22才位の時に、初めてメンタルオフに参加して以来、
ごくわずかな期間を除けば、
人間関係の全てが、メンタルさんでした。
その中には、自傷行為やオーバードーズなどを
ひんぱんにしてしまう方も居て
そのどちらの経験もない私は、
自己主張の一種。くらいに考えていました。
特にネットでは、自傷行為の方を目にする機会が多く
自傷行為の画像をアップされている方も居たりもしました。
その意図が測りかねていました。
苦しんでいることのを、具体化したことでの
インパクトを狙っているのか、
心配してほしいのか。
私自身がオッサンになった今、
自傷行為の意図が、簡単な理由など無く、
したいわけでもなければ、むしろしたくないんだろうと思う次第です。
徳川家康が、江戸幕府を開くときの名言
「百姓は、生かさず殺さず」
を思い出します。
家康が本当にそんなこと言ったのかは知りませんが。
自傷行為自体の多様性。
様々な自傷行為、オリジナリティー豊かな自傷行為の数々
っと、言うよりも、
似た傾向というか、その多様性のなさに
自傷行為の方々を一括に見がちで
同じ方向性を見てしまっていましたが、
多分違うのだろうなっと、思ったのは、10年くらい前でした。
そもそも、年齢も多様で、
生活環境や生い立ち。
職業や悩みなども多種多様なのですから
インパクトが大きい自傷行為ですが
自傷行為に目が行くこと自体が、そもそも私の視点がズレズレでした。
「切ると、スッとする」「切ると、落ち着く」
などの言葉をよく耳にしましたが、
その対価は、病院に行けばおそらく全額自己負担でしょうし
やめたい気持ちもかなり強くあるでしょうし。
なぜ、自分の血を見ると落ち着くのか。
という事は、物凄くきつい思いを、
我慢しまくって、しまくって、精根尽き果てて
その手段の一環としての自傷行為なのでしょうか。
ご本人は、抱えているキツさを
精根尽き果てるまで踏ん張って、
でもそれがどうしようもない上に
何なのかわからなくって
なんだかわからないけれども
耐えまくって、耐えまくって、
この段階では、もはや、思考力や集中力や精神力は
かなり低くなっているでしょうし
そもそも、そのキツさを自分というキャパシティーを超えて
それでもご自身の中にあり続けて
一番厄介なのは、他人に説明のしようがない。
呪われているかのような、非科学的な重さを抱えていて
自分のキャパシティーを超えているのに
他人に説明のしようがないから
その非科学的な重さを、足がくさろうが
全部を自分だけで抱えるしか無く
説明が通じることで得られるであろう
抱え込んでいる重荷を分散、一旦地面に置く
もしくは
上手な持ち方が、いちじるしくありえないのかもしれません。
自分で理解できない、自分拷問エキスパート級。
「カミソリで体切ったら、痛みがないのかよ。」
と思っていましたが、無いのかもしれません。
切って血が流れる事のほうが
気持ちも精神も、一時的に落ち着くのでしょうから。
おそらく、眠っている時にも
自分よりも大きくて、割りに合わないサイズ感と重さを保有した苦しみから
開放されないような気もします。
そもそも、眠れなそうでもありそうですし。
思考力も体力も精神力も、
ガンガン削り取って行き、精根尽き果てているのに
容赦なく苦しくって、しかも、息つく暇などあるわけもなく
1秒も無駄なく、24時間、毎日苦しめてくる
苦しみの重さ。
たぶん、誰にも伝わらない苦しみの24時間毎日休みなし。
しかも、自分でも、おそらくその非科学的な重みを
見ることも、感じることもできない。
っと、したら、自傷行為という行為によって
何かしらの、実体感みたいなものが産まれているような気もします。
だから、自傷行為は必然であるのかなとも思います。
そこまで否定的な行為ではないと言うか。
注目すべきはそこではないと言うか。
御自身が、自信満々でやっていたら否定的と思いますが
少なくとも、自傷行為をしたご本人は
あとで、色々めんどくさいことも含めて
後悔が起こると思うので。
それにしても、血もでるし
痛そうで怖い行為だとしか思えないですが。
アピール感のない経験談、読了
クリニックの診察日。
待ち時間の長さはいつものように長いのですが、
コロナウイルスも心配で
待合室にある新聞や雑誌に触れないでいようと思いましたが、
さすがに長かったので、
「こころ元気プラス」と言う
メンタルヘルスの雑誌に目を通しました。
2020年03月号で、
ピアサポート。
ピアサポートのスタッフになる。などの特集が組まれていました。
(ピアサポートとは、一般に、「同じような立場の人によるサポート」といった意味で用いられる言葉である。なお、相談に力点を置いた「ピアカウンセリング」、傾聴に力点を置いた「ピアリスニング」なども類似の概念である。)
Wikipedia
ピアサポートを経て、職業訓練や、就職、
その体験談、失敗談や離職経験など多数出ていたようでした。
そこには興味が持てず、流してしまい
連載されている、大野祐先生の
認知行動療法のページなどを読んでいました。
何気なく読んだ、ページに
ベテルの家の試みだと思うのですが、
自分に病名をつけて、その病名を研究していく
っと言う患者本人が、スタッフや当事者間の協力を得て
自己のネガティブな部分を、文章化していくという
連載ページを読んで、強い興味がわきました。
