薬物に、手を染めたわけ…俳優・高知東生 過去への反省、更生を誓う!

私には、どうしても、価値に出来ない、過去と出来ない忌まわしい記憶があります。
依存症や逮捕されたことはないですが、
高知東生さんのあの佇まいと笑顔は、私も、忌まわしき過去の先に
あの素敵な笑顔や佇まい、そしてお好み屋さんの社長が言った、
過去に価値が出てくるということに、たどり着けるのかという不安もありますし、
ここまで苦しんできたのに、今更もう苦しい思いはしたくはないという思いもあります。

その後に見た、高知東生さんのチャンネルで
人は、他人に頼り助けられて、他人を助けていく社会奉仕によって
自身の回復につながっていく連鎖があることを考えさせられました。
明日から自慢できる!12ステップ豆知識

おまわりさんとか消防署の方や、その他色々、
仕事によって収入を得ている方は、全て社会奉仕活動をされていると思います。
(特殊詐欺や暴力団とかは除く)
あらゆる人々が、社会の欲求に対応していく社会にあって
私は、どのような社会奉仕活動をしてきたのか?
どのように人と関わってきたのか?
この忌まわしい過去の記憶を価値あるものと出来ないでくすぶっている自分とは何なのかを
スーパーで買ったお寿司を食べながら、お酒を飲んでタバコも吸っている私には、難題です。

ただ、自分のことは、この先変えていくとしても
母の余命には気を使わざる終えません。

母は、母が死んだ後の私の金銭的な生活基盤をとても気にしています。
母自身も、私が見る限りでは、
やはり死に対しての、動揺が母自身にも大きくあると思えます。
私も動揺していますが。

母にどのように寄り添っていければ良いのでしょうか。
母が抱く私に対しての金銭的不安に対しては、
行政の社会資源を調べていくことで「大丈夫です」と母にしめせれば良いのですが。

様々な、最後の迎え方・本、の出版数の多さに
どうも人は、身近な人の期待や本人の思い通りには死ねないのかな。
っと思わざる終えませんが、できるだけ母の哲学に沿った最後を迎えてほしいものです。

そのために必要な母の、終末期医療と
私の金銭的未来は明示しておくべきかもしれません。
とりあえず私のお医者さんに経過報告と
相談をして、ケースワーカーか、社会労務士しかわかりませんが
なるべく早く生きていく算段をしたいものですが
この暑さの中で外に出ると、すぐにバテて、お腹を壊します。
人が居ない場所でも、外食もできず、すぐ自分を追い詰めてしまう思考で
緩やかに母を看取れればいいのですが。

母に対しての楽観、自分の不安

母が、予想以上に食欲があり
ここ最近の生活が激変した訳ではまったくないので
母が、不安や悲しみや葛藤や悩みを、
抱えすぎていないかの不安は、かなり私の中で薄まりました。

もちろん体力も落ちていますし、表には出さないのですが
動揺やびっくりは多々あるのでしょう。
私の中には動揺やビックリはなお健在です。
母親の日常に安心していることや、時間の経過によって
薄まってきては居ますが。

当初は、母に対しての私の成長過程から反省したり
母に対しての態度を原因と考えたり
ちゃんとした食事を私が作らなかったからだとか
自分を責めましたが、
取り返しがつかないことでもあり、
そもそも母の病気に私がなにかできるわけでもないので
「なんで私は自分を責めているのかな?」っという疑問が起こり
「ビックリしている」「動揺している」「悲しい。寂しい」と言う思いがあったとは思いますが
ここに至って、母の死後に、自分の生活をどうするかを考えるに至りました。

現在は母親の年金頼みです。
父は80を過ぎています。
母が死んだ場合、私は、どのように金銭的に生きていくかを
真面目に考えなければならない時期に直面したとも言えます。

精神科のお医者様に相談してみますが、
精神障害者で、就労が出来ない私にとって
金銭面は重大です。
光熱費の支払や、食生活に必要なお金。

コロナ発生時から、不要不急の外出は避けてくださいとのお達しですが
金もないのに、不要不急の外出、ましてや娯楽に使えるお金などありませんし
母が免疫低下しているので、外出してコロナに私がかかるわけにも行きませんし
そもそも、私はおっさん引きこもりなので、外出はしませんでした。
(食料の買い出しは行きました)

現在、母亡き後に考えられる金銭的な考えは
今以上に切り詰めて、なんとか頑張る。
同居を前提に、父を頼り援助を受ける。
親戚を頼り同居を含み援助を頼む。
資産をゼロにして、最低限の生活のために行政の援助を受ける。
なのですが、親戚はおそらく頼れません。
父に対しても、おそらく難しいでしょう。
(母の死後の希望を叶えると)
行政の支援となると生活保護ですが、これもまた難しいでしょう。

そこまでだらけていて、非常に世の中に申し訳ない思いがあるのが
私は過去の忌まわしい記憶の数々から
酒や煙草を飲むので、行政に対して、そんなことをしては良くないという思いもあります。
いいんだよ。
っと言ってくれる方もおそらくいるでしょうが、
私の親戚で尊敬すべき方は、命を削り体が壊れても働き続けた方が居て
そういった税金ということを考えれば、やはり苦しいものがあります。

犯罪を犯して刑務所に行ったり、
ホームレスになって、支援を受けた方が
明らかに税金を余分に使ってしまいますし
ましてや犯罪とかを考えると、被害者がいる以上
恐ろしくてとても出来ません。

現在は、母親が生きていますので
母に寄り添い、母を気遣って生きていく今を大切にしているので
そこまで自分の未来を考えはしませんし、
そんな事を考えて母に余分な精神的負担をかけたくはないですから
あまり考えませんが、いずれ来るであろう未来の準備の予感くらいは考えています。

思春期から30代半ばまで、24時間パニック障害・接触障害で苦しみ続けた日々。
アルバイトをしても、集中力のなさと、
どうしても忌まわしき記憶を反芻してしまい、(妄想上の)人間関係で疲弊した上での
引きこもり生活。

ここまで、体力の問題かと思い体を鍛えても
タダ体が弱るだけの虚弱体質。
認知行動療法をしてみたり、仏教的思考を取り入れたりしながらも、
全く回復しなかった日々。
他の同世代が、楽しみ苦しみ経験をしていく中で
自分の部屋で24時間寝ているときもパニック障害で苦しんだ日々。
ようやく、症状が薄まってきたのかなっと思った時には
30代後半で、パニック障害も接触障害もほぼそのまま。
ただ単に、悩む力が、精神力や集中力や体力が落ちただけで
パーセンテージ的には改善していない自分の症状の数々。

仏教的思考と、認知行動療法のおかげで
まだ来ていない未来に対する不安が、イマイチ実感が無いのが
今の私の救いなのかもしれません。