ここ最近、母が皮膚のかゆみに苦しんでいます。
母親自身は、「体洗っていないから、お風呂に入れば治る」とか、
「四日くらいすると、かゆみが取れてくる」と言っていました。
私は、母がガンのお薬を変えたことによる副作用か、
ガンそのものによる、作用ではないか、
高齢化に伴い、皮膚のかゆみが出てきた、
日頃の食生活の影響もあるのではないか。っと考えていました。
しかし、母のかゆみは収まることはなく、むしろ悪化しているようにも思え、
ガンのお医者さんにもらった塗り薬を塗ったり、保湿剤を塗っても収まらないようです。
寝ている時は、かゆみを気にしないでいられるようですが
起きている間は相当かゆいようで、
精神的にもバテてしまっているようでした。
「老齢期 かゆみ」で検索をかけたら、
高齢者にはよくあることのようですが、そのページを見ると
「辛い訴えです。」っと書かれていて、よくよく考えてみました。
起きて動くこともできないくらいに精神的に参ってしまっている。
かなりバテている。
起きている間は常にかゆみと戦っている(塗り薬もしている)。
検索して出てきたページを見ていても、
塗り薬で軽減されないかゆみを、我慢しなくてはいけないのは、気の毒だ。
塗り薬で軽減されず、かいてしまって悪循環に陥っている。
だいたい、ここまでのかゆみは我慢するものなのだろうか。
っという思いから、母に、皮膚科を勧めました。
塗り薬でも軽減されていない上に、生活に大きく支障が出ている。
もしそれが痛みなのだとしたら、痛み止めを飲むだろう。
かゆみを我慢するよりも、一回皮膚科に行って、
ちゃんと診断してもらい、かゆみが軽減する薬を処方してもらったらどうだろう。
そう言ったことを母に話しました。
母は、まず、私に心配をかけて気を使わせたことをわびてきましたが、
かゆみに耐える母が気の毒なこと。
精神的にかなり疲弊しまって、思うようにできない母が気の毒なこと。
果たして塗り薬で軽減しないかゆみ自体を、我慢すれば治るのだろうか。という疑問。
何よりも母が気の毒です。
今飲んでいるガンのお薬は、免疫力を大きく下げてしまうため
その副反応としての、皮膚に対するかゆみとも考えましたが、
母が、かゆみを我慢していく中での精神的疲弊が顕著でした。
母が皮膚科に行ってくれる気持ちになってくれれば良いですし、
かゆみが無くなってくれれば良いのですが。
我慢や忍耐力による疲弊は、本来、母も望むところではなく
それは緩和してほしいという、今後の入院後の母自身の意思なども考えると
やはり、飲み薬であってもかゆみを我慢するよりは、
少しでも快適な時間を過ごしてほしいです。
参考サイト
公益財団法人長寿科学振興財団 健康長寿ネット 老人性乾皮症
かゆみナビ かゆみの治療と対策

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私自身がお世話になり続けている
精神科の診察が明日にあります。
先日の予約では、病院に向かう途中、
熱中症になって病院に行かず帰ったこともあり
熱中症が怖いので、明日も行かなくてもいいかな。
っという思いもあったのですが、
母親が絶対に行ってほしいということもあり
通勤タイム少し後の時間に、病院に予約をとっているので
母を安心させるためにも行こうと思っています。
母親のガンの診察で、余命1年と宣告されて
当初私は、動揺しませんでしたが、「どうもおかしいなぁ~」っという
自分のネガティブな思考
・自分のせいで母は癌になったのではないか
・自分がここ数年しっかりしていないから癌が悪化したのではないか
・一体どうしたら良いのだろう
・もう会えなくなるのか。寂しい、悲しい。
などの自分の思考に気が付き、
自分がビックリして、動揺していることに少し気がつけました。
数日後、母にその事を話しました。
・私はビックしていると思う
・動揺もしていると思う
すると母は、「ごめんね。迷惑かけて」っという
温かい言葉をいただきました。
そして、母親自身も、ステージ4からのガン宣告から
これと言った日常生活の不自由もなく過ごしてきたから
この前の診察で、余命1年と宣告されてビックリした。っと母の心の内も
少しだけ語ってくれました。
現在の自分は、
・ビックリはしていない
・動揺はあると思うけれども、言葉にできる自覚はない