(他の号の方のは、病気や思考が違いすぎるからか
ピンとこなかったのですが)
この方は、御自身に「ダメダメお化け憑依型」と言う
かなりグッと来る病名をつけておられて
「この人の文章力や発想は、ただ者ではない!」
っと思いながら、とっても興味深く読み進めさせていただきました。
他に印象に残ったのは「二軍感」「お化けは成仏してくれませんでした」。
この方は、子供の頃から、運動神経も勉強も人より劣ってしまうと
自分に「私はみんなよりもできないからだめだ」っと、思うようになり
その思考を、ずっと続けてきたようでした。
(高校も出てるし大学も出ていたかな?就職も果たしたような)
この方は、「ダメダメお化け憑依型」病を治療しようと
打席に入ってフルスイング。
結果がどうであれ、一生懸命やって、フルスイングはしたのだから
次の打席でも、フルスイングで行こう。
一生懸命やって、フルスイングしたのだから
毎回100%上手くいくことなんて無いから
次に向かって、前を向いていこう。
と言う感じの処方箋を書かれていました
っが、「ダメダメお化け憑依型」病の根元
ダメダメお化けの成仏までには至らず
一旦、研究を発表されたようです。
私にとっては、素晴らしい経験談を読めたと
若干興奮気味になりましたが、
作者の方の意思は、
「似たような方の研究の助けになれば」っと。
私には、この方の一連の試みは
その病名や言語化のセンスの高さも含め
大きな救いになりました。
その結果、診察時には、ほぼその話をしまくりました。
この方のようなワードセンスや、文章力はないですが
私も、自分に自分で病名をつけて、
研究してみたくなりました。
ちなみに、診察時にお医者さんに、
近場のべてるの家がどこにあるかなどを聞けましたが
コロナウイルス騒動の中、
母が、抗がん剤を服用していて、免疫力が低く
私が風邪をひくと、その日のうちに写り
熱で苦しませてしまった、苦い経験があるので
お医者さんには、その旨を伝えて
流石に今は人が集まる場所にはいけません。
っと、話はしましたが、
家から駅に出て、電車に乗って(予期不安怖い)。
しかも、時間も決まっているでしょうし
(時間の決まった予定に緊張して寝れない)。
人との関係を築くのも抵抗がありますから
本心は、一歩踏み出さないでいるだけのような気もしてきましたが。
母のパソコンをWATTOS R-10に
母親のパソコン(WATTOS R-9 )が起動しなくなったので WATTOS R-10 jp 32bit をインストールすることにしました。
主なパソコンの使用目的は
・インタネット
・メール
・文書作成
・ラベル作成
・プリンター使用
WATTOS R-10 日本語版 を私のパソコンでダウンロード。
・参考サイト
・ 「Windowsはもういらない
軽量Linux:wattOS R10の日本語版がリリースされています!」
・ダウンロードサイト(20分~30分)
・ http://simosnet.com/livecd/wattos/wattOS-R10-32-jp.iso
私のパソコンで、DVDにダウンロードしたisoを焼く。
・使用ソフト DeepBurner Free
・参考サイト:ダウンロードサイト
・https://freesoft-100.com/review/deep-burner.php
母のパソコンの起動画面(FMVと表示中)で F2 ボタンを連打して
BIOSを起動。
起動優先順位、一番上をCD/DVDドライブに変更
起動優先順位、2番目をHDDに変更。
母のパソコンにDVDを入れて起動。
参考サイト
無料OS『wattOS』R10 LXDEは軽い…古いWindowsノートもOK …
起動後に(マウスが停止しやすいのでマウス持ち上げてクリックを押したりして
マウスのレーザーを起動させながら動かす)
デスクトップ上にあるインストールマークをダブルクリックして
インストール開始
インストール終了後各種設定・ダウンロードなどを行う(以下)
マウスがすぐにオフになる症状改善
システムツール
Laptop Mode Tools Configurationを起動
Enable module runtime-pmn のチェックを外す。
参考サイト
WattOS R10マウス問題について – Linuxなんか怖くない
マウスをシングルクリックに
・ ファイルブラウザ(ファイルを閲覧・操作するソフト)を開いて、
左上メニューの編集>設定。
・ファイル管理の設定ダイアログで、動作タブをクリック。
・シングルクリックでアイテムを開くにチェックを入れる。
参考サイト
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1329040103
メールソフト、Thunderbirdインストールと日本語化
sudo apt-get install thunderbird-locale-ja
参考サイト Thunderbirdの日本語化(version 31.6.0) – Qiita
https://qiita.com/LustkleTech/items/c46de768d8c1cd022732
プロバイダーの設定
https://cs.myjcom.jp/knowledgeDetail?an=000001507
インターネットブラウザー、Firefoxを日本語化
sudo apt-get install firefox-locale-ja
参考サイト
Ubuntu日本語フォーラム / Firefoxが英語表示になっています
Firefoxの起動ページをYahoo JAPANに変更
https://www.yahoo.co.jp/
参考サイト
https://support.mozilla.org/ja/kb/how-to-set-the-home-page
ブックマークツールバーを表示させる。
ブックマークツールバーに、ヤフージャパンを入れる。
参考サイト
https://support.mozilla.org/ja/kb/bookmarks-toolbar-display-favorite-websites
OpenOffice.orc
https://www.openoffice.org/ja/
からダウンロード
Downloads フォルダーにある Apache_OpenOffice_4.1.6_Linux_x86_install-deb_ja.tar.gz を解凍cd /home/□□□/Downloads/ja/
sudo dpkg -i DEBS/*.deb DEBS/desktop-integration/o
penoffice4.1-debian-menus_4.1.6-9790_all.deb sudo dpkg -i DEBS/*.deb DEBS/desktop-integration/
home/□□□/Downloads/ja/DEBS/desktop-integration/ openoffice4.1-debian-menus_4.1.6-9790_all.deb
パソコンを再起動
参考サイト
ubuntuに「openoffice」をインストール備忘録 – ラボの備忘録
再起動後ソフトの更新を促されたら
OKをクリック(30分位)(入力を促されることもある)
文字入力が日本語MOZCに出来ないので
iBusをアンインストール
sudo apt-get remove ibus
再起動
参考サイト
のんびり生きたいなぁ ibusアンインストールしてfcitx-mozcインストル
プリンター
EPSON PX-045A
プリンター各種ドライバーをダウンロード
http://download.ebz.epson.net/dsc/search/01/search/?LG2=JA&OSC=LX
必要なパッケージ(LSB)をダウンロード
sudo apt-get install lsb xsltproc cups sane
gdebiインストール
sudo apt install gdebi
cd /home/□□□/
Downloads/
sudo gdebi epson-inkjet-printer-201204j_1.0.0-1lsb3.2_i386.deb
もしくは右クリックからインストール。
sudo gdebi epson-printer-utility_1.0.2-1lsb3.2_i386.deb
もしくは右クリックからインストール。
以下を解凍
iscan-bundle-1.0.4.x86.deb.tar.gz
sudo ./install.sh
sudo dpkg -i iscan-bundle-1.0.4.x86.deb
上2つはどっちかで私は下をやった。
CUPSをインストールapt-get update
apt-get install cups
プリンターの電源を入れておく
http://localhost:631/
タブ2個め 管理タブ 管理者向けすぐ下 プリンターとクラスターの追加
画面右上 プリンターの追加
ユーザー名パスワード入力
プリンターにマーク 続ける
メーカー 型番を一致させて
プリンターの追加
スタートボタンの(メニューボタン 電源を切る時に押すやつ)
設定 プリンターの設定で確認
参考サイト
https://deviceplus.jp/hobby/raspberrypi_entry_011/
http://shimasansaku.asablo.jp/blog/2016/12/01/8263682
stylus toolbox プリンターインク残量確認をダウンロード
http://stylus-toolbox.sourceforge.net/
sudo dpkg -i stylus-toolbox_0.2.7-1_all.deb
ラベル印刷
https://www.labelyasan.com/
母のパソコンの起動画面(FMVと表示中)で F2 ボタンを連打して
BIOSを起動。
起動優先順位、一番上をHDDに変更
起動優先順位、2番目をCD/DVDドライブに変更。
パソコンのモニターが何故か連動起動しなくなり
コードを変えたり、違うモニターに繋いだり
PCIにボードさしたり、違うボードさしてHDMIでつないでみたり
色々やった結果、SSDのSATAケーブルを変えたら
起動するようになりました。
2018年 11月08日 恩人・師匠・友人
私が、発病して何年かたった時、
インターネットを通じて知り合えた方がいらっしゃいました。
同じ病名、同じ薬、同じ症状。
その方が、オフ会をやるので来ませんか?