・母が余命1年宣告を受けたことに対する不安や悲しみがある(母が居なくなってしまう)
・母が父に対する恨みを抱えているのが心配(仏教的に恨みは煩悩で苦しみだから)
明日精神科のお医者さんに私が話すこと
・母が、余命1年と宣告されたことの経過
・当初は現実感がなかったが、次第に、ビックリした気持ちや動揺した気持ち、悲しみや寂しさもあると思うし、これからも動揺していくだろうという気持ち。
・母には、自身が望む終末期や最後を迎えてほしいという気持ち。
・しかし、私には、母に寄り添う力や支える力には、私自身の容量を超えては無理だという気持ち。
・苦しみ、衰弱していく母を受け入れる準備などはない気持ち。
・母は、父に恨みを持っていて、それを持っている母が楽になってほしい気持ち。
私が、24時間パニック障害で苦しんでいる時に取り入れた考え方で
強く仏教の影響を受けているのですが
「今」を感じる。とか、「人間(特に心)は、常に不完全」とか、色々ありますが
未来に対して、「さっぱりわかりません」というスタンスで
「今」の「リアクション」の積み重ね。「今日を生きれば明日が勝手に来ちゃう」
と言う考えが染み付いていますので、あまり予定や計画は持ちにくくなっています。
母には、気を使わせたくないですし、
かと言って、私の精神科のお医者さんにも上手く説明できる自信がまるでなく
かと言って、精神科に行かないと母が気にしてしまうので、間違いなく行きますが
・もし母が死んで、経済的に苦しくなったときの対処法
なども、今考えられないというか、
そうなった時にリアクションを取らざる負えないと思うので
その時に考えようとも思います。
とりあえず明日はしっかり起きて、精神科で診察を受けて
まずは母を安心させる。(と言っても母に対する不安な感情が思い浮かばないのですが)
熱中症にならないように対処して
二日酔いはしょうがないとしても、熱中症や二日酔いのできる対策はする。
(忌まわしい過去をどうしても思い出してしまうので、酒無しはきついのです)
そもそも母が先に死ぬこと。
その過程において、飼っていた犬が見せてくれたように
徐々に衰弱していって、「あれ?犬は生きる気がないのかな」などと考えつつも
身ぎれいにして何時間も膝に乗せて
眠るばかりの犬のそばに寄り添って、死んでいった犬。
う~ん。特に精神科の先生に吐き出せる、私自身の不安や動揺は
言葉に出来ないものはたくさんあるのでしょうが
どういったものにすれば良いのでしょう。
カマエイド 「口内炎が痛い」レシピを検索 | がん(癌)患者・家族の食事
田村淳さんの、You Tubeチャンネルで
高知東生さんと、田村淳さんの対談を視聴いたしました。
【前編】高知東生さん、壮絶な過去を明かしてくれました。
拝見していて思ったのは、
・高知東生さんのように、私は、ここまですべてを素直に出し切れていない。
・高知東生さんのように、素敵な存在感と笑顔を尊敬するし、あんな笑顔に近づきたい。
と言うものでした。
その後に見た、大阪で行われた
元受刑者のシンポジウムのお好み焼き屋さんの会長が言われた
・過去は変えられません。しかし、自分と未来は変えられる。未来が変われば過去も変わる。過去の価値が出てくるんですね。
薬物に、手を染めたわけ…俳優・高知東生 過去への反省、更生を誓う!
私には、どうしても、価値に出来ない、過去と出来ない忌まわしい記憶があります。
依存症や逮捕されたことはないですが、
高知東生さんのあの佇まいと笑顔は、私も、忌まわしき過去の先に
あの素敵な笑顔や佇まい、そしてお好み屋さんの社長が言った、
過去に価値が出てくるということに、たどり着けるのかという不安もありますし、
ここまで苦しんできたのに、今更もう苦しい思いはしたくはないという思いもあります。
その後に見た、高知東生さんのチャンネルで
人は、他人に頼り助けられて、他人を助けていく社会奉仕によって
自身の回復につながっていく連鎖があることを考えさせられました。
明日から自慢できる!12ステップ豆知識
おまわりさんとか消防署の方や、その他色々、
仕事によって収入を得ている方は、全て社会奉仕活動をされていると思います。
(特殊詐欺や暴力団とかは除く)
あらゆる人々が、社会の欲求に対応していく社会にあって
私は、どのような社会奉仕活動をしてきたのか?
どのように人と関わってきたのか?