っと、言う連絡をくれて、
当時、24時間寝ているときでもパニック障害だったのですが、
「途中で死んだら、前に倒れよう。こいつは諦めなかったんだと言う意地を持ち続けよう」
っと言う、余計な覚悟を持って
呼吸が苦しく、吐き気が強く、脂汗をかいて震えながら、
人に自意識過剰におびえながら、
落ちそうになる意識をつなぎとめながら
目的の場所に向かいました。
(今思うと、こんな状態でよく行ったなぁ~っと感心します。)
その方が、オフ会で話してくれたことはほぼ忘れましたが
その方との出会いは、私に大きな勇気と心強さをもたらしてくれた上に
「私の他にも同じような苦しみを持った人がいるんだ」
「この方のように、私も普通を装えるようなくらいまで回復するかも知れない」
っと言う、回復への希望まで持つことが出来ました。
それから約20年。
何度か連絡がお互いに途絶えたりしながらも
続いていた交流ですが、ここ数年途絶えていたのですが、
共通の知り合いを通じて、
最近メル友になることに成功いたしました。
その方と、メール交換をする中で
「お互い、彼女ができるはずがない。と言うか、金も元気もないし、めんどくさい」と言う意見交換。
「じゃぁ、風俗か?でも緊張するし、震えて声も出ないと思う」っと言う共通認識、を経て
「死ぬまでにもう一回オッパイ触りたいね」っと言う彼の、素敵な気持ちの反応に対して
「心で満足しないと。気持ち良くなくても良いから、心を裸にしたい」っと言う
それって、そんな奴が風俗店に来たら風俗嬢も困るだろう。っと言う、
風俗幻想が膨らみまくってしまった私が暴走気味でもあります。
だとすれば彼女さんを求めれば良いわけですが
そこは都合よく、めんどくさがる私は、脳の一部と、股間にぶら下がっているモノの存在意義のなさを考えてしまいます。
やっぱり、心を裸にしたいし・・・。
などと思いながら
応援しているアーティストさんの歌、
ご本人曰く、すごく幸せな歌。と言うのを聞いていたら
幸せ感というよりもズキズキする感じで、ものすごく切なくなりました。
そもそも、ステージ上の方と、ヲタは、人生が無関係です。
覚醒剤中毒者と売人の関係じゃない限り
お互いの人生が正比例になって重なることはないのですが
たまに、「病んでいる」状態に入ってしまうこともあります。
そもそもが魅力的な異性なので、好きになっちゃうは
当然あることだと思うのですが、
演者側が「私に来て欲しいと思っているはず」「行かないと悲しませてしまう」と言った
演者側のスペシャルになったように思い込んでしまう「応援中の病み」が出てしまうと
ただ辛くなるだけで、しかもタダの妄想による思い込みなので
どんどん具合が悪くなるのです。
私は、何度かこの「応援中の病み」を経験しましたが
・他人の考えや心を読めるかのような思い込み。
・女性の応援は失恋から始まり、病みで終わる。
・ステージ上の演者と、ヲタの人生は無関係。
と言う感じで、
応援が楽しさよりも、辛さがキツクなった時には
このことを思い出すようにしています。
アーティストさん曰く、すごく幸せな歌の歌詞を聞きながら
好きな人との出会いと別れによって、ガブリと無くなってしまった空白を
なんとか記憶で再現したりすることで、空白を埋めながら
いつかその空白を満たされることを願ってやまない、
でも、かなわないけれども埋めようがない気持ちを感じて
失恋からの片思いを強く感じてしまいました。
ただ、彼氏さんが居るとも居ないとも言っていないアーティストさんですが
さすがに居ないというのは考えにくいものです。
仮に居たとしたら、わからないように活動してほしいものです。
じゃないと、「彼氏さん居るんだ」っと思いながらの応援になると
どう言う応援をしたらいいのかに悩みます。
借にいないとしても、そこまで好きな相手。しかも、
忘れないように、いつか叶うようにと思っている。のだとしたら
それはそれでどう言う応援をすれば私は楽しいのか。
と言う、
妄想を膨らませながら、恩人でもあり、個人的に師と仰ぐ友人と
メール交換をしています。
2018年 10月03日 診察日
診察予約日でしたから、
診察に行ってまいりました。
もう20年位診察してもらっています。
予約通りの時間に診察してもらえることはなく、
30分から1時間、長ければ2時間近く待ちますが、
今日は30分でしたから、早く感じました。
母の抗がん剤の副作用にビビってしまい、
その時読んでいた「平穏死のレッスン」と言う本の内容を話し、
「これでは、平穏死が出来ないじゃないか!」っと思い、
母に、抗がん剤を辞めた方が良いと言ってしまったことと、
その後に読んだ「抗がん剤10のやめ時」と言う本を読んで
「抗がん剤ってこういうものなのかぁ~。そのもっとあとに平穏死が来るのかぁ~」っと知り
母に謝って、「自由に思うようにやってください」と言ったことを話しました。
しかし、お医者様は、抗がん剤と平穏死。
抗がん剤の強い副作用と、抗がん剤を飲まずに副作用のない穏やかな生活。
薬のやめ時の難しさにうなってしまい
「いえいえ。もう私の中では解決したんです」と言っても
「難しい問題だね」っと、終始無言でした。
話をそらすために、「西武の優勝」と言う話題を振っても
全く変わらず、
日頃の私自身の具合の悪さ、どう言う時に苦しくなるか。
などを言おうとしたら、診察が終わりました。
なんでお医者様はそんなに悩んで考えていたのかがよくわかりません。
しかも肝心の、私の症状は言わずじまい(症状は変わらないのですが)ですから
診察後に家に帰ってから、「?」の連発でした。
抗がん剤のやめ時は、
母自身がやめると言った時。
母がやめることに同意した時。
もし意思表示が困難な場合は、
抗がん剤が効かなくなった時。
体重が明らかに減りまくった時、など、
大体の方針は決まっているのですが・・・。
そうしたら、治療はやめて、
緩和ケア病棟に入るか、入れなかったら
在宅での緩和ケアに切り替える。
おそらく、そこから平穏死に向かっていくと思うので、
自分の中では解決していますし、
母ともそういう話は、しています。
葬式はしないとか、24時間は燃やしちゃいけないので
その間に、来てもらっても良い人も聞いていますし。
呼ばないでほしい人も聞いていますし。
お墓に納骨後に、しゃぶしゃぶ食って帰れともいわれています。
お医者様自身の身内に、抗がん剤治療の方が居たのでしょうか。
それとも薬のやめどきという言葉に引っかかったのでしょうか。
お医者様を考えさせてしまう、「?」な診察でした。
病院に行くまでもキツイですし、
待合室ではよく不安発作を起こすので
次回はもっと有意義な、診察をしてもらわなければ。
2018年 09月30日 自分の顔が気持ち悪い
証明写真や、免許証の写真(私は身分証代わりに原付きの免許保有)は
当たり前のように、自分の顔が気持ちわるいです。
しかし、いい年コイタオッサンだし、
自意識過剰に自分の顔の気持ち悪さを気にしても
整形するわけでもないのですから
気にしないように、していたのですが、
昨日不意に、自分の顔の気持ち悪さに、引きまくりました。
顔面の比率が、七三分けか!と言う感じの顔面。
汚い肌と、気持ちの悪い顔面比率。
歯は黄色くガタガタで、不愉快。
なによりも目が、不審者丸出しです。
形などではなく、目の雰囲気が、
不健康のヤバイ不審者丸出しです。
運動不足。
不摂生。
姿勢が悪い。
歯並びが悪い。
性格は、卑屈で暗い。
それを見事に表現している顔面のキモさ。
いや、それ以上に感じる顔面のキモさ。
自分で、引くほどのキモさ。
ただ、だからと言って、この顔面を変えようがないのですから、
受け入れて、意識しないようにしていくしか思い浮かべません。
だから、まずは、己の顔面のキモさや、リアル感満点の自分の顔を
とにかく、これは自意識過剰だと、
人に見られているわけでもないし、
人に見られる生活でもないですから、
自分さえ気にしなければ、精神的にはなんとかなりそうな気もします。
っと、言いますか、そうしないと
自分の顔面なだけに、自意識過剰をこじらせる確率が高いと思うので
認知行動療法などを使って、気にしないようにしていきたいと思っています。
2018年 09月29日 対ソフトバンク
公式戦、ホーム最終戦。対ソフトバンクを観戦してきました。
現在、埼玉西武ライオンズは、マジック1です。
この日のソフトバンク戦で、
引き分けか、勝つことで、リーグ優勝が決まるという
公式戦ホーム最終戦にはこれ以上無い、見事なお膳立てでした。
沖縄で強力な台風が暴れている影響か、
関東も雨が降りしきっていました。
13時プレイボールですから、