この忌まわしい過去の記憶を価値あるものと出来ないでくすぶっている自分とは何なのかを
スーパーで買ったお寿司を食べながら、お酒を飲んでタバコも吸っている私には、難題です。
ただ、自分のことは、この先変えていくとしても
母の余命には気を使わざる終えません。
母は、母が死んだ後の私の金銭的な生活基盤をとても気にしています。
母自身も、私が見る限りでは、
やはり死に対しての、動揺が母自身にも大きくあると思えます。
私も動揺していますが。
母にどのように寄り添っていければ良いのでしょうか。
母が抱く私に対しての金銭的不安に対しては、
行政の社会資源を調べていくことで「大丈夫です」と母にしめせれば良いのですが。
様々な、最後の迎え方・本、の出版数の多さに
どうも人は、身近な人の期待や本人の思い通りには死ねないのかな。
っと思わざる終えませんが、できるだけ母の哲学に沿った最後を迎えてほしいものです。
そのために必要な母の、終末期医療と
私の金銭的未来は明示しておくべきかもしれません。
とりあえず私のお医者さんに経過報告と
相談をして、ケースワーカーか、社会労務士しかわかりませんが
なるべく早く生きていく算段をしたいものですが
この暑さの中で外に出ると、すぐにバテて、お腹を壊します。
人が居ない場所でも、外食もできず、すぐ自分を追い詰めてしまう思考で
緩やかに母を看取れればいいのですが。
母が、予想以上に食欲があり
ここ最近の生活が激変した訳ではまったくないので
母が、不安や悲しみや葛藤や悩みを、
抱えすぎていないかの不安は、かなり私の中で薄まりました。
もちろん体力も落ちていますし、表には出さないのですが
動揺やびっくりは多々あるのでしょう。
私の中には動揺やビックリはなお健在です。
母親の日常に安心していることや、時間の経過によって
薄まってきては居ますが。
当初は、母に対しての私の成長過程から反省したり
母に対しての態度を原因と考えたり
ちゃんとした食事を私が作らなかったからだとか
自分を責めましたが、
取り返しがつかないことでもあり、
そもそも母の病気に私がなにかできるわけでもないので
「なんで私は自分を責めているのかな?」っという疑問が起こり
「ビックリしている」「動揺している」「悲しい。寂しい」と言う思いがあったとは思いますが
ここに至って、母の死後に、自分の生活をどうするかを考えるに至りました。
現在は母親の年金頼みです。
父は80を過ぎています。
母が死んだ場合、私は、どのように金銭的に生きていくかを
真面目に考えなければならない時期に直面したとも言えます。
精神科のお医者様に相談してみますが、
精神障害者で、就労が出来ない私にとって
金銭面は重大です。
光熱費の支払や、食生活に必要なお金。
コロナ発生時から、不要不急の外出は避けてくださいとのお達しですが
金もないのに、不要不急の外出、ましてや娯楽に使えるお金などありませんし
母が免疫低下しているので、外出してコロナに私がかかるわけにも行きませんし
そもそも、私はおっさん引きこもりなので、外出はしませんでした。
(食料の買い出しは行きました)
現在、母亡き後に考えられる金銭的な考えは
今以上に切り詰めて、なんとか頑張る。
同居を前提に、父を頼り援助を受ける。
親戚を頼り同居を含み援助を頼む。
資産をゼロにして、最低限の生活のために行政の援助を受ける。
なのですが、親戚はおそらく頼れません。
父に対しても、おそらく難しいでしょう。
(母の死後の希望を叶えると)
行政の支援となると生活保護ですが、これもまた難しいでしょう。
そこまでだらけていて、非常に世の中に申し訳ない思いがあるのが
私は過去の忌まわしい記憶の数々から
酒や煙草を飲むので、行政に対して、そんなことをしては良くないという思いもあります。
いいんだよ。
っと言ってくれる方もおそらくいるでしょうが、
私の親戚で尊敬すべき方は、命を削り体が壊れても働き続けた方が居て
そういった税金ということを考えれば、やはり苦しいものがあります。
犯罪を犯して刑務所に行ったり、
ホームレスになって、支援を受けた方が
明らかに税金を余分に使ってしまいますし
ましてや犯罪とかを考えると、被害者がいる以上
恐ろしくてとても出来ません。
現在は、母親が生きていますので
母に寄り添い、母を気遣って生きていく今を大切にしているので
そこまで自分の未来を考えはしませんし、
そんな事を考えて母に余分な精神的負担をかけたくはないですから
あまり考えませんが、いずれ来るであろう未来の準備の予感くらいは考えています。
思春期から30代半ばまで、24時間パニック障害・接触障害で苦しみ続けた日々。
アルバイトをしても、集中力のなさと、
どうしても忌まわしき記憶を反芻してしまい、(妄想上の)人間関係で疲弊した上での
引きこもり生活。
ここまで、体力の問題かと思い体を鍛えても
タダ体が弱るだけの虚弱体質。
認知行動療法をしてみたり、仏教的思考を取り入れたりしながらも、
全く回復しなかった日々。
他の同世代が、楽しみ苦しみ経験をしていく中で
自分の部屋で24時間寝ているときもパニック障害で苦しんだ日々。
ようやく、症状が薄まってきたのかなっと思った時には
30代後半で、パニック障害も接触障害もほぼそのまま。
ただ単に、悩む力が、精神力や集中力や体力が落ちただけで
パーセンテージ的には改善していない自分の症状の数々。
仏教的思考と、認知行動療法のおかげで
まだ来ていない未来に対する不安が、イマイチ実感が無いのが
今の私の救いなのかもしれません。
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