いつもよりも早く起床して、準備を進めました。
途中、図書館に寄る予定もありましたから。
準備を整えて、図書館でいつものように、いつもの雑誌を読んで、
眞子さまの婚約者、小室圭さんの記事がある週刊文春は、
誰かが読んでいたために断念。
新潮45の、古谷経衡氏の記事を読もうにも
LGBT問題で、置いていないのか
初めから置いていないのか、見つかりませんでした。
図書館で、思い通りに週刊誌を読むのは難しいです。
週刊文春と週刊新潮は、特に、決まって誰かが読んでいますから。
野球開始時刻に間に合わないのは、予定通りで、
電車に乗り込みました。
球場について、スタンドを見渡すと、
さすがに完売御礼札止めです。
立ち見も含めてギッシリでした。
(指定席の横が、2組の女性でした。
触らないように、視界に入れないように、
結構緊張してしまいました。
なんとか乗り切りましたが。
キョロキョロする方ではなかったので
そこは凄く救われました。
男女にかかわらず、キョロキョロする方での横での観戦。
しかも、それが若い女性だった場合の、具合が悪くなる地獄は最悪です。
バッターとマウンドをずっと見ていないのかと。
なんでキョロキョロするんだっと)
今日、西武が10年ぶりに優勝するかも知れないし、
西武は流れに乗っていますし、
眼の前で胴上げがみたいですから。
しかし、
どうもバッター陣が、
小フライや打ち損じ、
ボテボテのゴロなどが多かったのですが、
先取点を1点とった時の盛り上がりは大きなものでした。
が、空気を読まない男、ソフトバンク松田宣浩が
2打席連続のホームランで、逆転されました。
ただ、今年の西武は、特に打線が強力で、
2点差をひっくり返せる期待感は当然あったのですが、
打ち損じや、大振りが目立ち、ヒット数は西武が上回っているにもかかわらず
負けてしまいました。
まさか負けると思っていませんでした。
ここに来ての西武の強さはすごい勢いでしたから。
でも、空気が読めないソフトバンク松田がホームランを2本も打って、
負けました。
例年通りなら、公式戦ホーム最終ゲームのあとは、
支配下登録選手がグラウンドに出てきて並び、
シーズンを振り返る映像。
監督あいさつ。選手会長あいさつ。
引退選手が居れば(今年は松井稼頭央選手)、
その映像集と、引退あいさつ。などのセレモニーがあるのですが、
ありませんでした(たぶん)。
胴上げも見れず、負け試合の観戦。
しかもセレモニーもなし。
なにしに行ったのか・・・。
帰りの電車は、すし詰め状態の満員で、
恐ろしく具合が悪くなるのですが、
負け試合の日の帰り道は
時間も、距離も、長く感じてしまうので
長旅の気分でした。
マジック1は変わらずですから、
場所を北海道に移して、対日本ハムに勝てば優勝。
負けでも、ソフトバンクが負ければ優勝ですから
たぶん優勝は間違いないでしょう。
ホームゲームの観戦試合で、胴上げを見たかったのですが。
2018年 09月25日 心構えと、へっぴり腰
長尾和宏先生の、「抗がん剤10のやめ時」を読んで、
いかに自分が、動揺していたかを思い知りました。
少し動揺が収まったように思います。
きっと、主役である患者さんの闘病生活や
長尾先生のお考えや、経験を知ることが出来たからだと思います。
母親が副作用の強い抗がん剤をのんでから、
グングン元気がなくなって行き、
死んでしまうのではないか。
こんなに苦しんでいる母を見たことがない。
そもそも、がんになって、
こんなに抗がん剤で苦しむ人に接した経験もない。
ので
(無自覚に)ビックリしていました。
日を重ねるごとに弱っていく母を毎日見ながら、
ものすごく心配で不安でしたが、
それ以上に、ショックだったのだと思います。
だから、休薬期間で、グングン元気を取り戻していった母に
(それでも抗がん剤の副作用に苦しんでいた母にビックリした気持ちは維持)
「抗がん剤は辞めた方が良い」「毒を飲んでいるようにしか見えない」
「これで延命したら、どうだというのだろうか。延命するのか?こんなに弱っていくのに」
「出来ないことがドンドン増えていく薬って、おかしくないか?」
などなど、言ってしまいました。
しかし、この本のおかげで、「決めるのは本人」であり、
母の主治医からも
「イブランスの服用を、そんなにあっさり決めて良いんですか?
ご家族と相談したりしないのですか?」っと言われているようで、
母自身が決めたことです。
そこに口を出した私は、
ただ単に、動揺しまくっていた上に、母に余計なストレスがかかることを言ってしまい、
反省しまくっています。
知り合いが励ましのつもりで言ってくれたのでしょう。
「今はガンじゃ死なないよ」
母の友人もそのように言ってくれたと話していました。
何よりも父が胃がんを完治させているので、
物凄く軽く考えて受け止めていたか、
考えないようにしていたかだと思います。
残念ながら、母は末期がんの全身転移で、
もはや治る見込みはないのです。
という事は、ゆっくり枯れていくのでしょう。
そして死んじゃうのでしょう。
この、「治らない」「副作用が強い」を
ビックリしてアホになっていた私は、
まぜこぜに考えてしまいました。しかも早回しで。
さらに「死ぬ」と言う考えを、綺麗に消していました。
そもそも母は、最初に抗がん剤治療を希望しています。
副作用の苦しみも、その先にある「死」も考えてのことでしょう。
それなのに、母から、「あんたに頼んだ!」っと託されていたはずの私は、
「死」を考えずにいながらも、
石飛幸三先生の「平穏死のレッスン」を読んだりして、
勇気のない私は、「死」を考えない、「平穏」だけを都合よく受け取り、読んでしまいました。
抗がん剤の副作用を許せない!
医者に文句言ってやる!
母をあんなに苦しめてどう言うつもりだ!
っと言おうかどうしようかまで迷ったのですから
(母の病院が遠いことでパニック発作が怖くて悩み、酒飲んでいこうかという、狂った結論を出しかけるところでした)(危なかった)
私がかかっている、精神科のお医者さんに、
次回診察時に、報告しなければ。
長尾先生の本を読んだことで、
母は、「がん」であり、「末期」であり、時間をかけて抗がん剤の副作用に苦しみ、やがて「枯れて」行き、「死」を迎える。
そして抗がん剤治療は、「母」自身が「決めた」ことであり、
その後の、緩和病棟の予約までしているし
お墓まで購入しているのですから、
やっぱり母は、やがて「死ぬ」のです。
それが今、私自身が理解できているかはわかりませんし、
ちゃんと受け止められているかについてはサッパリ自信がありませんが、
この本を読んでおいて本当に良かったと思いました。
私のような、「パニック!」&「アホ」になった時に、
不治の病である「がん」を患った人の経過を追いながら
抗がん剤のやめ時を、紹介してくれたり、医師として
がん患者への接し方の経験を書いてくれたりしたおかげで、
母のがんを、ドアップで見ていたような(見たくないものは見たくなかったから)感じでしたが
少し距離をおいて、何よりも患者は母であることを
忘れないようにしなければと思いました。
2018年 09月25日 抗がん剤 10のやめ時 長尾和宏著 読了
抗がん剤、10のやめ時と言う本を読みました。
物語とドキュメンタリーを混ぜて
患者の家族などにもわかりやすい形で
ストーリーが展開していく中で、
抗がん剤のやめ時になるであろうターニングポイントが
何度も登場してきます。
また、在宅医療もする、尼崎の町医者である長尾先生の
経験が豊富に盛り込まれているようですし
考え方や、受け取り方なども
多分に、とってもわかりやすく書いてありました。
胃がん患者さんが
長尾先生のもとを訪ね、胃がんの疑いが持たれたので
地域の拠点病院での検査をへて、胃がん決定、がん治療、抗がん剤投与、
そのサポート役としての、副主治医(主治医&医療チームは拠点病院)として
患者さんを支えながら、長尾先生のお話は進行していきます。
非常に勉強になったのが、
最初のやめ時が、抗がん剤を処方するかしないか。
その選択時点でした。
てっきり私は、
拠点病院に行ったら、有無をも言わさず抗癌剤治療が始まると思っていましたが、
始めるにあたって、やるか?やらないか?が選べるとは知りませんでした。
それと、最後まで(死ぬまで)続ける。
と言う選択もあるというのも、意外でした。
本の中では、
最後まで抗がん剤を使用し続けて死んでいく患者さんも
少なくはないということでした。
問題なのは、それを患者本人が望んだことなのか。
主治医はしっかりと、抗がん剤を続けるか、やめるか。その意思確認をしたのか。
決めるのは医者ではなく患者でなくてはならない。絶対に!
っと言う流れを強く感じました。
読んで良かったし、助けられた気持ちにもなりましたし、
なによりも、患者である母に余計なストレスを与えないでいこうという考えの軸が持てました。
2018年 09月23日 がん治療をする母
末期がん全身転移の母の抗がん剤、
イブランスの副作用の強さに、
すっかりビビってしまった私は、
母親に対して「イブランスは辞めた方が良い」と言ってしまいました。
が、
強い副作用にビビっていたら、
そもそも、抗がん剤治療は成り立たないのではないかと思いました。
癌細胞は自分の体で生み出したものですが
抗がん剤は、自分の体で生み出したがん細胞を
毒を持って殺しにかかった上に
様々な副作用がありますし。
抗がん剤を使用しないということは、
がんの進行に任せるということで、
ようは、抗がん剤を使うよりも、最短で死ぬような気がしました。
抗がん剤の副作用が嫌だから、使わない。
そう決めるのは、母本人であるべきなのに、
私は余計なことを言ってしまいました。
そもそも、病院探しから、緩和ケア病棟、お墓まで購入した
自分の人生の終末期にしっかり向き合った上で
しっかりレールまで敷いている母のすべきことに、
よっぽどおかしいと思わない限りは、口を挟むべきではなかったと強く後悔して、
母親に謝罪しました。
「やるべきと思ったことは自分でしっかりやる母さんに、
イブランスは辞めた方が良いなんて余計な口出してごめんね。」
っと言うと、母は、むしろ私を気遣ってくれました。
お母ちゃんのお腹で芽生えた私は、
母のお腹の中でスクスクと育ち、誕生!
まずこの時点で、母にかなうものがなにもないわけです。
母親には何もかなわないと言うよりも、
母親という存在がすごすぎて意味がわからず、
母親から生まれたということの理屈と言いいますか、
「母ちゃんから生まれたんだけれども、それってどう言うこと?」っと母に聞いたことがありました。
母の母、私にしてみれば祖母に当たりますが、
母は、母の母をどう考えていたかを訪ね直すと、
「すごい人だったわぁ~」っとのこと。
私が知りたいのは、母から生まれた私は、
その理屈がよくわからない。
常識的なことはわかるのですが、
母のお腹の中に居て生まれて、ありえない愛情で育ててくれて。
それってどう言うことなんだ?っと言う感じのことを知りたいのですが。
(しかし、20代くらいから結婚や出産する同級生などに言わせれば「滅私」はたやすいと言うか当然らしいですが)
それと、祖母(母の母)は、胃がんで亡くなりましたが、
当時、中学3年生で、
受験勉強(&テレビを見てダウンタウンの面白い話をメモったり、覚えてみたり)をしていた私は、
がんになって、抗がん剤治療を受けながら、死んでい行った祖母を
見守ることは、まったくなく、がん以後、
顔を見たのは、一回だけでした。
父が十何年か前に、胃がんになったのですが、
切り取って、あっさり退院。
その後再発が確認できないうえに、抗がん剤もそんなに強いものは飲んでいないとも思いますし、
当時父に「僕は歯医者さんに1年通っている。全部虫歯だと言われたから。それと今回の父さんのガンとどっちが重いのだろうか?」っと聞いたら
少し考えた父は、「お前の歯の治療のほうが重いかもしれないなぁ~。」っと、退院1ヶ月位で元気よく話してくれました。
(父は内視鏡手術とはいえ、取り出すときにお腹を切ってるわけですが)
友人などから「今、ガンじゃ死なないんだよ」と言った励ましのお便りもあり、
末期がんの母が、強い副作用のある抗がん剤治療をしている日常に、
思いっきりビビりまくった上に、
母の治療方針さえ否定したのですし、
多くのがん治療の患者様のブログにコメントを残したりして、情報を頂いたりもして、
このような私は、度し難いとしか言いようがないわけです。
母はしっかり考えのある人で、
母が必要と考えれば、自分でとことん調べて、自分でやってしまう人です。
逆に、必要がないと思えば最初から何もしません。
だから、病院選びから、緩和ケア、お墓の購入まで、完了済みなわけですし。
そのすべてを母は全部一人でやってしまいました。
(本人が言うには、「すぐ死ぬと思っていたから、お墓の購入は高い時に買ってしまった」)
母は全身転移の末期がん患者ですし、
70歳過ぎています。
だから、いずれ死ぬのは当然なわけですが、
死ぬまでの生き方と、本人が望む死に方は、
母はしっかり考えを持っているようですから、
口を出すべきでなかったと強く後悔しています。
自分の浅はかさを知れた(無知だし同じ間違いを繰り返しそうだなぁ)ことと、
今後はもっと強度を増していくであろう母の決断を
見守り続けられるのかが怖いという思いもあります。
が、成り行きに任せてしまおう。
と言っても、母は、強度の高い決断を強いられていくだろうし、
副作用も半端じゃなくなっていくだろうし。
でもそれが成り行きならば、
なんだか言葉に出来ないけれども、スッゲ~存在の母に、
結局は寄り添うしか無いわけです。
単純化すれば、
成り行きに寄り添う。
未来はわからない。
今考えることじゃない。
ましてや悩んだり心配はするけれども、
成り行きに寄り添って行くしかないと言う思いを
もっと強く持てたらと思ってやみません。
それに母には少しでも元気で長生きしてほしいです。
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